「まずは、お疲れ様・・・ですね」
横浜市の老舗ホテル、ニューグランドの一室で開かれた監督就任記者会見で並んで登壇した日から5年。長く続いた体制の終わりに、池田氏は感慨深げだった。
ラミレス氏がDeNAの監督に就任したのが15年10月のこと。DeNAとしての初代監督を務めた中畑清氏がリーグ最下位に沈んだ責任を取って辞任したことを受け、当時の球団社長だった池田氏が中心となり、白羽の矢を立てた。
「私としては、セ・リーグで首位だった夏に中畑さんには続投要請もしていて、なんとかして続けてもらいたいと考えていました。しかし、辞意を伝えられたことで怒涛の次期監督探しが始まった。多くの候補が上がる中で、会ってみようとなったのがラミちゃんでした」
そもそも、ラミレス氏との出会いは、かなり異色なものだったと池田氏は述懐する。11年末にDeNAが球団経営に携わることが決まり、池田氏が初代球団社長を務めることになった際、球団の代表電話に連絡してきたのがラミレス氏だった。
「怪しいですよね。代表電話の番号に関係者(代理人)を名乗る人からかかってきたのですから。ただ、とりあえず会ってみようと、中華街で春田さん(春田真氏、当時オーナー)とともに話をしたんです」
その年限りで巨人を構想外となっていたラミレス氏は、そんな売り込みの成果もあって選手としてDeNAに入団。13年には外国出身選手として初のNPB通算2000安打を達成するなど初期のチームで活躍した。
「選手として入団した当時から『将来は監督をやりたい』という話をしていました。その(ルートインBCリーグ・群馬に移籍し14年限りで現役を引退した)後もちょこちょこと連絡を取り合っていました」
次期監督探しが進む中、ラミレス氏とは横浜駅前のホテルで高田繁ゼネラルマネジャー(GM、当時)とともに面談。最終合意に至った。就任発表時には、現役時代に「ゲッツ」や「アイーン」などギャグを交えたパフォーマンスが人気だった選手である影響か「話題先行」などと批判も噴出したが、面談で行われたプレゼンテーションは、事前に資料を用意するなど「かなりキチッとした内容だった」と池田氏は振り返る。さらに、かなりの“データ重視派”の選手だったことは、球界でよく知られた事実でもあった。何より、球団が次のフェーズに進む上で、過去の球界としがらみのない、常識にとらわれない姿勢は必要不可欠なものだった。
「中畑さんの時は一番大変な時代。選手も一本立ちしていないし、負け続けてもインタビューに応じてくれるなど、“普通の球団”になるまでの基礎を築く段階でした。その次に来るのが、自由に、しがらみなく、選手たちを花開かせてCS、日本シリーズ進出を見据える時代。時代時代、球団の置かれたフェーズによって理想の監督というのは変わるべきなんだと私自身も学びました。そういう意味では、選手たちも育って、ある程度の結果も出したラミちゃんは、大したものですよね。采配への批判はありましたが、退任した今振り返れば素晴らしい結果を残している。優勝こそできませんでしたが、5年間も監督を務めるのはすごいことです」
次期監督として三浦大輔2軍監督の就任が発表され、11月17日には記者会見も行われたが、池田氏は「次は優勝争いをしなきゃいけない時代ですよね」と、新監督の下でのさらなる飛躍に期待する。また、同時に注目するのがラミレス監督の今後について。DeNAからはチームの助言役、サポート的な立場を打診されており、その先の動向も注目されている。
「メジャーリーグ、ヤクルト、巨人と渡り歩き、あれだけの結果を選手として残して、外国人で監督まで務めた。これはすごいことです。12人しかいないプロ野球の監督は、なりたくてもなれるものではありません。外国出身で日本語も分かる。だからこそ解説者とか、独立リーグの監督とか、よくある一般的な方向ではない様々な未来と選択肢があるのではないでしょうか。70人の選手をマネジメントしてきたという経験・知識を知りたい世界は、たくさんあります。野球という頂点とも言える世界で実績を築いたのだから、自身の価値をさらに高める世界もあるでしょうね。他のスポーツの指導者になる道もあるし、ここからまたかっこいい生き様を見せてくれることを楽しみにしています」
池田氏は2016年限りでDeNAの球団社長を退任。現在はバスケットボールという新しい世界に挑戦し、親会社文化の枠組みを超えた個人オーナーとしてクラブ経営に臨んでいる。かつてともにベイスターズの発展に力を尽くした“盟友”として、ラミレス監督にも新たな道を切り開くパイオニアとしての未来を期待している。
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アレックス・ラミレス(Alex Ramirez)
1974年10月3日生まれ、46歳。ベネズエラ出身。91年にインディアンスに入団し、98年にメジャーデビュー。2001年にヤクルト加入し、巨人に移籍した08年から2年連続MVPを獲得。12年にDeNAへ移籍。13年に外国出身選手初の日本通算2000安打を達成。14年はBCL群馬でコーチを兼任し同年引退。16年にDeNA監督に就任。17年に19年ぶりの日本シリーズ出場に導いた。19年1月には日本国籍を取得。日本通算成績は1744試合に出場し、打率.301、380本塁打、1272打点。180センチ、105キロ。右投げ右打ち。既婚。
DeNA・ラミレス監督の退任に寄せて ~初代球団社長・池田純氏が語る誕生秘話と今後への期待
プロ野球・横浜DeNAベイスターズのアレックス・ラミレス監督が2020年シーズン限りで退任し、来季新監督として三浦大輔氏の就任が決まった。チームを3度のクライマックスシリーズ(CS)進出に導き、「8番・投手」やレギュラー経験のない佐野を不動の4番として起用するなど、常識にとらわれない采配で話題もさらったラミレス前監督を2015年末に招聘したのが、DeNA初代球団社長で現在は男子バスケットボールリーグ3部(B3)・さいたまブロンコスのオーナーを務める池田純氏だ。これまで監督経験のなかったラミレス氏にチームを託した理由や今後への期待を「監督・ラミレス」の“生みの親”に聞いた。
池田氏(左)とラミレス氏(中央)=2011年、ラミレス氏のDeNA入団時 (C)共同通信