悪者扱いのリスクを背負った“沈黙”は何のため?

幕内力士(当時)貴ノ岩に対する暴行問題に、ようやく一応の区切りがついた。ここまで2カ月もの時間を要したことも異常だが、日馬富士をはじめ主にモンゴル出身力士による暴行事件が、いつの間にか“貴乃花親方の問題”にすり替わったことには大きな疑問がある。しかも貴乃花親方がこの件に関わった人物の中で最も重い処分を受けるというおかしな結末を迎えてしまった。

「明らかに礼を失していた」と、池坊保子委員長が理事解任の理由を挙げたが、貴乃花親方は、大相撲を改革するため、あえて内部情報に止めず警察に届けた。そして、メディアや世間に口外すべきでないと判断した事柄は徹底して口を閉ざし、相撲界の名誉を失墜させる事態を避けた。この行動は、実はものすごく「相撲界に対して礼儀を尽くした」とも言えるのだ。無言を貫けば自分が悪者になる状況も予想できただろう。それでも沈黙を守ったのは「自分のため」とは考えにくい。

確証はないが、すでに多くのメディアが指摘しているので端的に書く。今回の事件の背景には「星のやり取り」つまりは八百長が常態化している心配があり、貴乃花親方はこれを根本的に一掃することこそ大相撲の改革・再生の前提だと信じている。それを徹底して内部に訴え、改善を提起しているように読み取れる。
「相撲道の違い」と高尚な表現をするとわかりにくくなる。要するに、自分はそれを絶対しなかった、そこに誇りがある。ところが……。その悪しき慣習(疑念の存在)に鉈を振るおうとしない現執行部に対するもどかしさ。

自分の弟子が暴行を受けた、重大な事実が起こった時、協会は被害者である自分たちの思いを全面的に受け入れて対処してくれないだろう。そう感じる体質が協会にはあった。事実、問題が協会に伝えられてからも、メディアが報じるまで協会は一切隠蔽していた。その責任はいまだ問われていない。

貴乃花親方が相撲協会に抱く危機感

この問題が2カ月間もテレビのワイドショーで取り上げられる中、私が「目が点」になったことで、メディアがほとんど指摘しない事実がある。それは、日本相撲協会理事会の席順である。貴乃花親方が八角親方の真正面の席だったことは広く報じられたが、私が仰天したのは八角理事長の両隣りに座った人物だ。これに注目したメディアは私が知る限り皆無。わかっているはずだが、触れなかったのか。

八角理事長のすぐ右に座ったのが山口寿一理事。すぐ左隣りに座ったのが広岡勲理事補佐。普通に考えてこの二人が八角理事長の右腕、左腕、いわば「助さん、格さん」と見て不思議でないだろう。山口寿一理事は、読売新聞グループ本社社長。広岡勲理事補佐は、言えば「あっ」と思い出す人も多いだろう。あの松井秀喜さんがメジャーリーグで活躍したとき、インタビューの際いつも隣りにいて通訳をしていた、松井秀喜専属広報だ。現在は江戸川大学社会学部教授という肩書きのほか、読売巨人軍球団代表付アドバイザーという役も担っている。要するに、現在の日本相撲協会の理事会に読売新聞が深く関わっている。
それ自体、非難の対象ではないかもしれないが、「外部理事や外部委員をもっと積極的に採用し、外の血を入れるべきだ」という昨今の風潮に乗じて、下手をすれば相撲界が別の意図や思惑に牛耳られるという危機感さえ、貴乃花親方は抱いているのではないか。
評議員会の池坊保子議長に対する非難もネット上で盛んになっている。なぜ池坊保子氏が評議員会の議長で、あれほど上から目線の言い方ができるのか、多くの人が不思議に感じたようだ。

貴乃花親方の理事解任が発表された数日後、貴乃花部屋の三力士が、昨年末にラフな格好で繁華街を歩いたことで、春日野広報部長から口頭注意を受けたという報道があった。これに添えられた写真、春日野広報部長はポケットに手を突っ込み、怖い顔で恫喝しているように見える。これは半ば冗句だが、ポケットに手を突っ込んで注意するとはいかがなものか、礼儀を失してはいないのか、春日野広報部長に対する処分はないのか? 私は自分の中で失笑していた? すると、同じことを感じた人がいたようで、ネットの中に同様の感想を見ることができた。

貴乃花が語った“横綱の誇り”と相撲への想い

話を元に戻そう。
 
私は貴乃花親方と深い親交があるわけではない。貴乃花親方の肩を持つ前提もない。貴乃花親方の頑なさ、偏屈さが、組織社会で大丈夫か、行き過ぎではないかという懸念や批判をもちろん理解できる。だがその上で、冷静にこの事件や一連の報道を見て、どう考えても貴乃花親方に一貫した意志と情熱を感じる。
それは、私自身が少年時代から“狂”の字がつくほど相撲が大好きで、友人や先輩や教師とも相撲で勝負した数々の逸話を持っている、つまり素人ながら相撲の強い弱いの何かしらを体感していることも含めての感慨だ。悲しいかな、この問題を語る大半の人が、日本人でありながら、西洋的な格闘技と、相撲の強さの本質の違いさえほとんど理解していないのがよくわかる。それがまさに、相撲界の失墜、日本社会が日本の良さをなくしている現状を象徴的に表している。
 
私は一度だけ、貴乃花親方にしっかりインタビューをした経験がある。
引退を発表し、貴乃花親方になったばかりのその日にNHKで単独取材の機会をもらったのだ。日本の相撲の横綱ともあろう貴乃花が、なぜ怪我を手術するのにフランスの病院を選んだのか、と私は訊いた。
 
すると、貴乃花親方はこんな主旨で思いを語ってくれた。
 
「横綱になっても、正直なところ、私は相撲に誇りを持ちきれなかった。けれど、フランスの病院に入院しているとき、周りのフランス人たちが横綱である自分に寄せる尊敬の眼差し、自分に表わしてくれるものすごく深い敬意を身にしみて感じて、改めて日本の相撲が、海外からどれほど尊敬される伝統文化であるかを再認識した。引退したこれからは、部屋の親方として力士を育てるだけでなく、子どもたちにも、もっと身近に相撲に親しんでもらい、好きになってもらって、相撲の素晴らしさを継承したい」
 
おそらく、その思いはずっと変わらずに抱き続けているだろう。
 
当面の協会運営や自分部屋の経営を主に考える親方が多い中で、相撲道を前提にしつつ、相撲の未来を本気で憂い、行動を重ねている親方が貴乃花親方のほかにどれほどいるだろう。
 
「スー女」と呼ばれる相撲好きの女性たちが注目を浴びたのは少し前のことだ。この現象を生み出す様々な施策を考え、自ら率先して相撲の素晴らしさを宣伝に努めたのは、亡くなった北の湖理事長の懐刀として活躍していた当時の貴乃花親方だった。

<了>

滅亡寸前の大相撲を救ったのは、「スー女」である。寄稿:星野智幸

暴行事件に端を発し横綱・日馬富士の引退につながるなど、揺れに揺れる大相撲。2007年の弟子暴行死事件、2011年の八百長問題など、角界はこれまでも大きな問題に直面してきた。その度に角界を支えてきたのが、「スー女」と呼ばれる女性ファンであることはご存知だろうか。小説家・星野智幸氏に寄稿いただいた。

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1956年生まれ。作家・スポーツライター。人間の物語を中心に、新しいスポーツの未来を提唱し創造し続ける。雑誌ポパイ、ナンバーのスタッフを経て独立。選手やトレーナーのサポート、イベント・プロデュース、スポーツ用具の開発等を行い、実践的にスポーツ改革に一石を投じ続ける。テレビ、ラジオのコメンテーターとしても活躍。主な著書に『野球の真髄 なぜこのゲームに魅せられるのか』『長島茂雄語録』『越後の雪だるま ヨネックス創業者・米山稔物語』『YOSHIKI 蒼い血の微笑』『カツラ-の秘密》など多数。