【後編】サッカー“しか”やらない子は、どうなるのか? 小俣よしのぶ

「東ドイツには何かある」

――まずは小俣さんの略歴について教えてください。
 
小俣 大学を卒業し数年間就職した後、アメリカに渡りました。もともとアメフトをやっていたので、漠然と「スポーツを勉強するならアメリカかな」と思って。ところが、行ってみて落胆しました。選手育成システムがあるわけでもなく、指導者育成ライセンス制度もない。やっているフィジカルトレーニングはボディビルトレーニング。競技力は、アフリカ系アメリカ人の身体能力に支えられ、スポーツシステムはと言えば日本の部活動の規模が大きくビジネス化されたものでした。それで、学ぶものはもうないなと思い帰国しました。1990年のことです。
 
――それから、東ドイツの研究を始められたのですね。
 
小俣 当時はまだ東西冷戦の中であり、1988年のソウルオリンピックではメダル獲得数1位がソ連、2位が東ドイツ、アメリカは3位でした。アメリカはアフリカ系の選手が多く出ているのに、東ドイツは当然ながら東ドイツの選手だけ。にも関わらず、たくさんメダルを獲得している。「これは何かあるに違いない」と思って帰国後に研究を始めました。東ドイツは全く資料が手に入らないので、なかなか大変でしたね。ソ連からマトヴェーエフ博士の論文や文献等は手に入りましたが。
 
――今のように情報発信を始められたのは、いつごろからでしょうか。
 
小俣 昔から過激なことは言っていたのですが(笑)、拡散するようになったのはここ1年ぐらいですね。1年で友人が大きく増え、彼らが拡散してくれるようになりました。セミナーをやり始めたのも、もともとは私がアドバイザーを務めている石原塾の指導員が不足しているので、情報発信は指導員の募集や教育も兼ねてのことでした。
 
ところが、指導員は集まらないもののセミナーだけ人気になりまして(苦笑)現在に至ります。セミナーの内容は現在の子どもの運動指導・スポーツ指導の問題点を斬るものや、競技選手の適性選抜や育成システム、東独のトレーニング学です。例えば、皆さんご存知のゴールデンエイジ理論をぶった切ったり、スキャモンの発育曲線について語ったり。

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「スキャモンの発育曲線」は、スポーツに関係ない

――育成年代では定番となっている「スキャモンの発育曲線」ですが、必ずしもスポーツ指導の最適時期を説明する基礎理論としては適さないのですね?
 
小俣 そもそも、スキャモンが人の名前である事を知らない人も多いでしょう。まして、彼が医学、解剖学者であり、スポーツ科学に何ら関わりのない人物であることは知られていないのではないでしょうか。スポーツ科学自体、確立されていくのが1950年代ですから。たかだか60年程度の歴史しかないんです。それ以前は、スポーツを科学の対象としていなかったですから。

――スキャモンの発育曲線は、「The Measurement of Man」という書籍のごく一部分に掲載されているにすぎないのですね。
 
小俣 彼はもともと解剖が専門です。臓器を取り出して計量し、それをグラフ化したものが「スキャモンの発育曲線」で、人間のプロポーションがどのように変化していくかを見たものです。胴体は、臓器を入れるために大きくなる。ということは、何歳でどれぐらいの臓器の量に達するかわかれば、胴体の大きさを推測でき、順調に発育しているのかどうかの判断材料になります。でも、スポーツ科学は関係ありません。
 
――あくまで臓器の量的な話であって、スポーツ科学やゴールデンエイジ理論とは何ら関係ないと。

小俣 そういうことです。後世の人が「神経の量が増えるので、じゃあ量が増えたときに高度な運動学習をすればいいよね」と考えて使っただけです。でも、スキャモンはそんなこと言っていなんですよ。それに量が増えるなら、ほぼ全部の子どもが同じ運動能力にならなければおかしい。でも、実際の運動能力はバラバラです。質の問題なわけです。
 
――そうした知見は、東ドイツやソ連の研究をされる中で発見されたのでしょうか。

小俣 ソ連、東ドイツは、スキャモンについては研究していないと思います。スキャモンはアメリカの方なので。東ドイツの教科書をみても、スキャモンに関しては一切触れていないです。東ドイツ時代に発育発達学の研究をしていた先生にスキャモンの成長曲線の話をしたら「スキャモンって誰だ?」と言われました。彼らにとっては、あまり重要な知見ではなかったんですね。

ドイツはかつてスポーツを排除していた?

小俣 ドイツの場合、指導者育成のカリキュラムは統一した教科書が使われています。どの競技の指導者の場合も、ベースの知識は全員が同じになります。

東ヨーロッパは、アメリカとは全く違う文化なんです。彼らからすると、スポーツは外来文化だったです。ご存知の通り、スポーツは元々イギリスで生まれました。それがドイツに入ってきたとき、ドイツ人は抵抗運動をするんですよ。ちょうど2世紀前のことです。1800年代から1900年代に入ったときのことですね。実はそれが、ドイツが学校体育とスポーツが分かれた要因であるとも言われています。
 
ちなみに、東ヨーロッパと西ヨーロッパの境目がどこにあるかわかりますか? 

――いえ、不勉強ながら存じ上げません。

小俣 エルベ川です。ここを境に、西と東のさまざまなものがバッサリ変わります。オランダの北側から入り、ドイツのベルリンの下を通っていろいろなところを通ります。そこの歴史と文化から踏まえていかないといけません。

ドイツ国内も、北と南で雰囲気が全く違います。日本でいうと、東海地方と関東が大井川からバッサリ分かれるのと似ているかもしれません。大きな川だったので行き来ができないんですね。で、西側は産業革命が起こって、外洋に面していたのでどんどん海洋に進出していきました。16世紀に大航海時代が始まり、ブルジョワジーが生まれたりビジネス中心に発展していった地域です。
 
一方、東側は海が凍ってしまって外に出られないので産業が発達しにくかったんです。さらに長く神聖ローマ帝国の支配地域だったので、王や支配者層を中心とした封建制がずっと続いたんです。西は西、東は東で全く違う発展の仕方をしていったんですね。
 
ドイツはナポレオンに占領されましたが、そのときにドイツ人としてのアイデンティティと反フランス抵抗運動が始まっていくんです。そのフランス抵抗運動の為に体を鍛えてドイツ精神を養いましょう、といって始まったのがドイツ体操(トゥルネン)です。ドイツ体操はドイツ固有の文化なので、スポーツなどの外来文化を排除していきました。
 
現在、日本の学校体育や部活動などにおいて、さまざまな問題が噴出しているのは、、明治維新後に教育制度を作るとき、ドイツとアメリカの文化や教育システムを持ってきてしまったことが要因だと思います。学校の体育はドイツの、クラブ活動はアメリカ的文化。こうした融合がおかしな状況を産んでしまっています。身体教育の体育があってチャンピオンスポーツの部活動があってエンジョイスポーツのスポーツクラブがあって、わけの分からないものになってしまっています。

運動・体育・スポーツの違い、説明できますか?

――改めて伺いたいのですが、運動・体育・スポーツ、この3つにはどういう違いがあるのでしょうか?

小俣 まず運動というものは、身体活動です。問題は、日本語の「運動」という言葉にたくさんの意味がありすぎること。スポーツも運動、交通安全運動、選挙運動、いろいろな意味が運動という一言で表現できるわけです。ただドイツ語と英語になると、ちゃんと意味が分けられています。例えば、ベンチプレスの運動はエクササイズ。「レクリエーションなどの活動はアクティビティ、身体が動くのはムーブメント。日本語はそれぞれ一言でくくられているので、「運動しましょう」と言われてもエクササイズをするのか、身体運動をするのか、跳び箱をやるのか、はたままスポーツをやるのか、何なのかが曖昧なのです。だから体育の授業でレクリエーションスポーツをやってしまったりと言うことになります。

学校体育の運動は、身体運動で、身体教育をするわけです。身体を、自分で教育する。それが学校体育の意義です。算数や国語は知的教育なわけです、自分で自分の知的能力を教育するわけですね。

ある意味、勉強はしなくても生きてはいけますよね。しかし、わざわざ英語や算数とか、つらい勉強をするわけです。自分の知的能力を、自分で訓練しているわけです。同じように、体育は自分で自分の身体を教育する。それが、学校体育の運動です。スポーツは、イギリスで発達したレクリエーション。もともとは、大人の遊びです。ですから、元々運動とスポーツは違うんです。

――そこがごっちゃになっているのが、大きな問題なのですね。

小俣 そもそもスポーツはレクリエーションであって、大人の非日常的な遊びなわけじゃないですか。、。日常や社会から離れて、自発的に、自分の身体を使って行うものです。概念も、運動という大きな概念の一部にスポーツがあるということです。しかし、多くの人はスポーツを広義、運動や体育を狭義な概念として誤って捉えています。

あまり議論されませんが、「身体文化」というものがあります。人が身体を使って様々な事を行うことが、やがて文化になっていくわけです。スポーツは人間の営みで、スポーツも身体文化の中の一部です。ドイツにはドイツの身体文化、日本には日本の身体文化があります。日本の場合はおそらく”道”です。

――実際、空手にしても「空手道」です。

小俣 柔道もそうですし、野球「道」になる。これが日本の中の身体教育です。学校体育も身体教育なので、鍛えてその”道”を極めるということです。それが学校体育が本来持っているものです。学校体育もレクリエーションスポーツで楽しみましょう、といって変な方向に向かってしまっていますよね。

アメリカの学校体育はレクリエーションですよね。自分を律して、身体を鍛えようというものはない。アメリカにはアメリカの文化・歴史があり、なぜレクリエーションスポーツになったかというとYMCAの影響だと考えられています。その根底にあるのがマスキュラー・クリスチャニティ(筋肉的キリスト教)で、力を背景にした布教をしようというもの。それが根底にある。アメリカは、スポーツと宗教が一体化されているのです。

西欧では植民地支配や経営に宗教とスポーツを利用します。イギリスのパブリックスクールでスポーツによる教育、アスレティシズムが生まれたのは植民地経営を担うエリート層をスポーツで教育し、そして過酷な植民地の環境にも耐えられる体力を身に着けることが目的であったとも言われています。そして赴任先の現地民(被支配民族)たちにスポーツを通して西欧文化(キリスト教の布教を含む)を浸透させ植民地をイギリス化したのです。

――「運動は指導されるものだ、という勘違い」という趣旨のことをお書きになっていましたが、それもこの文脈におけるものでしょうか?

小俣 ここで言っているところの運動は、身体活動としての運動のことですね。例えば、虫取り網をうまく扱うこと。日常生活の中に様々な運動が隠されていて。それが教えられない運動です。これは、自分で経験しなければいけない。

虫取り網を振るという運動に、“振る”運動のコツがあったりするわけです。そのコツが、他の運動に転移していきます。野球のバットを振る、テニスのラケットを振るという運動につながっていき、運動体験として残っていく。しかし運動体験が少なかったり、学習能力がまだ低い子どもにバットの振り方を教えても、なかなか上達しないません。元々運動体験がないからです。

――となると、なぜ「スポーツ万能」という言葉が最近死語になってきたかの説明にもなりそうですね。運動体験が乏しくなってきているためだと。

小俣 そう思います。もう一つは、子どもの時に競技を決めてしまうことですね。昔は遊びの中で野球、サッカーをやっていたので、様々なスポーツや運動に触れられました。今は野球教室に行きます、サッカー教室へ行きますとなって、他のスポーツを体験する機会、日常生活や遊びからの運動体験がないんです。

自分が思うのは、競技専門特化の低年齢化は問題だと思います。球技であれば、専門特化する時期は中学生くらいが望ましいでしょう。もっとも、「一つのことを突き詰める」というのは根強い日本人の身体文化なので長年培ってきた精神性を変える必要があります。さらにゴールデンエイジ理論が誤って理解されたことも加わっていると考えています。

<後編に続く>

【後編】サッカー“しか”やらない子は、どうなるのか? 小俣よしのぶ

VictorySportsNews編集部