取材・文・写真/Baseball Crix編集部

打者のレベルが低下、大卒投手の評価はアテにならない?

――2016年はドラフト1位で入団した大卒投手たちが苦戦しました。桜井俊貴(巨人)、上原健太(日本ハム)は未勝利に終わり、原樹理(ヤクルト)も2勝8敗と黒星先行。活躍したのは8勝8敗、防御率2.93の今永昇太(DeNA)くらいでした。

石毛 高校レベルでは140キロ以上投げる投手が増えてきたが、それでも金属バットの高校野球だと力関係は五分五分。だが、大学に入ると野手は木製バットへの対応に苦労する。ここで一気に投高打低の構図になる。投手として大学時代に評価を上げても、プロの世界では大学時のように思い通りにはいかない。急になにかを変えようとすると、それが故障に原因にもなる。プロで本当に通用するのか否か、スカウトの眼力が試されるよね。

――石毛さん自身も大学は木製、社会人は再び金属バットを使っていたとか。

石毛 そう。わたしは高校の最初の頃は木製バット。高校3年になってから金属になって、大学では再び木製。そして社会人時代はまた金属バットに戻った。

――環境やバットがコロコロ変わる中で、西武入団1年目から正遊撃手として打率.311、21本塁打、55打点の成績で新人王を獲得しました。簡単に対応できましたか?

石毛 できるでしょう。金属バットの弊害、功罪はいろいろあると思うが、要はバットという道具を使って打つわけだから。わたしに言わせれば、野球もゴルフも、金づちで釘を打ち込むのも同じテコの原理。コツを掴めばなんてことない。

――当時の社会人野球出身投手は、金属バットに鍛えられた選手も多かったと記憶しています。1989年のドラフト1位選手は、野茂英雄(近鉄/新日鉄堺)、潮崎哲也(西武/松下電器)、佐々岡真司(広島/NTT中国)、与田剛(中日/NTT東京)、西村龍次(ヤクルト/ヤマハ)と社会人投手だけでも錚々たる顔ぶれでした。

石毛 彼らの多くは、空振りが奪えるフォーク(ボール)を決め球にしていた。金属ならバットの先端や詰まらせた打球でも距離が出ることがある。野茂も佐々岡も与田も、プロ入団当初から素晴らしいフォークを投げていた。

プロ野球界のOBとして競技人口回復を目指す

――大学の打者レベルが落ちた話ともつながるのですが、球界全体でも見ても優秀な野手が減っている傾向にあります。

石毛 それは時代の変化もあるよね。わたしたちの時代とは違い、いまはサッカーやバスケットにもプロリーグがある。遊びの多様化も含め、子どもたちの選択肢が広がっているのは事実だし、身体能力の高い子どもたちが野球界へ集まりにくくなっている。

――確かに、野球で遊ぶ子どもたちを見る機会もなくなりました。

石毛 そうだね。ひと昔前は、遊びのなかで正しい身のこなしを学んだ。いまは遊べる場所自体が少ないし、子どもたちの運動会を拝見しても、運動音痴な子が多いと感じる。子どもたちに「ボールを投げてみて」とリクエストしても、見たことがないから「どうやって投げるんですか?」と逆に聞かれる。地上波での野球中継がないんだから当然だよね。

――少子化が進むなかで、競技人口確保の手立てなどはあるのでしょうか。

石毛 OB会などではティーボール(※練習器具でもあるティーゲージを使い、止まったボールを打つことからはじめるゲーム)の普及に力を入れていて、授業のなかで野球をしてもらう取り組みをしている。そうでもしないと、いまの子どもたちは野球という競技自体に触れる機会自体が少ないからね。

――競技人口もですが、指導者も減少傾向にあると聞きます。

石毛 厳しく接する上司、先生、指導者がめっきり減ってしまったからね。わたしたちの時代はきつい練習を厳しく教わった。ただいまは、ちょっと厳しくすると「パワハラだ」と言われる。情熱を持った先生や指導者はいるんだろうけどね……。

野球は稼げるしロマン溢れるスポーツ

©︎共同通信

――「厳しく指導する」という線引きも難しいですよね。

石毛 いまはきついことを優しく伝える時代。その辺りは栗山(英樹/日本ハム監督)が上手いと思う。厳しく指導されると嫌悪感を抱いたりもするが、時間が経つと感謝の気持ちに変わったりもする。ひと昔前の師匠と弟子のように、徒弟制度みたいなものがもう少し見直されてもいいと思うけどね。

――栗山監督は優しい口調ですが、大谷翔平や中田翔に対する言動を聞いてみると、求めるレベルは高いですよね。

石毛 彼は伝え方が上手い。大谷なんかを見ていると、レベル低下が叫ばれる時代だけど、いつの時代にもスーパースターは出てくるんだなと改めて思った。高卒選手では清原(和博)や松井(秀喜)にも驚いたけど、大谷もすごい。松坂(大輔)も1年目から活躍したけど、大谷の場合は投手と打者の両方だからね。規格外だよ。あと大谷は野球というスポーツの醍醐味を示してくれている。「活躍すればお金になる」「22歳なのに2億7000万円も稼げる」など、夢を与えるためには露骨な伝え方も大事だ。

――2016年は駒沢大の後輩・新井貴浩(広島)も2000安打を達成し、39歳にして再び1億円プレイヤー(1億1000万円、金額は推定)に帰り咲きました。

石毛 大学時代の新井は下手でどうしようもなかった。でも野手の守備機会なんて1試合のなかで2度か3度。新井は守備のミスを打撃でカバーしてきた選手だし、守備もやり続けることで少しずつ上達した。彼は練習をやってやってやり続けて、2000本安打を達成した努力の人。見方を変えれば、野手が育ちにくい時代だからこそ、39歳になっても重宝されているのかもしれない。

(プロフィール)
石毛宏典
1956年、千葉県生まれ。銚子高-駒沢大-プリンスホテルを経て、ドラフト1位で1981年に西武へ入団。1年目から新人王を獲得するなど、若きチームリーダーとして黄金時代をけん引。西武在籍時は11度のリーグ優勝、8度の日本一を経験し、1995年からは2年間、ダイエーでプレーした。現役引退後は、ダイエーの二軍監督、オリックスの監督を歴任し、日本発の独立リーグである四国アイランドリーグを創立。現在は、野球教室、野球塾、講演、他のアスリートのクリニック、講演等も行う。


BBCrix編集部