ショー

 大会ガイドにはこう明記されている。「マスターズの主目的は誰にとっても楽しめるようなゴルフ・ショーを披露することです」―。この点において、いつもと違う季節での実施は斬新だった。

 通常との相違点でまず挙げられるのが、ギャラリーがいないことだった。マスターズの観衆は、チケット購入などで大会を支えてきたことから特別に「パトロン」と呼ばれ、不可欠な存在だ。選手は口々に寂しさを漏らしていたが、実際のプレー面に波及する点もあった。普段ならパトロンに芝が踏まれてライが悪い場所でも、今年は打ちやすいままの箇所もあった。過去5度優勝のタイガー・ウッズ(米国)は「例えば2番(パー5)なんかは右サイドを使えるかもしれない」と戦略面を口にした。

 選手だけではなく、観戦する側からは興味深いポイントがあった。プレーエリアとパトロンの動線を区切るロープもなく、当然のことながら各所に設けられる大きな観戦スタンドもなかった。この人工物がないことで、コース本来の形状があらわになった。例えば、毎年ドラマが生まれやすい池越えの16番(パー3)。いつもだとホールの左サイドは大勢のパトロンで埋め尽くされ、傾斜によってピンにボールが近づくシーンなどに沸く。今年の池の左側はなだらかなスロープ状の緑の丘が表出。2番グリーンや8番ティーグラウンドがあるコース中央付近の開けた一帯は、悠々と広さをたたえていた。

 メジャー4勝のブルックス・ケプカ(米国)は海外メディアにこう漏らした。「1番のティーグラウンドに立つと、ほとんどのホールを見渡せそうだ。慣れてないからとても奇妙な感じだね」。そう、オーガスタ・ナショナルGCはB・ジョーンズが一目見て惚れ込んだという土地に造られた。むやみにバンカーを多くするのではなく、なるべく自然の地形を生かすコンセプト。理想の場所を探していたB・ジョーンズが思わず「パーフェクトだ」と口にしたというほどだった。1番ティーグラウンドからスタートし、右ドッグレッグで第2打地点から上った先にある18番グリーンで締めくくり。パトロン及び観戦スタンドの不在により、B・ジョーンズも踏みしめたコースの原風景を旅するような感覚を覚えた。

カラー

 アザレア(ツツジ)やドッグウッド(ハナミズキ)などピンクや白といったカラフルな花々で彩られるのがマスターズの恒例だ。例えば12番や13番のグリーン周辺の鮮やかさはテレビ画面で確認しやすくなじみが深い。ただ、今年はなし。木々は深緑系の葉やオレンジや黄といった色合いが多かった。松の木々の下は葉が落ちて赤茶色が目立った。大会公式サイトでは、あえて秋の色を強調するような映像で美しさをPR。次の第85回大会は例年通り、来年4月に開催予定。今回の景観を目に焼き付けておくことで華やかな来春と比較できる楽しみもある。

 いつもと違ったことの一つに、フェアウエーでもグリーンでもボールがぴたりと止まるシーンが多かったことがある。これは季節と芝の関係もある。バミューダ芝が夏場に敷かれており、秋口にライグラスの種をまき、翌春には緑のじゅうたんのようにコースが仕上がる。今回は秋で、一般的に葉が太く芝目が強いバミューダがまだ残っていたという。ポール・ケーシー(英国)はグリーンについて「降雨によって軟らかくなっただけではない。バミューダがまだ残っている。だから止まりやすく、いつもみたいに速くない」と説明。オーガスタといえばガラスに形容される高速グリーンが特徴だけに、滅多にお目にかかれない状況だった。

 同じ緑色といえば、優勝者に贈られるグリーンジャケットが象徴的だ。優勝したD・ジョンソンをクラブハウス前でザック・ジョンソンやジョーダン・スピース(ともに米国)ら歴代優勝者がジャケットを着て出迎えた。普段は基本的にクラブハウスで保管されているプレミアもののジャケット。クラブのメンバーは大会中、案内役も兼ねるため、見た目で判別しやすいように着用しており、ここでも招待試合という特色がにじみ出ている。今年はコースにいる人の数が少なかったゆえに、余計に「マスターズグリーン」がまぶしく映った。

 もう一つ、変わらない色があった。クラブハウス前方にあるマウンドに、アメリカの地図を形取って黄色い花々が咲き、オーガスタの位置に旗状のものが立ててある区画がある。練習ラウンドなどでは格好の記念撮影場所となっている。クラブによると、実はこの黄色い花、季節によってパンジー、菊、マリゴールドと変えて対応しており、今回も当然のように存在していた。事細かなこだわりもマスターズの良さで、招待した人たちへの”粋”な歓待だ。

オールドマン・パー

 パトロンの歓声もなく、コースに入れたのは選手の家族やクラブのメンバーら少数だった。静寂が包む中での優勝争い。D・ジョンソンは優勝後、最終日について「とても難しい日だった。一日中緊張していた。自分自身に『他の選手が何をしようが気にせず、とにかくいいプレーをしよう』と言い聞かせたんだ」と感慨深げに話した。いつも以上に自己との戦いを強いられたことを告白。結果的に最終日に四つ伸ばして栄冠に輝いた。

 これは〝球聖〟と呼ばれたB(ボビー)・ジョーンズの哲学にも通じる。B・ジョーンズは自らの心の中に「オールドマン・パー(パーおじさん)」を住まわせ、常にこの架空の人物との戦いを意識していた。他の選手と競うことよりも、自分自身と向き合うことが何よりも大切という心構え。冷静にパーを目指すことを基本に置くことで好結果を生み出した。10代の頃、大たたきをしてスコアカードを破り、大会を棄権したという逸話もあるが、真摯にゴルフに相対したことで覚醒。著書「ダウン・ザ・フェアウェイ」でオールドマン・パーについて、いかなる敵よりも手ごわいとし「バーディーを取ることもなければ大たたきもしない。耐える魂そのものなのだ」と記した。

 今大会前、大きな話題を呼んだのがブライソン・デシャンボー(米国)だった。コロナ禍で試合がない時期を利用して筋力トレーニングに励み、体重を110キロ近くまで大幅に増やし、爆発的な飛距離を獲得。9月のメジャー、全米オープンを制していた。パー72のオーガスタ・ナショナルGCを前にして「自分にとってのパーは67だ」と強気に言い放った。それだけビッグドライブに基づいたコース攻略に自信を示していたが、始まってみればショットを大きく曲げる場面が目立ち34位。謙虚に、自身との葛藤の末に栄誉をつかんだD・ジョンソンの姿勢は好対照だったといえる。

 最終日、家族や関係者ら約250人が見守ったという最終18番グリーン。同伴競技者のパットが残っている中でD・ジョンソンが短いウイニングパットを〝お先に〟で沈めたのも、パトロン不在の今年ならではの場面だった。世界ランキング1位の大会制覇は2002年のウッズ以来。今年に入って新型コロナウイルス感染のアクシデントも乗り越えて頂点に立ち、昨年覇者のウッズから憧れのグリーンジャケットを着せられた。プレー中は極めてクールな36歳でも目には涙。カラフルな花々もなし、盛り上げを演出する大勢のパトロンもなし…。異例の状況の年に、球聖の魂を受け継いだチャンピオンが誕生したことも、マスターズが唯一無二のトーナメントであることの証しではないか。


高村収

1973年生まれ、山口県出身。1996年から共同通信のスポーツ記者として、大相撲やゴルフ、五輪競技などを中心に取材。2015年にデスクとなり、より幅広くスポーツ報道に従事