関西大学4年時、ソチ五輪代表選考会も兼ねたさいたまスーパーアリーナでの全日本選手権において、それまでの自身最高と言っても良い演技を披露しながら、会社勤めと並行して再び競技の世界へ戻ってきた。

復帰後は並み居る学生選手たちを抑え、自身初となる全日本選手権予選のブロック大会で優勝を果たすなど着実に成果を出している。山田に続き、来季からは女子の大庭雅(中京大学)も就職後の続行を表明している。今回は、山田が社会人選手として復帰してから初めての取材となり、フィギュアスケートという競技の可能性と、後に続く選手たちへの思いを語ってくれた。

©T.K.

大学で終えるつもりだった

――山田選手の大学4年の全日本選手権でのFS(フリー)の演技は今でも語り草です。フィギュアスケートでは大学で競技人生に区切りをつける選手がほとんどですが、大学最後の年に、全日本という国内で一番大きな舞台で、誰もがこうであったらいいと思うような素晴らしい演技を披露されながら、1年のブランクを経て社会人スケーターとして戻ってこられた。学生時代から復帰へ向けた思いはどのように高まったのでしょうか。
 
山田耕新選手、以下山田 よく、「就職して復帰することを学生の頃から計画していたのか」って聞かれるんですけど、当時そういった考えは全くありませんでした。大学4年時の3月に参加したローカル試合を最後に、完全なる引退をして連盟登録も外しました。
 
元々、スケートをするにあたって「ジャパンジャージ(日本スケート連盟強化指定選手に与えられる)を着たい」という夢というか目標が本当に強くあったので、それを達成できるまでないしは完全に自分の技術が頭打ちになって、もうこれ以上は無理だと、どうやっても勝ち目は無いと悟るまでは挑戦し続けたいという思いがありました。
 
ただ、大学4年最後の年に、コーチの濱田(美栄)先生にもう少し学生を延長して競技をやりたいという思いを訴えたところ、「そういう甘い考えでは身に付く技術も身に付かない。最後の1シーズン、自分を信じて、今の自分のスケートに賭けてみなさい」と。「関西大学の学生としてここに入っているので、その役割もきちんと認識して、4年で卒業して就職するという道を進み、与えられた使命を果たしなさい」ということを強く言われまして。そこで初めて僕も引退を決断しました。それが大学4年の始めか3年の終わりですね。
 
先ほど仰っていただいた最後の全日本では覚悟があったので。その気持ちが前面に出るような、“3アクセルを組み込んでノーミス”の演技になりました。それまで成し得なかったことが(フィギュアスケート会場として)一番大きなさいたまスーパーアリーナという場でできたので、本当に綺麗な形で引退できて、次の社会人という新しいステージに駒を進められたと思っています。今こうやって社会人スケーターをやるにあたっても、あの時濱田先生の言葉を受け止めて、自分の役目に覚悟をもってケジメをつけられたから、道を切り開くチャンスを与えてもらえているのかなと思っています。
 
復帰のきっかけになったのは、2015年、福岡県スケート連盟主催で安藤美姫さんも参画された東日本大震災救援のアイスショー(東日本救援滑走会)です。そこでお声をかけていただいて、1年ぶりに人前で滑ることになりました。無論やるからにはしっかりした演技をしたいと練習したところ、「まだ戦える」と。「スケートのもっと奥深いところを追求できる」と感じました。短い1~2ヶ月間の練習期間でそのように直感し、復帰を目指そうという意識が出てきました。
 
――追求したいと思われたのは、表現的な部分ですか。
 
山田 表現然り、スケートの技術的な部分然りでした。分かりやすいところでいくと、既に習得した3アクセル+3トゥループなど難易度の高いジャンプの習得にも可能性を感じました。選手生活を続けていたら、疲労や、緊張感に対する力みみたいなものも蓄積していくと思うんですよね。引退してから1年間完全に身を引いたことによって、長年かけてついた身体の癖みたいなものがリセットされ、クリアな筋肉のしなりを感じられたため、より追求できると感じたんだと思います。

人々の意識が選手生活を短くしてしまっている

――フィギュアスケート選手は、基本的に大学で引退される方が多いですが、続けていくのは難しいものなのでしょうか。

山田 色々、スケートを続けるには条件があると思うんです。環境だったり体力だったり。ただ、今回NHK杯をご覧になられたと思うんですけど、上位に食い込んだのはベテラン選手が多かったですよね。

――男子シングルは30歳のセルゲイ・ヴォロノフ選手(ロシア)が優勝されました。

山田 統計的に見ると、欧米の人たちは体格が大きいですけど、日本の人たちは小柄な選手が多いじゃないですか。ということはコンパクトなジャンプを跳ぶ選手が多いので、現役生活を長くするチャンスっていうのは、海外に比べてあるはずなんです。

――体力的、身体的には。

山田 要は、日本人の方がコストのかからない、怪我のリスクの少ないジャンプを跳ぶので、現役をより長く続けていくチャンスはある。にも関わらず海外に比べて極めて選手生命が短いと。ここで何が足枷になってるというか、原因があるのかなって考えたら、やっぱり人の意識だと思うんです。スケートに携わる人々の意識のひとつひとつが選手生活を短くしてしまっているところもあるのかな、というのが長くスケート界にいて感じたところですね。

――22歳の先というものがあるはずだ、という。男子のピークはもっと先にあるとお考えでしょうか。

山田 勿論です。僕も復帰してからSP(ショート)もFSも1年ごとにパーソナルベストを更新していけているので、それは体現できているのかなと。「何歳を越えたらダメだ」とか、「大学を終わったら引退」とか、自分が決めているのか周りが決めているのか分からないですけど、そういった古い体質のひとつひとつと戦うのが僕の今できることというか、役目だと思っています。

――復帰されて、ご自身で学生時代より向上されたと思われる部分はどういったところでしょうか。

山田 やっぱり、スケートって人の性格だったり生き様だったり、そういったものが全て出るものだと思ってるんですね。氷以外で成長した部分が何かしらの形で絶対に演技に反映してくると。社会人になって色々な経験をして積み重ねた想いが、表現力という形で間違いなく僕の演技には出ていると思うので、そこは学生時代よりも遥かに良くなったんじゃないかなと。技術的にも、3アクセルの質、確率もかなり上がっていますし、ジャンプ構成に関しても学生時代よりも高いレベルでやっています。課題になっていたスピンも、シーズンごとに少しずつ良くなってきて、レベルも取れるようになってきました。逆に今、学生時代と比べて衰えてきてるなって感じる部分はひとつも無いです。

――2015年、復帰されたシーズンの西日本選手権(全日本選手権への最後の登竜門となる予選)を拝見しましたが、FSが本当に素晴らしく、5コンポーネンツ(演技構成点)の表現面を量る下3つ、パフォーマンス(Performance)・振付(Composition)・音楽表現(Interpretation of the Music)が全て6点台に乗っていました。会場を手で煽るような振付があり、客席のエネルギーを非常に上手く取り込まれていたのを記憶しています。

山田 あのプログラム自体が“自分が指揮者で観客がオーケストラ、会場全体で作り上げる”というのをコンセプトにしたプログラムだったので、それがしっかりできたということがひとつでした。もうひとつは、先ほど人の性格だったり生き様だったりが出るスポーツだと申し上げましたが、それを出せたのではないかと思います。

僕も復帰するにあたって、ある程度しがらみと戦ってきた部分はあるんですけれども、そんな外野からの声に一々揺らぐようではこのミッションは果たせないと思っていたんです。それくらいの覚悟をもって復帰1年目のシーズンを過ごしていたので、その覚悟がお客さんに伝わったんじゃないかなと思います。特に1年目なので、西日本で落ちたら…通れば「社会人スケーターという道もあるんだ」ということになりますし、逆に1年目で落ちてしまえば、「やっぱりダメなんだな」って道を断ってしまうことになる。そういった意味では、復帰1年目のミッションの重要性、意味合いというのは大きく、振り返ってみると、逆にそれが演技する僕の背中を押してくれたようにも思います。

――終了後に山田選手のサインを求める列ができたと聞いています。現役選手もその列に並ばれていたとか。

山田 普段、僕のほうがテレビで見るような選手が並ばれていたので、驚きました。

――後輩の方に憧れられるような素晴らしい選手なのだなと思いました。翌2016年は全日本予選の中四国九州ブロック(山田の出身は福岡であり復帰後は中四国九州から予選に出ている)で優勝されましたね。

山田 はい。優勝は、初めてでした。

――あの時は3アクセルも入って。

山田 あの試合では、初めてひとつのプログラムで全種類のトリプルジャンプが認定されました。毎年毎年、守りではなくて攻める部分、成長し続けることにこだわり続けているので、それがしっかりと出たブロックだったなという風に思います。

――今年は荒川静香さんの『フレンズオンアイス』というアイスショーにオーディション枠で出演されましたね。

山田 はい。日本を牽引されてきた荒川静香さんのプロデュースでもありますし、世界屈指のスケーターばかりが集まるショーですので、そういった舞台で滑ることで、自分にまだ足りてないものとか、自分がもっともっと伸ばせる部分を見つけられるんじゃないかなと。天井をもっともっと上げられるだろうから滑りたいというのが一番強かったです。あとは、幅広い場に社会人スケーターとして出ていくことで社会人スケーターの可能性をアピールできるチャンスだと思っていたので、そういった想いも込めて応募させていただきました。

――出演されてみて、いかがでしたか。

山田 やっぱり、楽しかったです!何事も一流に囲まれて取り組めるというのは本当に素敵なことですし、アスリートとして本当に楽しかったですね。

社会人選手の練習時間

――私自身、社会人として最もお聞きしたかったのですが、どういったサイクルで練習をされているのでしょうか。

山田 氷上の練習サイクルは、土日が各日2時間から3時間。平日は、週に1回くらい早上がりできる日があれば練習に通います。陸上では、走り込みだったり体幹トレーニングだったりというのも、週末と平日1回くらい取り組んでいます。移動の時間は、イメージトレーニングに励みます。

――平日は滑れてどれくらいですか。

山田 滑れて1時間ですね。MAXで1時間です。トータルの練習時間は、学生時代に比べると、どれくらいなんでしょうね…半分も無いですよね。3分の1から4分の1ぐらいかな…。

――それでブロック優勝されたりと、どんどん向上されてらっしゃるというのは、学生時代と比較して練習の質の面が変わったということでしょうか。

山田 そうですね。やっぱり時間が限られれば限られるほど、短い時間の中で「あれを習得しなければ、これを習得しなければ」という風になってくるので、そういった環境の中で集中力や質というものは上がってきたと思います。僕は“ピンチはチャンス”だと思っているんですけど、色々変化する…社会人だったら誰しもそうですよね、環境がどんどん変化すると思うんですけど、そういった中で前を向き続けられるのが社会人スケーターの一番の強みだと思っています。

今季シーズンオフの半年は生活基盤が東京になったので、毎週末大阪・福岡へ飛行機で通うという練習スタイルでした。移動時間も含めたらより練習時間というのは短くなって、1週間で言ったら氷に乗れる時間は3時間から4時間と。そういった中だったからこそひとつひとつの練習に対する集中力が変わりました。例えばジャンプでも、助走をつけて入る時に、今までは「スピード緩めて」とか「スピード早めてどうジャンプに繋げるか」ってところだったんですけど、ワンストローク、これにどれだけ想いを込められるか、ちゃんとスケーティングの練習としても捉えられるぐらい、一歩一歩に乗れているかというところまで意識して練習するようになりました。なので、実質的には競技力や選手としての技術が下がったとは全く思わなかったです。今振り返れば、ちゃんと向上し続けられたなと思います。

アイスダンス日本代表として五輪出場経験もあるキャシー・リードコーチ(左) ©T.K.

「生きていくにはカネもユメも必要だ」

――山田選手がスケートを始められた時のことをお伺いしてもよろしいでしょうか。コーチのキャシー・リードさんのブログ(https://ameblo.jp/reed-tokyo-japan/entry-12306222743.html)に書かれていたのですが、最初はスピードスケートの清水宏保選手に憧れて始められたとか。

山田 はい。清水選手が優勝する瞬間と、ジャパンジャージを着てる瞬間を見て、本当にかっこいいなと思って、それがきっかけで。

――1998年でしょうか。

山田 長野五輪ですね。そうしたらその…入口が間違っていたと(笑)。

――教室に入ろうと思ったら、フィギュアスケートだったと。

山田 はい。スケートに種類があるというのを知らなかったんですね(笑)。 ただ、僕も色々なことを創意工夫して進めていくのが好きなタイプなので、こっちでも良かったかなと(笑)。かつ、そのジャパンジャージはフィギュアスケートでも同じものがあるので、文句なしということでフィギュアの道を選びました。

――始められたのは何歳くらいですか?

山田 小学1年生ですね。

――山田選手にとってフィギュアスケートの魅力というのはどういったところでしょうか?

山田 やっぱり、最初に申し上げたその人の性格とか、生き様だったり人生というのがそのまま出るのがフィギュアスケートの最大の魅力だと思うんです。練習時間が短くても、自分が日々の生活をどのように送っているか、ちゃんと自分が成長するように、自分の弱さと向き合えているかというところも演技に出てくるので、そこが僕の勝負すべき点だと思っています。どのスポーツもそうかもしれないんですけど、特に人間性が出やすい競技だからこそ、社会人スケーターの可能性は大きい。他の競技よりも大きいと言っても過言ではないくらいだと思っています。

――山田選手にとってフィギュアスケートとは?

山田 プライベートの大部分であり、今は生活の一部になっています。一般論として「生きていくにはカネもユメも必要だ」と言います。僕にとってスケートの優先順位は2番目ですが、かけがえのない存在です。古い体質やしがらみと戦っていきたいという風に思えるのも、やっぱり…スケートが好きだからなんで。『フレンズオンアイス』では、静香さんから、「仕事と競技の両立は、色々大変なこともあると思うけど、楽しむことを忘れずに頑張って」とありがたいお言葉を頂きました。今後の現役生活の軸になってくると思います。

全日本での目標“一瞬、一滑を楽しむ”

――12月末に控えている全日本での目標を聞かせていただけますか。

山田 学生の頃から持っているジャパンジャージを着たいという夢は勿論捨てた訳ではないんですが、それよりも今はもう一つの側面として、ベテランという立場でやっているからには、良い作品を作り上げて見てくださる皆様にお届けしたいという想いが強くあります。まずはSPをひとつの作品として西日本よりもさらに高いレベルに仕上げて、FSは去年滑れなかった(SPの出場30選手中上位24選手がFSに進む)『Fix You』をこころの限りに滑り抜きたいです。今も現役のスケーターとして競技に携われていることへの感謝の気持ちを忘れず、“一瞬、一滑を楽しむ”ということが最大のカギになってくると思います。

――『Fix You』は、山田選手が選ばれたのですか?

山田 僕がColdplayの曲で滑りたいと濱田先生に話して、それを聞いてキャシーが『Fix You』を選んでくれて。僕自身がそれまで『るろうに剣心』だったり、レーサーだったり指揮者だったり『雨に唄えば』だったり、キャラクターを演じるのが得意だったんですね。ただ『Fix You』はそう言ったキャラクターが無く、要は色んなポーズが取れないんで、本当にスケート技術と向き合わないと成立しないプログラムなんです。逆に、ここでちゃんとこのプログラムをモノにできた時には、スケート技術は格段に上がっているはずという算段です。フィギュアスケーターとして、演技も大事ですけど、スケート技術を磨いてより深みを出して欲しいというキャシーの想いと、今後も進化を続けながら現役を続けたいという僕の願いがこもっています。

生活を投げ打たなければ携われない競技なのか?

――お話を伺っていますと、後に続く後輩の方たちに「こういった道もあるんだよ」という指針、ひとつのロールモデルになりたいという強いお気持ちがあるのでしょうか。

山田 はい。社会人スケーターとしての道を作りたいというのは勿論あって、続いてくれる選手が出てきたという情報も入ってきていますし、本当にそれは嬉しいことです。やってきた甲斐がちょっとはあるのかなって。社会人スケーターには、次の試合で絶対に滑れるという保証はありません。予選で勝ったとしても、環境が変わる可能性がゼロでは無いので、本当に一試合一試合良い作品を作ってお届けすることが毎試合変わらずの目標なんです。

ひとつ自分の演技の先に何かを望むとするならば、誰もが笑って、気兼ねなくフィギュアスケートに携われる新しい時代が待っていたらなと思います。生活や本来の役割を投げ打った人じゃないと携われないとなると、スポーツとして成立しないと思うんですよ。社会人としても参入できるスポーツであるということを証明することで、フィギュアスケートのスポーツとしての可能性を伸ばし、フィギュアスケートそのものに恩返しをしていきたいと思っています。

――本日はありがとうございました。

©T.K.

インタビューの後、山田が指導を仰ぐ濱田美栄チームの貸切練習を見学させていただいた。SPの曲をかけた通し練習では、3アクセル、3ルッツ+3トゥループ、3サルコウと難度の高いジャンプも含めて構成予定を全て着氷。キャシー・リードコーチから「Wow!とても良かった!」という言葉も飛び出す試合さながらの出来だった。我々取材陣を観客に見立て、高い集中力で「学生時代と比べて衰えたと思っていることはひとつも無い」という言葉通りの演技を見せてくれた。その後に山田が語ってくれた言葉には熱と力がこもっていた。

「心技体、という言葉がありますよね。今後落ちる可能性があるとしたら“体”の部分ですが、現状では走り込みを徹底していて落ちていない、むしろ上がっているとすら思っています。もし落ちてきた場合でも、“技”の部分でスケーティング技術の延長線上にある質に拘ったジャンプを磨いてきており、技術でカバーできます。“心”の部分、フィギュアスケートは人間の成長が出るスポーツだと僕は思っているので、そこは社会人としての経験が生きると思っています。“体”が落ちても、“技”“心”でカバーできる。氷に乗っていなくても、寝ている時間以外は練習できるチャンスが普段の生活の中に散りばめられている。僕はそう思っています」

我々のほうをジャッジに見せる正面にして、撮影しやすいようゆっくりステップを踏んでくれましたね、と言うと「フィギュアスケーターですから!」人懐こい笑顔が浮かんだ。

(了)

同チームの藤原莉子選手と ©T.K.

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VictorySportsNews編集部