最近見当たらない事象
大の里が夏場所後に最高位を射止めれば、幕下10枚目格付け出しの初土俵から所要13場所。現行の年6場所制となった1958年以降初土俵の力士では最速記録を大きく更新する。これまでのナンバーワンは、幕下最下位格付け出しでデビューした輪島の21場所。そして学生相撲出身者としては史上2人目の横綱となる。これまでただ一人の横綱経験者も日大出身の輪島だった。しかも石川県津幡町出身の大の里にとって七尾市出身の輪島は郷里の大先輩に当たるなど、何かと縁深い。
第54代横綱の輪島は左差しから「黄金の左」と呼ばれた下手投げが得意で優勝14回。それを支えた右から相手の腕を絞る攻めも強烈だった。派手な大型車リンカーンコンチネンタルで場所入りしたり、地方場所では高級ホテルに泊まったりと型破りな行動でも目立った。第55代横綱北の湖と熾烈な争いを展開し「輪湖(りんこ)時代」の中心にいた。対戦成績は輪島の23勝21敗で、角界の盛り上げに貢献した。
2018年10月に下咽頭がんと肺がんの影響による衰弱のため亡くなった。2015年11月、かつての好敵手北の湖が先に死去した際には書面で次のようなコメントを寄せ、ライバルを弔ってもらったことが思い出される。「運動神経が抜群だった。一度掛けた技は二度は通用せず、頭のいい力士だった。昔のライバルが相撲界で頑張り続けていることが、とてもうれしかった。お互いに病気と闘っていたが、先に逝かれて寂しい」。二人にしか分からない境地だった。
洋の東西を問わず、ライバル同士の激突はファンの心をくすぐり、その競技の関心度向上につながる。大相撲の場合、横綱同士のライバル関係は近年欠けている要素だ。以前は栃錦と初代若乃花の「栃若」、大鵬と柏戸の「柏鵬」、北の富士と玉の海の「北玉」など各時代があり、一番最近では、朝青龍と2007年夏場所後に第69代横綱となった白鵬の「青白時代」か。朝青龍の突然の引退後は白鵬の〝一強〟で優勝45回を重ね、入れ替わるように最高位に就いた照ノ富士も一人横綱が続いた。
豊昇龍が1月の初場所後に昇進して第74代横綱となった。新横綱だった3月の春場所は右肘の負傷で途中休場に終わり、夏場所で巻き返しを期す。これまでの対戦成績は豊昇龍の5勝1敗(不戦敗1を除く)。豊昇龍が強さを取り戻すかにもよるが、もし大の里が昇進してせめぎ合えば「大豊」もしくは「豊大」と称される時代が到来し、大相撲人気のさらなる継続につながっていく可能性もある。
手帳を持たなかったわけ
輪島と北の湖の強さを支えた共通点の一つとして、頭脳を存分に駆使していた点に行き着く。輪島はかつて「相撲は頭だよ」と明かしていた。馬力では北の湖の分があったものの、身長186センチ、体重130キロ前後の体で最高位に君臨した裏側には綿密に考え抜いた末の取り口、ひらめきがあった。
史上最年少の21歳2カ月で最高位に上り詰めた北の湖については、先に紹介したライバル輪島による「頭のいい力士だった」とのコメントが象徴的だ。とにかく記憶力が抜群。現役を辞めて日本相撲協会の理事長になってからも、報道陣の取材に対し、どの場所の何日目に誰と対戦し、どんな相撲だったかをすらすらと振り返ったことがあった。現代のようにインターネットが発達しておらず、動画投稿サイトのユーチューブなどがない時代には、体感を伴いながら脳に蓄積されたデータは大きな武器になっていた。
実は相撲以外の事柄にも同様だった。同じく理事長時代、私はある年の10月のイベントについて春先に日程調整の打ち合わせに赴いたことがある。その際、北の湖理事長は間を置かず「10月のその週は月曜日以外なら空いてるよ。月曜日は海外からお客さんが来るからね」と明確に返答した。しかも手帳などを見ずに―。いや、そもそも手帳のたぐいは持たなかったという。理由は「手帳があると、そこに書いて安心してしまって、かえって忘れてしまうことがあるからね。頭の中に入れておいた方がいい」。優勝24回で〝憎らしいほど強い〟と形容された横綱経験者だけあって、一般的な感覚とは別次元の面があった。
ちょうど2年前の夏場所で初土俵を踏み、先場所を含めて早くも優勝3回の大の里。場所を重ねるごとに相手の研究も進み、最近では得意の右差しを果たせないときに引いてしまう癖を突かれることがある。横綱を目指す上では「輪湖」のように、これまで以上に思考を巡らせていかなければならない状況も想定される。豊昇龍の昇進時には直近数場所の白星が少なかったことなどを理由に賛否両論渦巻いた。先人たちへの追憶に導いてくれる大の里はプレッシャーをはねのけて文句なしの成績で大願を成就させるのか、真価が問われる。