バスケのワールドカップ!?

この快挙にバスケファンは拍手喝采し、関係者はホッと胸をなで下ろした。というのも、この「FIBAワールドカップ2019」への出場が、来年の東京オリンピックにおける開催国枠適用をぐっと手繰り寄せる、とされていたからだ。事実、3月30日(日本時間31日未明)にコートジボワールで開催されたFIBA(国際バスケットボール連盟)のセントラルボードで、5人制男女、3人制(3x3)男女の4種別とも開催国枠の適用されることが正式に決まった。

このニュースが流れた31日は、プロバスケットボール「Bリーグ」の開催日で、各地の試合会場では日本代表選手が、東京オリンピック出場決定に関する感想を求められている。そんな中、代表チームのキャプテン篠山竜青(川崎ブレイブサンダース)は、「ワールドカップへの出場権は得ていましたし、そこは(オリンピックの出場権獲得は)自信がありました」とコメント。つまり、男子バスケにとってはワールドカップ出場が悲願であり、未来へ続く扉を開いた瞬間だったのだ。

さて、ワールドカップと聞いて、バスケに関する話題だと想いを馳せる人はどれくらいいるだろうか。ほとんどの人はサッカーのことだと思うだろう。バスケファン、関係者が手に汗握り、ありがたくも地上波でLIVE放送されたワールドカップ予選に釘付けになったのに、である。まぁそれも仕方あるまい。なぜなら、(前述の通り)世界選手権からワールドカップへ名称変更されたのは2014年のマドリード大会からでまだまだ認知度がないのも頷ける。

ここで少しワールドカップ(世界選手権)のおさらいをしておこう。初開催は1950年のアルゼンチン(ブエノスアイレス〉大会で、優勝はアメリカを破った地元アルゼンチン。原則4年ごとの開催で、今年の「FIBAワールドカップ2019」(中国・北京)で18回を数える。最多優勝はアメリカとユーゴスラビアの5回で、ソビエト連邦3回、ブラジル2回、アルゼンチン、スペインの各1回が続く。日本は1963年のブラジル(リオデジャネイロ)大会に初出場して13位となり、1967年のウルグアイ(モンテビデオ)大会は11位、1998年は14位、2006年は20位だった。

世界選手権からワールドカップへ──これは、サッカーと並ぶグローバルスポーツであるバスケを、さらに普及・発展させようというFIBAの意向が反映されたものだろう。今回のアジア地区予選を見ても、サッカー同様出場国がホーム&アウェーで戦うレギュレーションに変更された。長期戦となるがファンやメディアの注目を集めやすく、集客やビジネスチャンス拡大につながったと言えそうだ。

Bリーグとワールドカップ

果たして日本はどうかと言えば、2016年秋からBリーグがスタート。Jリーグほどではないにしても、2つのリーグが存在した時期と比べれば、その開幕は大いに関心を集めた。翌年にはワールドカップ予選が始まり、Bリーグとの相乗効果で新たなバスケファン獲得にもつながっていった。

肝心のワールドカップ予選だが、よもやの4連敗スタート。それでもニック・ファジーカス(川崎)が日本国籍を取得し、2人目のNBAプレーヤー・渡邊雄太、アメリカの強豪校(ゴンザガ大)で活躍する八村塁の、いわゆる“ビッグ3”が入れ替わりながらメンバーに名を連ねると怒涛の12連勝を記録した。最後の最後でワールドカップ出場を実現すると、その後のBリーグは観客動員数が軒並み上昇するという好循環が続いている。

Bリーグが代表強化に果たした役割は大きい。アスリートとして、その競技に専念する“プロ”になってモチベーションがアップしたと多くの選手は口にする。ワールドカップの出場権獲得につながった競技力の向上は、Bリーグでの切磋琢磨を抜きには語れない。Jリーグの発展が、サッカー日本代表をワールドカップの常連へと押し上げたように、Bリーグの進化がバスケの日本代表を世界で戦う集団へと成長させていくはずだ。

13年ぶりのワールドカップ出場が、44年ぶりのオリンピック出場決定! というニュースにかき消されがちだが、「FIBAワールドカップ2019」は8月31日から9月15日までの日程で行われる。32カ国が出場し、4カ国ごとに分かれて戦う予選ラウンド組み合わせもすでに決まっている。3月16日現在、FIBAランキング48位の日本は、トルコ(17位)、チェコ(24位)、アメリカ(1位)と同組になった。

「まずはワールドカップ。それが終わってからオリンピックを考えます」(篠山)というコメントの通り、ファンも決して先走りせず、ワールドカップでの活躍をしっかり応援して欲しい。そのためにも、シーズン終盤を迎えたBリーグを盛り上げることはもとより、アメリカで活躍する渡邊雄太や八村塁にもエールを贈りたいと思う。

プライドを賭けて

かつてFIBAから制裁を受けた日本のバスケ界が、これほど短期間に劇的な変化を遂げたのは川淵三郎エグゼクティブアドバイザーの確固たる信念と行動力を抜きには語れない。余談ではあるが、彼にバスケ界の窮状を訴え、何とか力を貸して欲しいと頭を下げに赴いた人物がいる。それが、代表チームを率いてアジア予選を突破し、1998年のワールドカップに出場した小浜元孝(故人)だ。

ある日のこと、第一線を退いていた小浜を試合会場で見かけ、挨拶に行くと「俺が川淵に頼みに行ったんだよ」とのこと。バスケ界ではユニークな存在感を醸し出していたこともあり、さもありなん……後々、川淵氏の記者会見(タスクフォースと記憶しているが)で、「面識もない元日本代表監督の小浜さんという方がお見えになって……」という話が出た際には、「日本代表を強くするためならいくらでも頭を下げる、それが俺のプライドだ」と言っていたことを思い出した。

当時、いくらでも頭を下げると言っていた相手は、アメリカのヘッドコーチたちを指していて、彼自身は日本でキャリアを積んでから留学してバスケを学び、強化試合などで来日する強豪大学のヘッドコーチを相手に、時間を惜しんで教えを乞うたという。そんな小浜の下でチームを引っ張ったポイントガードが、現日本代表の佐古賢一アシスタントコーチ。長過ぎる余談になってしまったが、選手同様、佐古Aコーチの奮闘も大いに期待したい。


羽上田昌彦

スポーツを愛する編集者。さまざまなジャンルの書籍・雑誌を担当し、現在は『hangtime』の編集に携わる。 勝敗にこだわらず、ヒューマンストーリーに惹かれて取材を重ねている。