文=いとうやまね
杜の都の伝承
©Getty Images 七北田川は、北西部にそびえる「泉ケ岳」を水源とする。山中に湧き出す美しい水は、多くの細流と合流しながら蛇行し、西から東へ、やがて仙台湾へと達する。この川にはいくつかの逸話がある。その一つが、七北田川の旧名「神降川(かみふりがわ)」、あるいは「冠川(かむりがわ)」にまつわるものだ。
神降(かみふり)の名は、農業の守り神「志波彦(しわひこ)神」がこの地に降りてきたことに由来する。冠(かむり)については、やはり志波彦神が白馬で川を渡ろうとして石につまずき、頭の冠を川の中に落としてしまったという伝承から来た名前だ。その志波彦神だが、一説によればスサノオであるとか。なかなか神さびた土地である。
泉ケ岳は、四季を通じて様々な表情を見せてくれる。仙台市内の多くの学校が、この山を林間学校に指定しているので、羽生にとっても思い出のある山かもしれない。広大な山林には、ブナの原生林も残されている。これら手つかずの自然も、低地に広がる田畑も飲み水も、すべて泉ケ岳が生み出す豊かな水に支えられているのだ。このことから、泉ケ岳は古来より「水神」を祀る霊山として人々に崇拝されている。
水神……羽生はまさにそんな装いである。
煌めくピアノのアルペジオは、止めどなく溢れ出す湧水を想起させる。羽生はかすかな音を立てながら、滑走を始める。
生まれたばかりの湧水は、岩の隙間を走りぬけ、時おり四方に砕け散る。そのしぶきは、大地や草木に潤いをもたらす命の源だ。
緩やかに流れるストリングスは、巨木をぬって吹く風。目をつむると、そこに二百余年のブナの木が揺れる。
見渡せば、群生する森の花々が、樹間から漏れる陽光に手を伸ばしている。
羽生が光の輪を描く。
森に生まれた七つの泉は、水神の指先が瑠璃色に染めたもの。底をのぞけば、深い碧に遠いむかしの自分が映し出される。
(流れを止めるな、先に進め)
七つの森を超え、小川はいつしか大河になる。そして、長い旅路の果てに大海に流れ込むのだ。
やがて海が雲を作り、風が霧を運び、森に恵みの雨をもたらす時、大地はふたたび地中に命の水を抱く。
何億年も昔から、繰り返し、繰り返し……。
超えるもの
©Getty Images Hope & Legacy(希望と遺産)というコンセプチュアルワードは、作曲家・久石譲氏が長野パラリンピックのフィナーレをプロデュースした際に生まれたものだ。みなで共有するテーマを久石氏が提案したのである。
「障害があっても希望(ホープ)を持って生きること。希望を持てば、必ず乗り越えられること。アスリートとしての姿を見せ、障害者も健常者も共に生きられる世界、その新しい価値観を作り出すことがレガシィ(遺産)になる」
こうして生まれたのが、テーマソング『旅立ちの時~Asian Dream Song~』である。すでに発表されていた曲だが、ドリアン助川氏の作詞で合唱曲に生まれ変わった。
「今地球に生きる者よ、旅立ちの勇気を」
「夢をつかむ者たちよ、君だけの花を咲かせよう」
厳しくも、深い絶対的な愛は、大自然そのものだ。羽生は長野五輪・パラリンピックが開催された1998年にフィギュアスケートを始めたという。青年になった今、この曲に何か運命的なものを感じたのかもしれない。プログラムは、『Asian Dream Song』を挟むように、久石氏の代表曲『View of Silence』がアレンジされている。題名は、久石氏がフィナーレのテーマにした『Hope & Legacy』が踏襲された。
久石氏は著書でこんなことを書いている。ある映画監督からの曲依頼についての話だ。
「映画を作ろう、監督をやろうという人は、想像力にあふれている。自分の持てるすべてを投入して映画を撮っている。こちらもそれに太刀打ちできるだけのもので応えなければならない。監督は、実は自分の要求したイメージの殻を突き破るような新鮮味のある音楽を求めているのだ」
コーチと選手、振付師と選手は、映画監督と音楽家の関係によく似ている。互いにすり合わせ、ぶつかり合いながら、さらなる上を懸命に模索する。“要求したイメージの殻を突き破るような”羽生の進化はつづいてゆく。その中にこそ、「希望と遺産」が生まれるのだ。
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