横綱は1日3番?
「勝って当たり前」とみなされる横綱。大関以下とは全く別次元の重圧が待っている。陥落がない代わりに、不成績が続けば引退に直結。壮絶な覚悟にまつわる逸話は、枚挙にいとまがない。例えば、優勝31回を誇る元千代の富士の九重親方は生前、こうつぶやいたことがある。「土俵に立てば、信じられるのは自分だけ。横綱というのは孤独なもんだよ」。優勝45回の宮城野親方(元白鵬)は横綱に昇進した際、尊敬する元横綱大鵬の納谷幸喜さんにこう伝えられた。「横綱になった時、引退することを考えた」。身が引き締まり、腹を決めたという。
これまで新横綱で優勝したのは9人。直近の2人、第72代の稀勢の里と第73代の照ノ富士はともに新横綱場所で賜杯を抱いた。しかし、新横綱の場所が一人横綱で、いきなり制覇した例はない。昇進にまつわる行事で多忙になり、調整への影響が出やすい。加えて、本場所興行の目玉の一つ、横綱土俵入りは周囲の想像以上に心身へ負担がかかるようだ。連日、重い綱を腰に巻き、精神を極度に集中させて所作を披露。宮城野親方は「横綱土俵入りは、本場所で2番取るのと同じくらい大変」と語っていた。
豊昇龍は場所前の稽古で右肘にサポーターを装着し、不安をのぞかせた。右でまわしを取っての引きつけや投げは大きな武器だからだ。さらに番付上、前半戦から阿炎や若隆景、若元春といった実力者たちと顔を合わせる。7・8kgの綱を締める第74代横綱は「僕がやらなくてはいけないという気持ちがある。負けても休場しない。最後までやる」。発言に強い責任感が漂い、どう逆境打破に結びつけるかが鍵となる。
「横綱にしてよかったなあ」
1月の初場所では昇進に賛否が渦巻いた。2場所前の昨年九州場所が琴桜との大関同士による千秋楽相星決戦に敗れて13勝2敗。初場所はともえ戦を制して12勝3敗で逆転優勝したものの、黒星は全て平幕に喫した。昇進問題を預かる日本相撲協会審判部内では物足りなさから昇進見送り論も出た中、横綱審議委員会(横審)と相撲協会理事会を経て昇進が決定した。それだけに、春場所では是が非でも好成績を収め、最高位にふさわしいことを証明したいところだ。
相撲へのひたむきな姿勢や執念で〝土俵の鬼〟と呼ばれた元横綱初代若乃花も、1958年初場所後に昇進したときには反対意見を受けていた。2場所前は優勝次点(優勝力士と3差)の12勝3敗、直前場所は13勝2敗で2度目の優勝だった。横審では一部委員から根強い反対が飛び出して紛糾。議論百出の末の昇進となった。
それでも、のちに優勝回数を10回に伸ばし、引退後は協会理事長を務める立派な相撲人となった。当初は自身でも不安を抱えながら179cm、105kgの小さな体で鍛錬を続行したのが奏功。数場所後、稽古での自信みなぎる様子を生前の著書で明かしている。当時の時津風理事長(元横綱双葉山)らの目の前で20人くらいを相手にがんがん胸を出して稽古をつけた場面に「時津風理事長の顔がニヤーッとなった。上がりさじきから『横審ではもめたが、やっぱり横綱にしてよかったなあ』という声が聞こえてきたような気がした」(「私の履歴書 最強の横綱」)。豊昇龍はまだ25歳。同様に稽古に励んで角界をけん引し、周囲にも昇進を納得させるような存在になっていくことが期待される。
安青錦の支え
安青錦は初土俵から所要9場所のスピード出世で新入幕を果たした20歳の有望株。幼い頃から日本文化に興味を抱き、7歳から相撲を始めた。外国出身力士にありがちな力任せの取り口ではなく、前傾姿勢で前まわしを引きつけながら攻めるのが持ち味。理にかなった戦法は底知れぬ将来性を感じさせる。支えになっているのが頑丈な体。同じ伊勢ケ浜一門で、以前からよく稽古をしてきたある幕下力士は、安青錦と肌を合わせた感覚を次のように証言した。「とにかく体幹が強くて、いくら攻めようとしてもなかなか崩れない。投げも強くて、やばいですよ」。
相撲界では、新入幕力士は勢いに乗ると大勝ちしやすいとよく言われる。取組は初顔合わせのことが少なくなく、対戦相手にとっては不慣れなことが新入幕の有利に働くとの説がある。10勝以上するとよく三賞の敢闘賞候補になり、安青錦も2桁勝利と三賞獲得を今場所の目標に掲げた。
格闘系スポーツでウクライナ出身といえば、ボクシングの世界ヘビー級3団体統一王者、オレクサンドル・ウシクが世界的に有名。昨年5月、自身より10kg以上重いタイソン・フューリー(英国)からダウンを奪って判定勝ちを収め、最重量のヘビー級で史上初めて世界主要4団体王座統一に成功した。同12月の再戦でもフューリーを退けた。母国の領土防衛隊に入ったこともあり、戦績は23戦全勝(14KO)。全階級を通じた最強ランキング「パウンド・フォー・パウンド」で1位に君臨する。ウシク同様、祖国へ並々ならぬ思いを持つ安青錦。ロシアの侵攻を受けた後、相撲を続けるために知人を頼って2022年4月に来日した。「皆さんに強い姿を見せたい」。熱い気持ちを胸に秘め、浪速の春を沸かせるポテンシャルを十分に秘めている。