煌めきを支えるハードな仕事
――美しいカラーリングと見事な装飾に毎デザイン目を凝らしています。気が遠くなるほどストーンが施されていますが、いったいどこからつけはじめるのでしょう。やっぱりど真ん中ですか?
伊藤 バストあたりからですね。まずは大きいものをつけて、後は埋めていく感じです。
――大きい花もスパンコールやビーズで出来ていますけど、外でいったん組み立ててから貼るのでしょうか?
伊藤 そうです。元はバラバラです。
――最初に刺繍を置いて、そこに飾っていく感じですよね?いったい一着に何個くらいついているのでしょう。
伊藤 石は、デザインにもよりますが3000~5000個以上です。3日~7日くらいで仕上げます。1日13時間から15時間くらい作業しますね。夏は複数の衣裳を同時進行で進めるので、納期を2~3か月程頂いてます。
――離れて仕上がりをチェックしたり、休憩時間を考えても、数秒毎に一粒で、延々続ける感じですよね。
伊藤 専門の方に来てもらうこともあります。
――デザインがある程度かっちり固まっていないと、手伝う人も作業できませんよね。
伊藤 指示書は作ります。それでも、こちらのテイストを理解している人でないと仕事を頼めません。石をボンドでつけること自体は難しくないのですが、どこにどれくらいの間隔でつけるか、どのくらいの密度にするかにはセンスが出るので、誰にでも頼めるわけではないんです。
――「そういうイメージじゃないんだけどな…」ってことはありますか?
伊藤 ありますよ。全部剥がしてやり直します。レースの上だとほつれたりするので大変です。だから、信頼している人でないと頼めません。時間が許すときは全部自分でやります。私が大きくデザインに関わっている衣裳は、絶対に一人で仕上げます。
――ひとつの衣裳に、伊藤さん以外は何人関わるのでしょう?デザインの複雑さや予算、納期によって違うでしょうけど。
伊藤 私自身のメインは、デザインと装飾です。なので、パターンと縫製はなるべく外注するようにしています。外がいっぱいのときだけ自分でやります。外注先として、パタンナーが2人、パターンから縫製まで請け負ってくれるひとが2人、縫製だけやってくれるところに2人います。スケジュールとデザインの雰囲気を見て、こちらで仕分けます。なので、何着か同時並行で進みます。一気に装飾におりてくると大変なことになります。
――先ほどのラインストーンをつける人は、また別なのですね?
伊藤 別の人です。今は一人の方にしかお願いしてないです。
ふたつのトゥーランドット
――デザインを依頼されるときに、編集済みのプログラム曲が送られてくるということですが、それを聞きながらパソコンに向かうわけですね?バランスボールが置いてありますが。
伊藤 そうです。マックの前のバランスボールに乗ってデザインを考えます。跳ねたりして。腰にいいらしいです。
――考えてみたら、衣裳デザイナーは腰に悪そうな業種です。仕上がりの華麗さからは想像がつかないほどに過酷な仕事ですね。音楽の内容を調べたりは?
伊藤 歌詞の内容はチェックします。オペラやミュージカルもあらすじ等をネットなどで調べて、動画サイトでも舞台の演技を探します。
――今シーズンは、デザインされている本田真凜選手と宇野昌磨選手のふたりともが『トゥーランドット』です。
伊藤 本田選手の場合、プログラム全体のイメージをある程度持っているので、相談しながら作り上げていきます。『トゥーランドット』については、振付師の先生からゴールドの衣裳をリクエストされたので、それを含めてデザイン画を5案送りました。その中のひとつが現在着ている「赤」の衣裳です。たたき台をこちらで作って、途中途中で選手の好みに合わせていきます。
――主人公は、残酷で愛情深くて美しい。赤は「血」と「愛」を連想させて、本当にピッタリですね。
伊藤 まさにそれです。冷血な王女というイメージからか「青」のデザインが今までの主流なのですが、最後は“情熱的”に終わるので赤がいいと思ったんです。たぶん本田選手も赤を選んでくれるんじゃないかと思いました。
――イタリア語で、「彼の名前は、アモーレ!(愛)」と高らかに宣言して終わりますもんね。スカートの裾に向かって赤の色味が深くなっているのは本田選手のリクエストだとか。
伊藤 『ロミオとジュリエット』の衣裳も同じように濃くなっていて、あの感じでというリクエストがありました。
――女子選手はデザインの細部にまでこだわりがありますよね。宇野選手が「左右非対称だと演技のときに引っ張られるので対称にしたい」というようなリクエストをされていましたが、本田選手からも機能的なことを相談されたりしますか?
伊藤 あまり聞かないですね。逆にもっと石を増やしてほしいというのはあります。
――宇野選手の「青」のトゥーランドットは本当に素晴らしいです。唐草模様の一部が抜きになっているところが凝っていますよね。 “襟”の話を少しだけしていただけますか? 気が付かれたファンの方もけっこういると思います。
伊藤 実は、本番前に宇野選手本人が襟に二か所はさみを入れました。でも、ちゃんとビーズや石が落ちないように模様を避けながら上手に切っていました。今は、ほつれないようにかがってあります。
――最近、首の筋肉がしっかりしてきたので、仮縫いのときより窮屈になっていた可能性がありますね。急遽、針と糸を持って名古屋に行かれたとか。
伊藤 行きました。樋口先生とお母さまから、「勝手に切ってごめんなさい」と謝られたのですが、こちらが逆に申し訳なかったなと。なにより、自分が責任を持って切ったところがしっかりしていると感心しました。普通だったら誰かに頼みそうですよね。樋口先生もそこは褒めていました。
――勇気のいることです。デザイナーの伊藤さんに信頼を置いているならなおさらのこと。この衣装で勝ち上がってもらいたいですね。戦いの証です。
衣裳をデザインするときは、独自にストーリーを考える。
――樋口新葉選手の“007”ですが、とてもセクシーで好きです。少しグレーがかった紺も、胸に飾られたミラーもインパクトがあります。
伊藤 あのミラーは使ってみたかったんです。自分のイメージでは、女スパイの新葉ちゃんがパーティー会場に潜入して、敵に素性がバレてしまうんです。そこで、ちょっとありがちですが、ガラスのドアか窓を銃で撃って、割れると同時に飛び込んで姿をくらます。敵から見ると、女スパイの後ろ姿に割れたガラスがキラキラと飛び散る。
――そのシーンが見えるようです。女スパイというモチーフは、はじめから考えていましたか?ボンドガールというか。
伊藤 樋口選手のほうからは、「メインはアデルの曲の『スカイフォール』の方なので、そっちをメインにイメージして欲しい」と言われました。私も曲を聴いた時に、007やボンドのイメージよりアデルの歌声の方が印象に残りました。でもスパイにしたんですけど。
――『スカイフォール』感もあると思います。空が割れて落っこちてきたような。
伊藤 自分は衣裳をデザインするとき、独自にストーリーを考えるんです。後半アデルの曲に変わるところで、スパイの樋口新葉ではなく、ひとりの女性としての樋口新葉が現れるんです。銃で人を撃つって人を傷つけているわけですよね。殺しているかもしれない。たとえ正義だとしても、その悪人には両親がいて、もしかしたら家族もいる。そんなとき、樋口新葉の心も傷ついて割れるのではないかなと。そんな女性の内面を表現できればと思っていました。
―この解釈は本人に話したのですか?
伊藤 樋口選手には、「ガラスが割れるイメージ」としか話していません。大事なのはプログラムのコンセプトです。衣裳のコンセプトはあくまでも私が衣裳を製作するうえで必要なものであり、選手には余計なイメージを持ってほしくないです。
――短い黒の手袋がカッコいいですね
伊藤 ハーフグローブといいます。最近のトレンドでもあるんです。セレブの人たちが付けているのを見てかっこいいと思ったので。それに、やっぱり“スパイっぽい”かなと。
三原選手は、まだ何にも染まっていない純粋なイメージがあった。
――三原舞依選手のFPは「天使」がテーマだそうですね。曲が『ガブリエルのオーボエ』でこの衣装を見たときに、普通に“滝”だと思いました。
伊藤 実は映画を見ていないんです。曲と振付の動画は前もって送ってもらったので、そのイメージから。
――映画『ミッション』の冒頭で、南米の奥地に布教に行った修道士がイグアスの滝に落っこちるんですよ。十字架にくくりつけられて上流から流される。
伊藤 殺されるんですか!?
――殉教ですね。そんなに残酷な感じはなくて、むしろ神聖な雰囲気です。映画のポスターやDVD、CMもみんなこのシーンを使っていました。どこかに天使がいるかもしれませんね。
――一知りませんでした。三原選手からは「青」というリクエストはされていたんです。自分の中では、三原選手はまだ何にも染まっていない純粋なイメージがあったので、ちょっと薄い色味から始まって徐々に自分の求めるカラーに染まっていく感じでデザインしました。最終的には「自分色に染めて下さい」という希望を込めて。
――男女ともに上位選手の衣裳をデザインされています。特に女子は五輪の出場枠がふたつですし、応援に困ってしまいますね。羽生結弦選手も早く良くなるといいですね。
伊藤 ほんとうにそうですね。
――ちなみに、ご自身でフィギュアスケートの衣裳を着たことはありますか?前から気になっていました。
伊藤 ありますよ。会社員の頃ですけど。けっこうデザイナーはみなさん着てるんじゃないですかね。フィッティングを知るためにも。
――やはりそれは必要なのでしょうね。ひらひらのを着たのですか?
伊藤 ひらひらのも着ました。男子のは着ていません。女子のだけです。
――ストーンの重さもわかりますよね。
伊藤 意外と軽いんですよ。350グラム…全部で400グラムはいかないと思います。布は凄く軽いのを使います。
――触らせていただいて、布の軽さには本当に驚きました。
(※後編は、伊藤聡美さんのデザインの原点とデザイン哲学に触れる)
◆伊藤聡美(いとうさとみ)高校卒業後、服飾専門学校のエスモードジャポンに入学。08年神戸ファッションコンテストで特選を受賞し、英ノッティンガム芸術大学へ留学。帰国後、チャコット社でフィギュアスケート衣装に携わるようになり、15年に独立。
http://cargocollective.com/stmito[後編はこちら]フィギュアスケート・衣裳デザイナー伊藤聡美の『デザイン哲学』
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