今の大相撲を支えるのは、女性ファンである


 スポーツ観戦に関心の薄い女の友人や知人に、その理由を尋ねると、しばしば次のような答えが返ってくる。
 
「父親が巨人ファンで、いつもテレビで野球中継が流れていたのだけど、ずっと巨人選手のミスや逸機を罵っているのが、嫌だった。そんなに気に食わないなら、見なければいいのにと思ってた」

「相撲の時期になると、おじいちゃんがダメな力士のことを叱りつけていて、楽しくなかった」

 プロ・スポーツの観戦が圧倒的に男性に占められていた昭和時代には、どこでも見られた光景だろう。この「ガツンと言ってやる」文化が、スポーツ観戦に女性客の割合が増えるに従い、大きく変わってきたことは、野球やサッカーのファンであれば実感していることと思う。罵りおじさん型のファンはいまだにたくさんいるが、それが大勢を占めるという状況は、次第に減ってきた。
 
 大相撲も例外ではない。若貴ブームの一時期を除いて、大相撲はおじさんファンの度合いが最も強い競技の一つだった。友人の相撲ライターにして相撲女子(いわゆる「スー女」)である和田靜香さんは、「(十数年前は)お客さんの7割がたがおじさんで、ウイスキーとかビールの匂いがすごかった。酒臭い中で相撲を見てたんです。いまは、女子が多いからソフトクリームを食べながら見てて、館内はバニラ臭が漂ってます」と証言している(星野智幸『のこった』ころから刊)。
 
 今でも、三段目の取り組みあたりの早い時間帯に国技館に行くと、2階の椅子席でアルコールを飲みながら熱心に取り組み表に勝ち星をつけ、「そんな相撲取ってるならやめちまえ!」「おまえは日本人の期待なんだからな、蹴散らしてやれ!」といった独り言を飛ばしながら観戦しているおじさんが、ちらほら見られる。
 
 だが、同じぐらい、あるいはそれを上回る数の女性ファンが、館内を動き回っている。女性ファンは相撲を見ながら、同時にひいきの力士に声をかけるため入り待ちや出待ちをするから、じっと座っているわけにはいかないのだ。
 
 これが今の大相撲を支えている、最もコアで揺るぎない層である。おじさんファンは全体に高齢化し減っていくのに対し、女性ファンは今のところ増える一方である。2007年の弟子の暴行死事件に始まり、2011年の八百長問題に至るまで、相撲を滅亡寸前にまで追い込んだ危機の時代から、一転してここまで相撲人気を盛り上げたのは、この女性ファンの出現による。

「スー女」たちが一変させた、力士の評価軸

 これらスー女たちは、力士への評価基軸を一変させてしまった。それまでおじさん文化の中では、強い力士や努力している力士が評価され、弱い力士やサボりがちな力士は人気がない、といった傾向が強かったのに対し、スー女たちは、力士をキャラクター化させ、それぞれに個性を見出し、どの個性が自分に合うかでひいきを決める。この結果、従来は地味で目立たなかったであろう力士が、次々と脚光を浴びることになった。強いか弱いかは、イケメンかどうかと同じく、その力士の個性の一要素にしか過ぎなくなった。
 
 典型例が横綱・鶴竜である。なかなか優勝争いにからまないため、おじさんファンからはめっぽう評価の低い横綱だが、女性ファンの中では爆発的な人気を誇る。そのアザラシのような容貌や控えめの性格が、「横綱なのにこんなに可愛い」として心をつかむのだ。
 
 このような傾向に、「スー女は力士が好きなだけで、取り組み自体に重きを置かず、相撲をわかっていない」という見方をする従来のファンは多い。だが、私が国技館で覚える実感は違う。いい相撲に惜しみなく厚い拍手をすぐに送るのは、やはりスー女たちである。おじさんファンには、なかなか拍手をしない人が少なくない。電車内で脚を広げて座って、簡単には閉じるものか、と意地を張っている人と同じである。スー女は取り口の解説やダメ出しにはあまり関心がないが、目の前の相撲の充実度を確実に五感で捉えることには長けていて、素直に反応するのである。
 
 かくいう私も、おじさんファンの要素を持っているので、勤勉でない力士に厳しかったり、拍手を出し惜しんだりするところがあるが、スー女の友人と知り合ってからは、その態度を変えるように努めた。すると、なんだかとても楽になり、もっとはじけた観戦ができるようになった。私はそれまで、何かに縛られていたのである。それは一言でいえば、せせこましいプライドとか沽券というものである。
 
 そうしてスー女を身近に知るようになって確信したのは、最も地に足ついたファンはスー女である、ということだ。世の印象では浮ついているように見えるかもしれないが、相撲を最後まで見捨てないのはこの人たちだなと私は感じている。

「品格」とは何を意味しているのか?

「相撲を見捨てない」なんてことを考えなけばならないほど、今の相撲ブームは危うい状況にある。私の目には、昨年以降の稀勢の里ブームを演出した「日本人力士優勝」や「日本人横綱誕生」の期待感と、貴ノ岩への暴力により横綱・日馬富士が引退に追い込まれた先場所(2017年九州場所)の加熱した報道とは、同じ現象に映る。いずれも、地に足のついていない礼賛かバッシングであり、何でもいいから熱狂したい、パーっとしたいという、一時的な快楽のつまみ食いに思えるのだ。
 
 もちろんスポーツ観戦は一時的な快楽を求めるものではあるのだが、そのためには地道な応援という日ごろの努力も必要である。その努力を担っている中心はスー女たちだ。今の礼賛ないしはバッシングばかりで大相撲を語る視点には、地道なファンからの目線が欠けている。
 
 このバッシングの時に持ち出されるのが、「品格」という言葉だ。横綱昇進の内規に記されていることもあって、特に横綱に対しては多用される。
 
 この言葉ほど、スー女文化からほど遠いものもない。端的に言えば、「ガツンと叱りつける」型の旧来のおじさん文化が凝縮された言い回しだ。「品格」が、何かを褒めるときに使われることはあまりなく、批判の言葉として用いられることのほうが圧倒的に多い。「品格に欠ける言動」「横綱としての品格にふさわしくない」「品格に問題がある」等々。
 
 では、「品格」とは具体的に何を意味しているのか、と問えば、これがはっきりしない。人によっても答えが違う。「説明のできない規範的姿勢」という意味合いもあるのだろうが、ほとんどの場合、意味はなく、ただ叱りつけるためのレトリックとしてだけ使われているように、私には見える。何でもいいから腐したい、許したくない、という気分を正当化するときに、「品格がない」と言えば格好がつくわけだ。これは、罵りながらスポーツを観戦する、罵ることが憂さ晴らしであるという、まだ男性が観客の大半を占めていた時代の感性である。何が問題なのか、万人にわかる合理的な言葉で説明できないのでは、思考の停止ではないだろうか。
 
 白鵬が指摘するように、相撲は伝統芸能の側面も残しながらも、もはや、力士というアスリートが行う近代スポーツである。柔道が国際化していく中で近代スポーツの色合いを強めていったように、大相撲も外国人力士が増え、世界でもアマチュア大相撲の大会が盛んになっていく中で、国際化し、近代スポーツ化している。日本相撲協会が公益財団法人になったのも、そのような背景の移り変わりもあるだろう。
 
 日本社会だけでなく世界の中でも共有の財産であるのだ。ましてや貴乃花親方の言うような「日本国体を担う相撲道」などではない。誰にでも通じる言葉と内容で、明快なルールや体制や説明を作る必要がある。角界の習慣だから、だとか、これが相撲というものなのだ、といった言い方では通用しない。
 
 だが、現実にはまだ、大相撲をめぐる環境や運営は古い体質を引きずっている。それが「品格」といった規定であり、「国技」という位置付けだ。

「国技」だから差別も仕方がない、わけがない。

 今の相撲の現場では、外国人力士、特にモンゴル人力士に対して、差別的な言葉が飛ぶことが珍しくない。今年(2017年)の春場所では、モンゴル出身の照ノ富士に「モンゴルに帰れ」という、ヘイトスピーチ解消法に抵触する差別ヤジが飛んで、大きな問題となった。この傾向を批判すると、「でも、相撲は国技だから仕方ないでしょう」といった反応が返ってくることが多い。
 
 この「国技」という言葉がクセ者で、実は何を意味しているのか曖昧だ。高橋秀実『お相撲さん』(草思社刊)に詳しいが、明治期に初めて相撲専用の競技施設を作ったとき、当時の作家が「国技館」と名付けたので「国技」になったという。単なる漠然としたイメージのあだ名が、いつの間にか本質を表す定義にすり替わってしまったのだ。そして、戦争期に国粋主義に利用された。だから、当然のことながら、外国に「国技」なるものは存在しない。よしんば、その国で盛んなスポーツだとして、例えばラグビーが発祥の地イギリスでナショナル・スポーツだとされているとして、それを理由に外国人選手に「帰れ」と言ったら、差別として処分を受けるだろう。「国技」だから差別も仕方がない、という理由にはならない。
 
「品格」と「国技」という批判の交差する地点にいるのが、白鵬である。かつての朝青龍ほどではないが、大相撲をめぐる批判とバッシングの大半はじつは「白鵬が気にくわない」という感情から出ているのではないか、と思いたくなるほど、白鵬は定番の攻撃対象とされている。

 例えば、先場所の優勝インタビューで、白鵬が館内を巻き込んでの「万歳三唱」を行ったこと。あのときの館内は、大いに盛り上がって一緒に万歳をしていた。私もテレビの前で、万歳をした。私は、正当化はできない暴行事件や相次ぐ有力力士の休場等で、相撲はどうなってしまうんだろうという不安に耐えながら、それでも相撲の味方でいたい、という思いを強くして観戦していたので、白鵬の万歳に、相撲は大丈夫ですよ、きちんと立て直していきましょう、応援ありがとうございます、というファンへの強いメッセージを受け取った。「万歳」を政治的に受け付けない人もいるにせよ、多かれ少なかれ、そんな気分でファンは皆、明るくなったのではないか。
 
 だが、メディアや横綱審議委員会の反応は、そんな現場のコアなファンの気持ちからはほど遠いものだった。相撲協会も白鵬を厳重注意とするなど、またしても「ガツンと叱る」型の苛烈な非難ばかりだった。この非難は、おじさんタイプのファンには受けるかもしれないが、スー女タイプのファンにとっては間違いなく意気阻喪させる言動だ。これだけ肯定的な効果を示している白鵬の言動の足を引っ張ることに、相撲にとってどんなプラスの意味があるのだろう。
 
 スー女と外国人力士が普通の存在になったこととで、大相撲はかつてないほどに裾野を広げ、世界へもアピールできる時期に差し掛かっている。伝統芸能である相撲を、新しい時代のスポーツに作り変えるために、古くて形骸化したプライドは捨てようではないか。そのためには「品格」や「国技」といった言葉を、もっと明確に定義し、翻訳しても外国人にも通じるような意味を持たせる必要がある。同時に、相撲協会の協会員や力士にベーシックな人権講習を行うなど、他の国際的なプロ・スポーツが標準的に取り組んでいるプログラムを実施してほしいと願っている。妙な言い方だが、古い体質に閉じこもっていたぶん、これから魅力を広げられるポテンシャルもとても大きいのだから。
 
<了>

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VictorySportsNews編集部