「記録」よりも「記憶」を残す。自身のパラリンピック出場でパラスポーツ普及へ
――山本選手は、試合でのヘアスタイルがコーンロウ(編み込み)だったりネイルが華やかだったり、とってもオシャレですよね。
「競技を見てもらうための工夫かもしれないですね。コーンロウは、海外遠征だと編みっぱなしでいるのは難しいなと思いますが、できるときは試合のたびにやっています。“あのコーンロウの選手、何なのあれ”ってなったらもうけもんだなと。ネイルも意味を込めてやっています」
――意味のあるネイル?
「テーマが毎回必ずあるんです。例えば、2月の全日本選手権(女子55kg級で優勝、日本記録を更新)ではすごく星が気になって、“スター”という言葉がインスピレーションで浮かんだんです。それで、“この大会で3回の試技をきっちり終えて、スターになりたいな”と思ったので全部の指に星を描きました」
――試技そのものはたった3秒ですが、山本選手の姿はとても記憶に残りますよね。
「今は記録に残せる選手じゃないから記憶に残したい。パラスポーツを普及したいという気持ちが大きくて、金メダル一歩手前とかだったら必ず記録を追いますけど、“出たい”という気持ちが強い。出たら何してもらいたいかというと、皆さんに見てもらいたいんですよね。“あの人が出るから見に行きたい”とか、“3年前に競技を始めたあの人がこんなにも伸びて出場できたんだ、だったら見に行ってあげたい”って思ってもらえる選手になりたいです」
緊張に打ち勝つためには「準備」を。本番さながらの想定が勝負を左右する
――胸の止めやバーコントロールも判定基準になりますから、重さだけでなく技術も大事です。そういう意味では、試合ではメンタルも重要な要素ではないでしょうか?
「パワーリフティングはメンタルスポーツといわれているので、相当大切ですね。メンタルの準備もかなりやりました。例えばお風呂に入っているときに、次の試合のことを考えます。今度の試技ではどういうふうにしようとか何通りも考えられるんですよ。自分の名前が呼ばれて、舞台に立って、どこを通ってどんな顔をして、筋肉はどうなっていて体の状態はどうで、みたいな。本当にそこまでイメージしていたらにおいとかまで分かってきたりして」
――そんなに!
「ベンチ台がどうとか握るバーがどうとか、感触までリアルに伝わってきて、そしたらお風呂に入っているからかもしれないですけど、本当に舞台の上に立っているかのようにすごく心拍数が上がってくるんです。だから試合で同じドキドキ感がきても、“もうこの感覚は経験した”となるのです」
――緊張の中でもしっかり出せるようにするためには、入念な準備ですね。
「まさしく今年の目標が“準備万端”なんです! もともと準備は苦手だったんですけど、講演会に行かせてもらう中で準備をするようになって、“これってパワーリフティングも同じじゃないか”と思いました。これまで“練習”と“試合”ってはっきり自分の中で分かれていたんですけど、練習って試合に向けた準備の一つなわけですよね。これまで大事な大会で結果を残せなかった経験もあって、試合と練習のギャップをなくさなきゃという考えにたどり着きました。それで今年のスローガンになりました」
成長のキモは「質の自己ベスト」。切り替えが大切
――普段の練習では、どんなときに楽しさを感じますか?
「楽しいことしかないですよ。試合での自己ベストは59kgですけど、練習でもずっとMAXを挙げているわけではないんです。でも、例えば、昨日は50kg・2回×2セットだったけど、今日は54kg・2回×2セットができたというふうに、重さだけでなく回数など毎回練習で自己ベストが出てくるんですよ。あとは、今日はちゃんと1発目から胸のところで止まったとか、今日はこんなに体が疲れているのに挙がりは軽かったとか、質を追えば追うほど本当に毎回違います。重さではない、“質の自己ベスト”。それで今日の練習はうまくいったなって毎回思えるんです」
――質の自己ベスト、印象に残る言葉です!
「競技と仕事の並立で仕事のモードに入った時は、どうにかして自分を奮い立たせ続けてアスリートにもっていかないといけないんです。仕事でものすごく難しい会議をやって、どうしようと思った次の瞬間練習に行かないといけない。キャッチーなフレーズを持っておかないと切り替えられないんですよね。今の課題はどれとどれだって整理して分かっておかないと練習に入れないし、逆に2時間の練習の間にコレとコレを学んだって分かっておかないと仕事にも戻れない。キャッチーなフレーズを持っておくことで、練習も仕事もテーマが持ちやすくなり自分が上がると思っています」
――仕事と競技の両立。時間を取るのは大変そうですね。
「取らせてもらっています。パラリンピックに出られなかったら誰かのせいにするのも嫌、仕事のせいにするのも嫌で。パラリンピック に出場するという目標があるので(時間を)取るしかないですよね。だからみんなが仕事をしていないときにする。みんなが家に帰ってテレビを見ているときに仕事をすればいいと思っています。そういう状況に持っていかせてもらったことで、だいぶ仕事がしやすくなりましたね」
――仕事をしながら勉強や趣味など何かを始めたくても、忙しいから諦めてしまうことってあると思います。でもその言葉を聞くと、時間はつくるものなんだとあらためて思いました。
「自分が1日何をやったのか、時間表に書いてみたんです。すると空いている時間があるなって見えるんですよ。テレビを見てとかお風呂に入ってとか、ちょっとずつ削ったらもしかしたらここ時間が空くかもって。その時間に仕事すればいいし。仕事をする時間も本当に2時間かけなきゃいけなかったのか、1時間でもよかったんじゃないか。もっとスキルをつければ1時間で終わるよね、みたいなことも。タイムマネジメントについては一時期すごく考えました」
目標達成の秘訣は“過程の細分化”。停滞期も受け入れる
――実は私もジムでベンチプレスをするのですが、なかなか重量が上がりません(笑)。かなりコツコツ地道にやらなきゃいけないのだろうなあと思っています。山本選手はコツコツ頑張るのはもともと得意な方ですか?
「全然得意じゃないです(笑)。楽しいからやるだけで、今もコツコツやっているという感覚はなくて。目指すところが遠かったらなえてしまうから、一日一日、やることをどのくらい細かくできるかが大事かなと思います」
――すぐに目標達成しなくても、三歩進んで二歩下がっても、その変化も楽しんでいく?
「二歩下がることなんて毎日ありますよ。競技での減量でも、必ず停滞期はあります。それで減らなくなったら、いいんです。必ず戻すから、食べるとか。それも受け入れる。今日はもう食べて、明日は1kg太ったとしても必ず戻す。だけど今停滞しているんだったら動くだけでいいじゃないって思うわけです」
――世の中の人に置き換えても、それこそダイエットしたいのになかなかうまくいかないとか、仕事での目標があるのに停滞してしまっている、なんていうこともあると思います。こんなとき、どうやって乗り越えればいいですか?
「結婚してウェディングドレスを着る花嫁さんは必ずダイエットに成功するっていうじゃないですか。私も次の試合でこの体重にならなかったらどうしようって思うから絶対成功するわけですよ。だからどれくらい本気かだと思うんですよね。どういう自分を想像するかと、どれくらいリアルに想像できるかで、そこにいけるかって決まってくる。だから、毎日想像する必要はないと思うけど1週間先の自分、2週間先の自分、1カ月先の自分をリアルにどうなりたいかを描いていって、それが達成できたら満足感で毎日過ごせるじゃないですか。そしたらそれができるようになっていって、また先につながると思います」
――マラソンでいう、“次の電柱までは頑張ろう”みたいな感じですね。
「意志が弱いからこそそうしないといけないということに気付いてきました。私を含めてそういう人こそやらなきゃいけないんじゃないかな」
東京パラリンピックは“目的”ではなく“手段”。「障がい者にも選択肢のある社会を」
――東京パラリンピックまで1年余り。山本選手のモチベーションをあらためて聞かせてください。
「パラスポーツの発展のためです。自分を育ててくれたのがパラスポーツだから、本当に恩返ししたい気持ちでやっています」
――パラスポーツを通して社会に伝えたいことは何ですか?
「健常者に対してと障がい者に対してではアプローチが違いますけど、障がい者に対しては選択肢の幅を見せたいというのが一つですね。私は現在はスポーツ選手ですが、スポーツ選手になることが偉いわけではないし、人生いろんな選択肢があるし、悩んだっていいし、だけど“自分はこれしかできない”というのはやめようよっていうアプローチです」。
――みんながみんなパラリンピアンになってというわけじゃなく、“こういう考え方もあるよ”ということを伝えているのですね。
「まさしく。“自分はスポーツ選手じゃないから、スポーツをしないからパラリンピックは見ない”という人も結構いるし、“あの人たちは超人だから”って考える障がいのある子供がいる親御さんがたくさんいるんです。でもそうじゃなくて、あの人たちは可能性を追い続けた結果自分に合っていたからこうなったと。だからいくら勉強ができなくても障がいが重くても、障がいのある子供たちには自分にはなんでもできる可能性があるって思ってほしいです」
――2020年の盛り上がりが“ゴール”ではなく、障がい者も生きやすい社会の“きっかけ”になってほしいですね。
「パラリンピックは現在の日本では発信力が強いですからね。私は小さいころからパラリンピックを見て育ちましたが、パラリンピックって一回で終わりじゃないんです。冬も入れたら2年ごとにくるので、それをちゃんと使って社会を変えていくことが東京ではできるのではないかと思いますし、そうなってほしいと願っています」
<了>
[PROFILE]
山本恵理(やまもと・えり)
1983年生まれ、兵庫県神戸市出身。日本財団パラリンピックサポートセンター所属。先天性の「二分脊椎症」。9歳から水泳を始めるものの、高校3年時にケガで断念。同志社大学・大阪体育大学大学院では心理学を専攻。北京・ロンドン・リオパラリンピックには通訳やメンタルトレーナーとして関わり、カナダ留学中にはアイススレッジホッケーのカナダ女子代表としてプレーした。帰国後はパラスポーツの普及に携わるかたわら、パワーリフティングで東京2020パラリンピックを目指している。女子55kg級・日本記録保持者。