前人未踏の41回の優勝を誇る白鵬はこの1年6場所のうち4場所で休場。初場所を途中休場した鶴竜は横綱になって11回目の休場だった。
本場所観戦は一生に1回という人もたくさんいるのに、その日に横綱の土俵入りがないというのは何とも悲しい話だ。

相撲協会には体たらくな横綱に「喝」を入れるお目付役がいる。
横綱審議委員会。「横審」とも呼ばれる相撲協会唯一の諮問機関だが、いまその存在意義が問われている。

横綱審議委員会って?

横綱審議委員会とは、いったいどんな組織なのか?

相撲協会のホームページでは唯一の諮問機関で「協会外の有識者の委員によって構成され、主に横綱の推薦を行う機関」と定義づけられている。具体的に説明すると「協会外の有識者」とは、例えば大学の教授やマスコミの幹部、それに政財界の大物と言ったところだろう。協会外だから元力士は含まれない。

現在の委員長は矢野弘典氏。現職は産業雇用安定センター会長で、かつて経団連の専務理事も務めた人物だ。稀勢の里に「激励」の決議をしたときの委員長北村正任氏は今年の初場所限りで5期10年の委員の任期を終え退任した。北村氏は毎日新聞の元社長で、日本新聞協会の会長も務めた。現代の水戸黄門様のような風貌が特徴的だった。

現在は矢野委員長以下9人の委員で成り立つ横審。就任順に岡本昭氏(岡安証券最高顧問)、宮田亮平氏(文化庁長官)、高村正彦氏(前自民党副総裁)、杉田亮毅氏(元日本経済新聞社長)、勝野義孝氏(弁護士)、山内昌之氏(東大名誉教授)、都倉俊一氏(作曲家)、丹呉泰健氏(JT会長)とそうそうたる顔ぶれだ。定員は15人だが10人前後というのが通例である。

次に「主に横綱の推薦を行う機関」という権限に注目しよう。
詳しくは後ほど述べるが、その言葉通り横審は相撲協会の諮問に基づきその力士を横綱に昇進させるべきかどうか判断する権限がある。言い換えると、横審の推薦がなければ横綱は誕生しない。

横審には横綱を推薦する上での内規がある。その中で最も有名なのが「大関で2場所連続優勝、またはそれに準ずる成績」というものだ。それ以上に重要な項目がある。それが「品格、力量が抜群である」ということ。品格と力量、決して物差しではかれないふたつの要素の見極めを託されているのが横審と言うことになる。この「品格、力量が抜群である」という規定の裏返しとなる権限もある。引退勧告をはじめとする不成績もしくは著しく横綱の体面を汚す行為のあったものに対する「決議」だ。すなわち品格や力量が横綱に値しないと考えたとき決議を行うわけだ。

去年の九州場所後に稀勢の里に出された「激励」の決議。「激励」の言葉の意味は「励まし、奮い立たせること」ではあるが、実際は「次の場所に進退の覚悟を持って臨め」という極めて厳しい宣告だったのだ。大相撲の最高位横綱に対して、絶大な権限を持つ組織であることがお分かりになったと思う。

横綱誕生 内規の運用は時代によって変わる?

横審の定例の会合は年6回、本場所の千秋楽の翌日午後5時半開始というのが決まりだ。
なぜ千秋楽の翌日か?その答えは「横綱の推薦を行う」という権限にある。要は、好成績をあげた大関を横綱に昇進させたいとき、その昇進を諮問するのが千秋楽の翌日という流れになるからだ。どの場所後でも、いつでも横綱昇進を相談できるように、毎場所後の千秋楽の翌日に定例の会合が開かれるわけだ。2000年以降誕生した横綱は第68代横綱の朝青龍から第72代横綱の稀勢の里までの5人。この20年で諮問はわずかに5回しかなかったが、毎場所後に会合は開かれてきた。

しかし、横審が「NO」と言えば新横綱は誕生しない。平成6年の秋場所で全勝優勝した当時の大関・貴ノ花の昇進を見送ったのは有名な話だ。
新聞各紙が横綱誕生は確実と大々的に報じる中、横審は首を縦に振らなかった。
理由はその前の名古屋場所で11勝4敗にとどまっていたことを問題視し「大関で2場所連続優勝」という内規にこだわったからだった。

貴ノ花は初場所、夏場所に続きこの年だけで大関で3回の優勝を果たしていた。しかも今回は全勝優勝。人気絶頂の貴ノ花の昇進を見送るという判断には賛否両論入り乱れたが横審は毅然とした判断をした。その雑音を収めたのは貴ノ花自身だった。翌九州場所で再び全勝優勝し文句なしの成績で横綱の座をつかみ、横審の判断をむしろ際立たせた。

時代は流れ平成29年初場所、横審は初優勝の大関・稀勢の里を満場一致で横綱に推薦した。
もちろん稀勢の里のその前の場所の成績は12勝3敗で優勝した鶴竜(14勝1敗)に準ずる成績ではあったが星2つの差は大きい。その背景に貴乃花の兄、3代目若乃花以来の日本出身横綱の誕生を願う国民の圧倒的な後押しがあったことはご記憶の通りだ。
しかし、貴ノ花の昇進を見送った例を考えれば、時代によってその判断は大きく変わるものだと感心してしまう。こうして誕生した横綱・稀勢の里はご存知のように新横綱の場所で左胸と腕に大怪我を負う。最終的には力士生命を終わらせる怪我となり、実働(15日間出場)わずか2場所という超短命横綱を生んでしまうこととなった。

機能を果たせなかった横審

このことをして稀勢の里を横綱に上げた横審の判断は間違いだったと言う人もいるが私はそうは思わない。直近の6場所で12勝以上が4回と成績は安定していたし、左四つを磨き上げてきた相撲は横綱にふさわしいものだった。

残念なのは横審の委員の中に昇進させたことを悔やんだり失敗だったかなと口走る人がいたことだ。稀勢の里は短命でありながら横綱として不名誉な記録をいくつも作ってしまった。8場所連続休場や不戦敗を除く8連敗(場所をまたぐ)が代表例だ。そして史上初めて不成績を理由に「激励」の決議を受けた横綱としても名を刻まれる。

考えて欲しいのは、この不名誉な記録の連続は稀勢の里を横綱に昇進させたことが原因なのか?ということだ。究極をいえばそうだが、横審には先にも述べたように横綱に引導を渡す権限が備わっている。もっといえば、不名誉な決議などする前に師匠と本人を呼んで適切な引き際に導くことだってできたはずだ。意見を理事長に託したっていい。
いや、かつての横審だったら確実にそうしていたのではないかとさえ思う。

ご存知のようにかつては15日間出場して負け越した横綱もいた。7場所までなら連続で休場した横綱もいた。しかし、繰り返しになるが不成績を理由に決議が行われた横綱は1人としていなかった。それは横綱という最高位の力士の最後、誰しもが迎える引退という瞬間に、その体面を汚さず適切に導く人たちがいたからだろう。まさに裏方の仕事だが、それができるのは師匠や有力な後援者、そして横綱審議委員会だ。

第3者の立場でいられる横審にこそ期待する人は多いと思うし、私もその1人だ。
待望の日本出身横綱となった稀勢の里にとって、ほとんど実働できない中での引退は身を切られる厳しい決断だっただろう。しかし、ここまでボロボロになって引退するのは私の知る限り最悪のシナリオだ。

横綱・稀勢の里の誕生を全力で後押ししながら、肝心の引き際で機能を果たせなかった横審。
ただお茶を飲みながら景気のいい話ばかりをする横審なんてはっきり言って必要ない。そう思わざるおえない稀勢の里の横綱人生だった。


羽月知則

スポーツジャーナリスト。取材歴22年。国内だけでなく海外のスポーツシーンも取材。 「結果には必ず原因がある、そこを突き詰めるのがジャーナリズム」という恩師の教えを胸に社会の中のスポーツを取材し続ける。