対談(1)日本代表に足りない“ポジショナルプレー”とは何か? 五百蔵容×結城康平
見事にロシアW杯への切符を勝ち取ったサッカー日本代表ですが、W杯本番で良い結果を残せるかはまだまだ未知数です。10月6日のニュージーランド戦後、ヴァイド・ハリルホジッチ監督は「ワールドカップを戦うレベルからは遠い」と厳しいコメント。日本にはまだまだ超えねばならない壁があり、W杯開幕までに間に合う保証もありません。来年6月まで、日本はどういう準備を重ねるべきなのか? 識者2人に対談していただきました。(語り手:五百蔵容・結城康平 編集:澤山大輔[VICTORY編集部])
対談(2)日本サッカーの重大な課題は、「抽象化できないこと」である。五百蔵容×結城康平
10月10日のハイチ戦は、3-3と打ち合いの末引き分け。「相手がブラジルなら10失点している」と、ヴァイド・ハリルホジッチ監督も落胆を隠せない様子でした。試合内容を見ると、レギュラーの選手が出場しないと途端に約束事が見えづらくなり、適切なタイミングで適切なプレーができないシーンが散見されました。本対談で五百蔵容(いほろい・ただし)氏と結城康平氏が述べた「蓄積するヨーロッパと、そうでない日本」という趣旨の箇所は、はからずもハイチ戦で露呈してしまったようにも見えます。キーワードは「抽象化」です。(語り手:五百蔵容・結城康平 編集:澤山大輔[VICTORY編集部])
■ラグビーは「戦術で、偶然も支配できる」スポーツである
結城 五百蔵さんはゲームクリエイターという立場からいろいろなボールゲームを見てこられていると思いますが、サッカーを見始めたのはどのタイミングだったんですか?
五百蔵 日本リーグ時代から観てはいました。日本代表の試合も1994年の米ワールドカップ予選以前から観ていましたし、Jリーグも開幕から観ていました。ただ、最初はラグビーをメインに観戦していたんです。ラグビーのほうが戦術的にはっきりしていますし、戦術的に勝敗が決められる。逆にサッカーにハマったのは「戦術で決まらない要素が多すぎるスポーツ」で、「だからこそ戦術が重要になる」ということに気づいたからです。
――逆説的ですね。
五百蔵 そのきっかけになったのは、1997年のJリーグチャンピオンシップ、磐田対鹿島の試合でした。当時、磐田の監督(代行)は桑原隆さんです。
結城 僕は、当時7歳ですね(笑)。その頃、やっとサッカーというスポーツに出会ったくらいです。
五百蔵 あの試合が、すごく見応えのある肉弾戦だったんです。この年の磐田はルイス・フェリペ・スコラーリ(現・広州恒大監督)が規律を植え付け、メンタリティを鍛え上げ、肉弾戦をやれるチームにしたんですが、途中で辞任しちゃったんです。それで、当時コーチをやっていた桑原さんが代行になりました。あの試合は、俗に言う気持ちの勝負みたいな試合で、戦術が決定的な差を生み出してはいなかった。ゴン中山がGKからボールを奪って決勝ゴールを決めた試合で、戦術もクソもない(笑)。それから、サッカーが面白いと思えるようになったんです。
結城 不確定要素の部分で試合が決まってしまった、ということですね。プレミアリーグでも良くありますが、攻め込まれ続けていたチームがコーナーキックでの相手のミスを起点にゴールを決め、そのまま逃げ切ってしまうような。
五百蔵 中山のプレーは、磐田がチームとして志向していた姿勢の反映ではありました。でも戦術とは関係ない。実際、あれから20年経ちますが、磐田はあのようなゴールを計画的に生み出せてはいない(笑)。ああいうプレーは、事前に計画しておけないということですよね。
ラグビーでも、ボールが楕円形なのでランダム性があります。ただ、有名な話があって。日本代表の監督も務められた宿澤広朗(しゅくざわ・ひろあき)さんという方がおられました。早稲田大学でキャプテンも務めた名選手で、大学卒業後は銀行に勤めて、頭取クラスまでなった人です。
その宿澤選手が3年生のとき、最後のワンプレーで勝負が決まるという局面で、ポンとボールを敵陣に蹴ったんです。それが、たまたま走り込んできた早稲田側のウイングの胸に飛び込んで、逆転したということが起きました。周囲は「奇跡だ」「すごい偶然だ」と盛り上がったんですが、宿澤さんは冷静に「偶然ではない。ラグビーボールの偶発的な動きまで考慮して、走る場所を戦術的に決めてあった。練習もしていた。それをやりきった結果だ」と言っていたんです。
結城 元ウエストハムのサム・アラダイスがボルトン時代、「最も機会を得ることが出来るポジション」を選手へと教え込んだというエピソードを思い出しました。彼はロングボールやセットプレーからの肉弾戦を好む指揮官ですが、「ボールがこぼれてくるのだから、そこに選手を置いておけば良い」とコメントしたことがあったようです。
五百蔵 当時はまだ決め打ちのムーブでも、戦術的な意図を持った動きをすれば相手を凌駕できる時代でした。今では単にそれだけではなく、複雑な幾つものムーブが戦術的にデザインされ、相手の対応を見ながら高速に選択する必要があるスポーツになっています。今も昔も、ラグビーは「戦術で、偶然も支配可能なスポーツ」だと思います。
■サッカー特有の不確定要素とはなにか?
五百蔵 それに対し、ゴン中山の決勝ゴール。あれはもう、全く戦術とは違う。けれど、それで勝負が決まってしまう。他のボールゲームのような意味では、戦術的なゲームとはいえない。それがサッカーをちゃんと見てみようと思った試合の一つでした。
それまで94年のワールドカップも見て、イタリア代表が機能しているようで機能していないのも見ていました。アリゴ・サッキのチームが非常に論理的なことをやっているのに、それでも勝てない。フランスワールドカップ予選の日本代表も、バスケットボールの基準で考えれば「全くゾーンディフェンスじゃないでしょ」と思っても、なんとなく成立してしまうし。
結城 バスケってかなり確定性があると言われていて、個人の能力や戦術的に優れたチームが勝ちやすいものですよね。得点源となるプレーヤーに勝負させる戦術が緻密に決まっているだけでなく、手でボールを扱うからお互いにボールを奪い合う状況にもなりにくい。優れたセンターがいれば、局所となるスペースを制圧しやすい。
五百蔵 ラグビーもそうです。だけど、サッカーはそうじゃない。ラグビーと元々は同じスポーツなわけですが、ラグビーは戦術や体格面の優位性などが決定的な役割を果たしやすい。一方サッカーでは、どう考えてもチーム力が上回っていた鹿島が、磐田のああいうゴールで敗れる、ということが起こる。それ自体は不確定要素なのだとしても、それ前提の差し合いがあるらしいというのが見えて来ると面白くなってきて。
――なるほど。サッカーの不確定要素というと、どういう部分を指すのですか?
五百蔵 ラグビーやバスケに比べると、サッカーは使える駒数に対してピッチが広すぎるうえ、ボールを蹴って移動させるので攻防の基準点となる場所が一瞬で移動する。ピッチの全ての場所を、全てのポジションから使うことができる。そのことで、主導権を握っている側でもコントロールしきれない時間、空間がたくさん生まれるようになっているんです。そもそものルール、ゲームシステムの段階で。
ラグビーの場合は、まずボールは基本的に手で持つ。使える駒数は15人、それをうまく使ってラインを形成し、集団でボールを保持する。相手もラインを形成して、対峙する。最優先のプレーフィールドは基本そこなんです。そこから局面を積み上げていく。
キックも使えるんですけど、基本的に攻防の焦点になるのはボール周辺。ボールの周りで戦線(ライン)が形成され、その戦線をどうやって突破して背後の広大なスペースを使うかという段取りになっている。だから計算が立てやすい。バスケットは結城さんがおっしゃった通りで、付け加えるならばコートが狭くて、戦術的な交代も許されているから、激しい運動量を前提にし、お互いが全ての場所をカバーできる。やはり、計算が立てやすい。
結城 アリゴ・サッキは当時、ディエゴ・マラドーナという圧倒的な個人能力を持ったプレーヤーを止めるためにゾーンディフェンスを発明しました。ところが面白いのは、多分途中のどこかでそれにとどまらない有効性に気づいたことですね。つまり限定されたフィールドに追い込むことで「ラグビーやバスケと同じ状況を作れる」と気づいたと思うんです。
サッカーの不確定要素は、ピッチ全体をどのポイントからも使えるため、「戦術で規定できない局面」がたくさん出て来ること。けれども、ある条件下で狭めることができるんじゃないか、「この圧縮したエリアだけはラグビーやバスケットと同じ条件でやれるのではないか」と。
■ランダムなサッカーに再現性を持ち込んだ、アリゴ・サッキの戦術
結城 サッキのやり方で感じるのは再現性ですね。ランダムなものだらけだったスポーツに再現性を持ち込むことによって、ピッチで起こる事象を比較的コントロール下におけるような状態をつくること。それが、マラドーナだろうと誰だろうと対策になる。そのことが革命的だったんです。
五百蔵 さらに面白いのは、それすらあくまで仮想的な条件付けでしかないということ。エリアを圧縮して、なかったことにしているスペースが、実際には存在している。なくなっているわけじゃない。事前に設計可能な仮想的戦術フィールドとそれ以外のフィールドが同時に存在するというのは、カオスや不条理を生む要因でもありますが、逆に戦術的に利用することもできる。そういうところが面白いですね。
結城 戦術フィールドがあるのはボードゲームも同様ですが、運の要素が含まれるという点においては将棋やチェスとは異なると考えています。理論上では「双方のプレーヤーが最善手を打てば、必ず先手必勝か後手必勝か引き分けかが決まる」二人零和有限確定完全情報ゲームではない。その複雑性や各駒(プレイヤー)に移動範囲で制限があるという点では、オセロや五目並べというよりは将棋やチェスに近いとは思われますが。
前述したように不条理なことが起きやすい上に、ピッチが広く11人という人数の規制もあり、不確定要素を生みやすくしている。足でボールを扱うという時点で、ミスは起こりやすくなりますし。
五百蔵 サッカーの面白いところですね。より現実のシミュレーションに近い。自分たちの理解・認識で仮想フィールドを作って主導権を取りに行くこともできるけど、それ以外のことも考えないとやられる。その、ゲームとして計算できそうで計算しづらい表情が、現実に近い。
結城 仮想のフィールドの外がポイントになったりすることもありますよね。逆サイドだったり、裏のスペースだったり。広くピッチを見ているかどうかで、そのスペースを使えるかが決まってくるのですが。ポジショナルプレーという原則には、アイソレーションという概念も含まれますが、それに近い。ペップの師として有名なマヌエル・リージョの言葉を借りれば「近いスペースでボールを回すことで、逆サイドの選手をフリーにすることがポジショナルプレーの原理だ」と。
■「ウィルキンソンショック」以降、サッカー化しつつあるラグビー
五百蔵 それでいうと最近、ラグビーがサッカー化しつつあるなと思うんですね。90年代末、イングランドにジョニー・ウィルキンソンという選手が現れました。ある意味、ラグビーのプレーモデルを変えることを余儀なくさせた選手でした。キックがめちゃくちゃ正確なんですね、ボールを送りたい場所へ自由自在に蹴れる選手で。
ウィルキンソンがスタンドオフをやっていた時にイングランドがワールドカップで優勝しているんですけど、キックが正確だから、ペナルティを取ったらどこから蹴っても点を取れる。トライを取らなくても点が取れちゃう。ペナルティを取らなくても、相手ゴールの前面まで陣を進めればドロップゴールで点を取る。当時は「ウィルキンソン・ショック」といってもおかしくない、絶大なインパクトがありました。
結城 飛び道具的な、ゲームとは切り離されたものとしてあったんですね。サッカーで例えれば、セットプレー的な。
五百蔵 あと単純に、ラグビーはサッカー以上に陣取りゲームだから、自分たちのやりたい形で正確に蹴ることによって、より確実に陣地を前進させるというメリットもありました。重要なのはウィルキンソンが出てきたことによって、ラグビーでキックの技術が重要視されるようになり、ウィルキンソンクラスのキッカーがどんどん出てくるようになったこと。五郎丸歩選手も、ウィルキンソンの影響を受けた世代の選手ですね。
そういう選手がたくさん出てくると、ペナルティーゴールの射程距離も有効範囲も広がるし、オンプレーの時にもキック、特にロングレンジのキックを有効に使えるようになる。以前はラグビーのフィールドで、ペナルティで得たキックではないオンプレーの状況でロングレンジのキックをするということは陣地を獲得することにつながりづらく、選択肢としては相対的には価値が低かったんです。
キックに正確性がなければ、あまり戦術的に有効ではないんですね。陣地の大幅な回復を狙って長いキックを蹴ってラッシュをかけても、正確なキックでなければ相手に良い状態でボールを渡すことになる。それだけでなく、自側陣にスペースを作ってしまいカウンターを食らうことにもなる。でも正確に蹴れ、落としたいところに良い状態のボールを落とせるのであれば話は違う。自チームの選手と連動し、相手の防御ラインの裏に正確に蹴ることによって、相手の防御ラインをコンタクトプレーなしで突破できる。しかも長い距離を。それが恒常的にできるとなると話が変わってくるんです。
結城 狭いスペースでやりあう必要が、必ずしもなくなってくると。
五百蔵 そういう意味で、キックを戦術的に用いる工夫がさらに進んでいて、オープンなスペースの利用価値がどんどん上がっている。そのあたりは、これから恐らくサッカーにますます似てくるのではないかと思います。で、面白いのは、ラグビーの戦術に詳しい人たちは、サッカーから学ぼうとしているんですね。
結城 エディー・ジョーンズがペップ・グアルディオラの練習を見に行った、というようなことが起こっているんですね。特に「スペースの使い方」について学ぶことが多かったようですが。同時に、ジョーンズによれば「ペップはラグビーを熱心に学んでおり、ハンドボールにも非常に詳しかった」という部分も興味深いかなと。
■選手の特性が、戦術を規定する
結城 先ほどのキッカーの話に関連して、戦術を選手の特性が規定することがあるのも事実です。カカーが現れたのは、すごい衝撃でした。ボールを持った状態で相手を置き去りに出来るくらい速いトップ下の選手がいれば、カウンターは1人で成立する。一時はその影響でトップ下の選手が「司令塔」ではなくなり、セカンドトップに変化した。直近のEUROだと、ポルトガル対フランスの決勝は中盤がもう全員ボランチみたいになっていたり。
――4人くらいボランチいるじゃねーかみたいな感じに。
結城 運動量とフィジカルに優れたシッソコが外で使われていて、中のカバーリングに参加していましたね。ポルトガル代表だとレナト・サンチェスとウィリアム・カルバーニョが、一度突破されたスペースを圧倒的なスピードで埋め直すようなことをやっていて。
五百蔵 最近、ツイッターとかでも(サッカーの激しい局面を見て)「ラグビーかよ」みたいな指摘ありますけど、単に暴力的だということではなく、実際にサッカーの方も戦術的、選手個々に求められるプレーの強度などの現象面でラグビーに近づいている面があるんですよね。
結城 間違いなく、中盤のフィールドでやりあうことが求められてきていますね。トッテナムのデンベレみたいに、狭くなったスペースでもドリブル出来るフィジカルとテクニックを兼ね備えた選手の需要も高まっています。
五百蔵 90年代の終わりから2000年代の始めにかけて、サッカーにおけるコンパクトフィールドが期待値ほど意味をなさなくなる時期がありました。ジョゼ・モウリーニョがチェルシーで初めて指揮をとった頃にブイブイ言わせていたのは、彼がそれにいち早く気づいたから。コンパクトフィールドが意味をなさないと。
結城 アンドリー・シェフチェンコやサミュエル・エトーが猛威を奮った時代ですからね。裏のスペースにドーン、と蹴って競争するみたいな。モウリーニョの懐刀としては、ドログバが印象的ですが。
五百蔵 そうなると、中盤が間延びする時間帯が増えてくる。間延びする中盤でどうやってボールを狩るのか、という状況になって。オールドスクールな、アリゴ・サッキのゾーンディフェンスやハイライン戦術の意義が相対的に低下してくる。じゃどういう選手が必要になるんだ、というところでクロード・マケレレみたいな選手がすごく有効になった。状況が、マケレレみたいな選手の必要性をどんどん高めたことで、今はプレーメーカーまでマケレレ的なプレーを求められるようになりました。「ボールも蹴れるマケレレ」みたいな。
結城 エンゴロ・カンテは典型的ですね。レスター・シティが優勝できたのも、カンテの存在が大きかったです。あとは覚醒したジェイミー・ヴァーディ、リヤド・マフレズ、ダニー・ドリンクウォーター……とはいえ、カンテの存在は圧倒的でした。
五百蔵 なんだかんだ言って、あのチームはあの瞬間、優勝してもおかしくない条件がそろっていましたからね。センターラインがすごく強くて、ウェズ・モーガン、ロベルト・フートが跳ね返す。オープンな状況になってもボールの前進を阻めるし、ブロックを組んでも引いても守れる。
結城 前からもプレッシングを仕掛けられるし、リトリートで引いても守れる、そしてヴァーディも岡崎慎司もマーク・オルブライトンも、前線は誰一人サボらない。高い位置から追い回して、全体が下がればスペースを埋める。強いていえば、マフレズがちょっと運動量落ちるくらい。それでも、一般的な基準から言えば十分献身的に動いていて。
五百蔵 リーグコンペティションを勝ち抜ける条件がけっこうそろっていて。
結城 フォーメーションとしては4-4-2でしたが、岡崎がかなり引いてきて4-5-1みたいな陣形にも近くなっていましたね。
五百蔵 岡崎はサイドハーフとセンターフォワードの仕事を両方やっていましたね。
結城 ああいう一人二役みたいなことをやる選手が、圧倒的に増えてきている。カンテも、センターをやりながらサイドのサポートもやる。サイドハーフがプレスに出た時、サイドバックが食い止めたボールはカンテが回収しに行かなきゃいけない。レスターのコーチが「ドリンクウオーターの隣に、じゃないんだ。ウチはドリンクウオーターの“両脇に”カンテを置いているんだって言っていましたけど、全然大げさじゃない。両サイドのボール狩りをカンテがやり、中央をドリンクウオーターが抑えている。こんな暴力的なことがあるのかと。
五百蔵 そうそう。あのチームに実は既視感があるんです。それは、強かった時期のジュビロ磐田。福西崇史が中央で動かず、福西の両サイドを服部年宏が守る。サイドハーフのカバーも服部がやる。名波浩のカバーも、服部がやる。2002年当時はそういう選手は特別な存在で、その選手しかそういうプレーはできなかった。でも、今はそういう選手が特別じゃなくなってきている。そういう意味では、ラグビーがサッカー化しているのと同時に、多分サッカーもラグビー化しているんですよ。
結城 お互いに、何かを吸収しあっているんですね。
五百蔵 そうそう。どちらも、コンパクトフィールドでもオープンフィールドでも同じようにプレーできないといけない、戦術化できないといけないという世界に、異なる方向から同じような地点に発展しつつある。サッカーに関しては、そこでプレーする選手たちにはおしなべて走力が必要になるし、90分通じて走力を維持する持久力も必要になる。マーク相手とバチバチにやりあえるデュエルの力も、より高いレベルで要求される。それこそ味方のカバーリングが期待しづらいオープンフィールドでも。
結城 オープンフィールドだったら前からプレスで潰しに行く為の前への推進力もあるし、狭いフィールドだったらカバーリングもできる。カンテとかまさにそうですけど。前プレでボール回収もでき、ゾーンディフェンスの中で大事なコマにもなれる。攻撃の局面でも、今季はカンテがスペースを見つけた時は自分で持ち上がったりするので、オープンフィールドを攻撃時に使う術も身に着けつつあるのかなと。
五百蔵 だから、その選手の戦術的な脳みそというか、育成段階からセオリーを学んでいるかどうかがすごく大きな差になって現れるっていうのはそういうことだと思うし、ポジショナルプレーの概念が以前とは違った形で重要になってきているのもそういった状況と強く関連していると思います。ポジショナルプレーって、基本的にコンパクトフィールドを想定しているんじゃなく、ピッチ全体を想定しているんです。コンパクト、オープン双方の状況を、あらかじめ含むことが可能な原理原則になっている。サッリのチームとかがすごく面白いだけじゃなくて強いのってゾーンディフェンスとポジショナルプレーをうまく結び付けられているからだと思うんですよね。
<つづく>
対談(1)日本代表に足りない“ポジショナルプレー”とは何か? 五百蔵容×結城康平
見事にロシアW杯への切符を勝ち取ったサッカー日本代表ですが、W杯本番で良い結果を残せるかはまだまだ未知数です。10月6日のニュージーランド戦後、ヴァイド・ハリルホジッチ監督は「ワールドカップを戦うレベルからは遠い」と厳しいコメント。日本にはまだまだ超えねばならない壁があり、W杯開幕までに間に合う保証もありません。来年6月まで、日本はどういう準備を重ねるべきなのか? 識者2人に対談していただきました。(語り手:五百蔵容・結城康平 編集:澤山大輔[VICTORY編集部])
対談(2)日本サッカーの重大な課題は、「抽象化できないこと」である。五百蔵容×結城康平
10月10日のハイチ戦は、3-3と打ち合いの末引き分け。「相手がブラジルなら10失点している」と、ヴァイド・ハリルホジッチ監督も落胆を隠せない様子でした。試合内容を見ると、レギュラーの選手が出場しないと途端に約束事が見えづらくなり、適切なタイミングで適切なプレーができないシーンが散見されました。本対談で五百蔵容(いほろい・ただし)氏と結城康平氏が述べた「蓄積するヨーロッパと、そうでない日本」という趣旨の箇所は、はからずもハイチ戦で露呈してしまったようにも見えます。キーワードは「抽象化」です。(語り手:五百蔵容・結城康平 編集:澤山大輔[VICTORY編集部])
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