この感動を一緒に味わい、祝いたかった

2003年から2011年の9年間、川崎フロンターレでプレーしたFWジュニーニョ。今は現役を引退し、故郷であるブラジル北東部の街サウバドールで暮らす彼に、チームのJ1初優勝の感想を聞くために電話すると、すでに感動で大泣きした後だと話し始めた。インターネットで、優勝した試合のビデオや写真も、いろいろ見たのだという。

「すごく感動したよ。サポーターの歓喜を見て。ケンゴ(中村憲剛)がひざまずいて泣いているのを見て。優勝はこれほど感動的なものなんだと、あらためて強く感じたんだ。この感動を一緒に味わいたかったな。一緒に祝いたかった。ブラジルは遠いよね。せめて、こうしてインタビューを通して、おめでとうを伝えることができるのを、幸せに思うよ」

2003年、ジュニーニョがフロンターレに加入した時、クラブはまだJ2に属していた。そこで、初年度は得点ランキング2位。2年目には得点王となる37ゴールを決め、J1昇格に大きく貢献した。

その後、2007年にはJ1でも得点王。J1とJ2の両方で得点王を達成したのは、Jリーグ史でも、エメルソンに続く2人目だった。

ジュニーニョが所属していた当時、2006年、2008年、2009年の3度に渡り、2位までは経験している。ちなみに、Jリーグカップも2度、準優勝した。

ジュニーニョは振り返る。

「なぜ優勝できなかったのかなぁ。優勝を前にして、チーム全体が重さを感じ過ぎたのかな。今でも何が足りなかったのか、説明できない。フロンターレはいつでも良いプレーをしていて、これに勝てば、というところまでいって、勝てなかった。
3度の2位のうち、最後の2009年は、今年と似ているんだ。鹿島とフロンターレの間で、優勝が争われていた。僕らの方が、もう優勝トロフィーに手をかけたも同然のようなところまできていたんだ。
柏レイソルと戦って、勝てば優勝だったのに、0-0に終わった。その時、鹿島は浦和戦。そこでゴールを決めて、僕らのタイトルをさらっていった。僕らは必死に求めた1点を決められず、一方の鹿島がゴールを決めて、優勝してしまった(※1)」

最後の最後に優勝を逃す。その歴史に終止符を打ってくれたかつての仲間達に、ジュニーニョは、「感謝」と「幸せ」の二言を繰り返しながら、思い出を語る。

※1)編集部注:2009シーズンの最終節を控えた川崎Fは2位。最終節の柏戦には3-2で勝利したものの、首位を走っていた鹿島も勝利したため、2位でシーズンを終えることとなった。

戦友・中村憲剛へのお願い

©Getty Images

ジュニーニョの貢献はピッチの中だけには終わらない。一緒に練習をしていく中で、彼が若手に根気強く指導してきたことを、覚えている選手達も多いことだろう。

所属した9年間を一緒に過ごした中村憲剛については、ジュニーニョは今も、話し始めたら止まらない。

「彼はとても賢い選手だし、人のアドバイスをきちんと聞く姿勢があった。若い時は、経験豊富な選手が指導しようとしても、聞こうとしない選手も多いし、逆に、言われたことにトライして失敗するのが怖くて、結局トライせずに終わってしまう選手もいる。
だけど、ケンゴは違った。ミスを恐れない。攻撃的MFから、ボランチに転向した時は、迷いがあったと思うけど、僕はいつでも説明したし、要求したんだ。
『僕はスピードを活かして前に出たいんだ。だから、足元じゃなく、スペースに出せ』『タイミングを逃すな。パスを出すのが遅れたら、僕がオフサイドになるか、相手の守備の体制が整ってしまう』『中盤でプレーしているのだから、ボールを持て。持ったらすぐに、縦パスを出せ』『前を見ろ。前を向いてプレーしろ』
僕が言うことを、彼はすごく早く身につけていった。彼のおかげで、僕もたくさんのゴールを決めることができた。」

そんな中村憲剛が今、多くの人にとって、サッカーだけでなく、人生のお手本になった。ジュニーニョはそれを祝いたいという。憲剛が優勝後「長すぎて、長すぎて、タイトルを獲れずにこのまま辞めるんじゃないかと」と語ったそうだと話してみると、ジュニーニョは力を込める。

「だからこそ、あきらめなかったことに、おめでとうを言いたいんだ。時に、僕らは夢をあきらめてしまうことがある。達成できないまま、終わることがある。でも、あきらめていたら、このタイトルはなかった。37歳までタイトルを獲れなくても、プレーし続けた彼だからこそ、あれほど待ち望んだタイトルを獲得できたんだ」

現役時代、戦友ケンゴに要求し続けたジュニーニョからは、今も彼に要求がある。

「2度目の優勝を達成して欲しい。せっかく初めてのタイトルを獲ったんじゃないか。でも、まだ1つ目だよ。だったら2つ目を目指して欲しい。あの強さで、プレーし続けて欲しい。夢を追い続けて欲しい」

ユウがここまで来たことを幸せに思う

©Getty Images

優勝と共に、今季の得点王を獲得し、最優秀選手賞も受賞した小林悠についても、思い出深い。

「とても幸せだよ。ユウには、彼がキャリアをスタートさせた時、フロンターレに加入したばかりの頃、いろいろ指導したんだ。すごく努力家の少年だったから、応援したい気持ちもあってね。彼がここまで来たことを幸せに思う。僕も何か、彼を手伝うことができたんだと感じられるから、この成功にありがとうと言いたい」

自分と一緒にプレーしていたチームメイトの多くは、今もフロンターレでプレーし続けている。また、鬼木達監督をはじめ、当時、一緒にピッチに立っていた選手たちの中には、今はスタッフに転身して、この優勝に貢献したメンバーもいる。

ジュニーニョは、そうした仲間達の名前を次々に挙げ、思い出を語っては「だから、特別なおめでとうを送りたい」と付け加える。

今年のJリーグカップの映像も見た。決勝まで到達しながら、またしてもタイトルを逃したことで、サポーターが泣いているのを見て、すべての記憶がよみがえったという。

「何度も優勝を争い、サポーターはいつでも支えてくれるんだけど、最後は悲しくて泣いていた。それを思い出して、本当に苦しくなったよ。だけど、今回は悲しみの涙じゃない、歓喜の涙。2017年を、あれほど待ち望んだタイトルで締めくくったんだ。
だから、すべてのサポーターにもおめでとうを言いたい。僕がいた頃から、いつでもあきらめずに応援してくれていたサポーター。
そして、これからも一緒に夢を見続けて欲しい。2度目のJ1優勝もそう。Jリーグカップも、アジアチャンピオンズリーグも、夢見て欲しい。クラブW杯だって、夢見て欲しい。大きな夢を、見て欲しい」

これからは、毎年何らかのタイトルを獲って欲しいと、ジュニーニョは真剣に願っている。この待ち望んだJ1優勝によって、川崎フロンターレは、いつでもタイトルを争うだけのクラブではなくなった。いつでもタイトルを獲る。そういう勝者の歴史を歩み始めたのだと、ジュニーニョは締めくくった。

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著者プロフィール 藤原清美

スポーツジャーナリスト。2001年からリオデジャネイロに移住し、スポーツやドキュメンタリー、紀行などの分野で取材。特に、ブラジルサッカーの代表チームや選手の取材を活動のベースとし、世界各国を飛び回る。選手達の信頼を得た密着スタイルがモットーで、日本とブラジル両国のメディアで発表。ワールドカップ5大会取材。ブラジルのスポーツジャーナリストに贈られる「ボーラ・ジ・オウロ賞」国際部門受賞。