「もうあれから1年か。。。」
この1年の仕事の整理をしていて何気なく口にした言葉だ。今年の相撲取材は、仕事初めの1月4日から大スパークしていた。史上初の理事解任。貴乃花親方の処遇を決める評議員会は、この騒動の助演女優賞ともいえる池坊保子議長が議論をまとめ上げ、全会一致で理事解任を決議した。
この日から通常編成に戻るテレビ局にとっては、ネタに困るのが常だ。しかし、今年は「貴乃花理事解任」のビッグニュースが入ることが2017年末からわかっていたので、どこの局も手ぐすねを引いて処分発表を待っていた。チャンネルを回すと、”正義“を貫き通した貴乃花を持ち上げるコメンテーターであふれる。助演女優の半端ない悪役ぶりも手伝って、貴乃花の株価は大発会からストップ高といった様相だった。
この問題では、いつも同じ違和感を覚えていた。どのチャンネルを見ても、どの週刊誌を見ても、スポーツ紙も日刊紙も、貴乃花は相撲協会という“悪”に対抗する正義、改革の旗頭である。でも貴乃花は公の場で一言もしゃべらない。コメンテーターは何を根拠に貴乃花は間違っていない、相撲協会は貴乃花を悪者にしている、貴乃花の改革を止めている悪だ、という類のコメントができるのだろうか?と。平成13年夏場所千秋楽。横綱・貴乃花はほとんど動かない右足の痛みを押して強行出場、優勝決定戦で武蔵丸を破って22回目の優勝を果たした。当時の小泉首相が表彰式で直接語った「痛みに耐えてよく頑張った、感動した!」という名言。平成の大横綱・貴乃花を不動のものにした瞬間だった。横綱・貴乃花の実績、名声を否定する人はいないだろう。本当に素晴らしい横綱だった。しかし、お世辞にも言葉を持つ横綱ではなかった。現役時代の貴乃花の言葉で、いまも語り継がれるような言葉があるだろうか?支度部屋で記者を相手にほとんど具体的に相撲の話をしたことはなかった。「勝つこともあれば負けることもある。それが相撲です」「ただ自然体に」など、理念を語り実直さは間違いない力士だったが、言葉は少なかった。しかし、引退した彼に世間は名親方、将来名理事長になることを期待した。そして相撲界の掟を破って、一門を割って理事選に出馬し当選したとき、相撲界をリードする“改革派”というイメージが親方としても作り上げられることになった。しかし、この“改革派”キャラは、結果として貴乃花親方を苦しめることになる。
貴乃花親方は口上で「不惜身命」という言葉を使った。この言葉は現役を引退してからも貴乃花親方の支えであったことは想像に難くない。誰よりも相撲を愛し、大相撲の持つ伝統を守ろうとした。
理事になったとき「改革ではなく、相撲を通じて受け継がれてきた日本の美学を後世に伝えたい」と話したのは、まさに本心であろう。実際、時津風部屋の暴行死事件以来不祥事が相次いだことを受けて、ガバナンスの強化のため日本相撲協会が部屋の管理を強める動きに最後まで反対していたのは、貴乃花親方その人であった。そういう意味では保守派の筆頭だったのだ。日馬富士騒動が起きたとき、横綱がこんなことをするのは許されない、別の部屋の力士を弟弟子と呼ぶなどありえない、部屋の枠を越えたモンゴル会のような交わりは許せない、そしてかわいい弟子をこんなに傷つけられたことは許せない、貴乃花親方がこう思ったのは相撲の伝統を守りたいという純粋な思いからだったに違いない。
しかし、ここで貴乃花親方は、ある勢力に利用されてしまう。それは現在の執行部と対立する人たちだ。かつて貴乃花親方が心酔していた人物も含まれる。横綱の不祥事は、相撲協会の不祥事。だから執行部に批判を向けられる。ここでは深い話しはしないが、こうした勢力は一部のマスコミを使って協会vs貴乃花の構図を作り出した。これにワイドショーが飛びつく。無言を貫く貴乃花親方の代わりに、支援者や会友と言われる元記者、コメンテーターたちが好き放題しゃべる。本来は横綱が別の部屋の力士を殴ってけがをさせた傷害事件のはずが、あたかも組織を守る相撲協会vs組織を変える貴乃花親方という構図に落とし込まれていく。池坊保子議長や強面の八角理事長、使い走りのように封筒を持って行く鏡山理事、キャラの立った共演者たちが、ストーリーをどんどん面白くしていく。あっという間に、このネタは、民放の情報番組の”キラーコンテンツ”になった。視聴率曲線は右肩上がり、ずらりと並ぶコメンテーター陣にとっては貴乃花親方を擁護して、相撲協会をズバッと切り捨てれば視聴者も喜ぶ、まさに最強のネタだからだ。かくして改革派・貴乃花というイメージが作られ、某局の人気女子アナなどは「貴乃花親方は相撲協会をよくしたいだけなのに」と根拠もなく真顔で話しをまとめる始末となった。
でも、よく考えてほしい。貴乃花親方は3月の春場所で貴公俊が暴行事件を起こすまで無言を貫いている。貴乃花=改革派としている根拠は、現役時代からのイメージでしかないのだ。強いてあげるならば、大阪場所担当部長時代に吉本新喜劇に出演したこと。覚えているのは、池乃めだかを前にずっこけているシーンくらいだったが、大きな根拠になった。貴乃花親方=痛みに耐えてよく頑張った大横綱。なにがあっても正義なのだといういわば”大横綱の幻影”にみんなが引っ張られた結果だった。一方で、貴乃花親方自身はどうだったのか。何も言わなくても、支持者からも世間からもどんどん正義の味方に祭り上げられていく。改革について語らなくても、コメンテーターが好き放題“改革派”に仕立て上げる。大横綱・貴乃花の現役時代と同じように。ただ違うのは現役時代には相撲道という誰にも負けない芯があったこと。それでも、この無敵状態は、本人だけでなくそれを利用しようとした人たちにとって心地よいものだった。それは、大横綱の幻影だと知りながらも。しかし、3月以降、貴乃花親方はこの幻影に悩まされ、そしてこの幻影につぶされていくことになる。
すでにご存じであろう支度部屋での貴公俊の暴行。それをかばった貴乃花親方は、まさかのブーメランを食らうことになる。もちろん暴力はいけない。でも部屋のなかで起きたトラブル(場所は支度部屋だが同部屋の力士同士という意味)だから進退までは問われないだろう。部屋制度、部屋の中の上下関係をかたくなに守ってきた貴乃花親方にとってはこの程度は許せる暴力だったはずだ。しかし、正義の味方がそんなことを言っちゃいけない。貴乃花親方は、自らが利用していた正義の味方というキャラに傷つけられていくことになった。そうした貴乃花親方を近くで見ていた親派とされた親方たちの心は徐々に離れていった。現役時代、相撲道で追随を許さなかった横綱・貴乃花は、こんなキャラに乗っかるような人間ではなかったからだ。何より、貴乃花親方自身がそんな自分に嫌気を差してしまったのかもしれない。世間のイメージと本当の自分に板挟みされた結果、
平成の大横綱は「災」を巻き起こしてしまったと筆者は考える。
世間のイメージにつぶされた平成の大横綱。貴乃花狂騒曲に踊らされた2018年を振り返る
今年もこの季節がやって来た。2018年を象徴する漢字は「災」に決まった。これだけ災害が続いた年もめずらしい。納得の選考だが、相撲ファンに限って聞けば、ほとんどの人が「貴」と答えたのではないだろうか。貴乃花親方の理事解任に始まり、貴ノ岩の引退に終わった今年の相撲界。相撲をこよなく愛する筆者からすれば貴景勝の初優勝がかすんで見えることは残念でならないが、ワイドショーや週刊誌を巻き込んで平成30年の話題の中心にあった「貴乃花狂騒曲」とは何だったのか、筆者が見た本当の裏側を紹介する。(文=羽月知則)
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