その錦織に「アスリートなんだから、もっと食べないと!」と快活に笑いかけ、自らはカツカレーを頬張っていたのは、ユニクロの代表取締役会長兼社長の柳井正。前年にパリに旗艦店をオープンした柳井は、全仏期間中のこのとき偶然、仕事でパリを訪れていたのだ。

 年齢も職業も異なる二人ではあるが、両者に共通していたのは、錦織は島根県、柳井は山口県と、互いの郷里が近かったこと。さらには、いずれもそれぞれのフィールドで、「世界一」を目指していたことである。日本の中国地方の都市から、世界の頂点を目指す二人の足跡が、このとき人知れず交錯していた。

「めちゃくちゃ面白いですね、それが本当に出来たら!」(錦織)

 柳井社長との会食の後、錦織の背中を押したのは、ユニクロのテニス関連業務におけるアドバイザーを務める、坂本正秀の言葉だった。
「ユニクロだったら、圭だけのオリジナルウェアを作れるよ」

 坂本のその一言に、錦織は大きな目を輝かせた。若き日にフロリダのIMGアカデミーに留学し、テニス界に広い人脈を持つ坂本は、錦織ともかねてより親交が深い。その坂本が錦織とユニクロを繋げる架け橋となり、2010年末、両者の契約が発表された。

 かくして世界一を目指し、共に歩み始めたユニクロと錦織。だがその道のりは、当然ながら平坦ではなかった。カジュアルウェアには実績と自信のあるユニクロだが、スポーツウェアとなると初の試みに等しい。錦織周辺の人々の受け止め方も、必ずしも好意的なものばかりではなかった。

 実際に最初に出来上がった紅白デザインのTシャツは、汗を吸うと赤色が滲むというトラブルが発生する。契約後初のウィンブルドンで錦織に提供したショートパンツは、ややクリーム色掛かった仕上がりとなった。この時はなんとか大会での着用を許されたが、ドレスコードを「純白」と厳しく規定するウィンブルドンでは、却下されても不思議ではない。このウィンブルドンの一件は、「今までのノウハウや常識にとらわれてはダメだ」という緊張感をチームに植え付けた、苦くも貴重な経験でもあった。

 それら、テニス界が蓄積してきた歴史や伝統を痛感すると同時に、開発チームが改めて認識したのは、新規参入ゆえのユニークな発想を武器としていくことである。技術革新を促進したのは、「錦織圭のため」という思いだ。

 たとえば錦織は、試合中にタオルで汗を拭うことを好まない。そこで、速乾性に優れた素材“ドライEX”の改良につとめ、リストバンドは水分吸収機能を突き詰めた。さらに最大のこだわりを見せたのが、ショートパンツのポケットだ。ポケットの内側の素材をタオル地にし、ボールを取るため手を入れたときに、自然と汗が拭える構造にしたのである。同時に、ショートパンツに求められる“ボールを入れる機能”も錦織に最適化するため、ポケットにボールを複数入れた状態で、本人に感触を確かめてもらった。ポケットが深すぎると、内側で動きプレーの妨げになる。かといって浅いと、今度はボールが落ちてしまう。

 そこで深さをミリ単位で調整し、その上でさらに編み出したアイディアが、ポケット内側のパイル地の目を、下に向かせることである。前述したように、ショートパンツの開発段階で、ポケットの内側にタオル生地を使う案がまずはあった。タオル生地の吸水性が高い理由は、ループ状(パイル)に織った繊維の連なりにある。そこで、それらループを下方に向けることで、弁のように、ボールが飛び出す動きを留めるようにしたのだ。この案が、見事にはまる。かくして、プレーの妨げにならずボールも落ちない、細部にまでこだわったショートパンツが完成した。

 こうしてトップスとショートパンツの開発は進んだが、最も苦労したのが、ソックスだった。テニスはラケット競技ではあるが、フットワークが勝利を分けるほど重要である。ゆえに、足に直接触れるソックスは、選手が細心の注意を払うアウトフィットだ。薄手を好む者もいれば、クッション性を求める選手もいる。シューズ内で止まりやすい感覚を欲する人や、締め付ける感覚を嫌う者など千差万別だ。

 ソックスが何より重要であろうことは、開発チーム内でも、当初から予想はついていたという。そこで、最もクオリティの高い糸を用いて作ったプロトタイプを、まずは錦織に提供した。

 ところが錦織の反応は、「ちょっと滑りすぎる」という手厳しいもの。錦織が何より気にしたのは、ソックスがシューズのインソールとの間で滑ることだった。作っては錦織のフィードバックを得て、それを参考に作り直してはまた意見に耳を傾け……そのようなやり取りは1年近く続き、100着近い試作品が作られたという。その末に、ついに錦織が「これです!」と太鼓判を押したサンプル――それは、開発者曰く「ランクで言えば低いというか、一番加工していない状態」の糸で作ったものだった。

 通常、商品に用いる糸は、細かい繊維を焼いて艶を出すなど複数の工程を経ている。だが、「それらの工程こそが滑る理由かも」と思い、あえて未加工の糸を使ったところ、これが錦織に喜ばれた。
「常識だと思っていたことがトップアスリートのインサイトにより覆され、ユニクロのものづくりに新たな視点をもたらした出来事だった」

 ユニクロが掲げるコンセプト・究極の普段着「LifeWear」の開発は、こうしたアスリートとの密な協働によって得られる知見や教訓の積み重ねが重要な役割を果たしている。現在一般販売されている上述のドライEXは、錦織との協働の結果、世に送り出された代表的な商品である。

 ユニクロの選手に寄り添った開発姿勢は、当初は懐疑的だった錦織周辺の関係者からの信頼を獲得し、テニス界での知名度とブランド力も確かなものへと変えていく。それが2012年のノバク・ジョコビッチ(契約は2017年終了)、そして2018年のロジャー・フェデラーとの契約締結、さらには、2019年のスウェーデンオリンピック・パラリンピック委員会とのパートナーシップ契約、および2020年の代表トップアスリート13名によるチームブランドアンバサダー「ユニクロ チーム スウェーデン」結成につながっていくのだった。

LifeWearDayイベントの様子ユニクロ チーム スウェーデン

 契約選手の広がりは、ファッション面でも新たな視座を取り込む機会となる。それまでは錦織だけを考えてウェアを作れば良かったが、複数選手が居るとなると、差別化を測る必要があるからだ。

 では、世界にアピールすべき錦織圭のイメージや、彼固有のカラーとは何だろうか――?それらを模索していた2017年、革新的なデザイン基軸を打ち立てたのが、ユニクロ・パリR&Dセンターを率いる、デザイナーのクリストフ・ルメールである。

 エルメスやラコステで手腕を振るい、自らのブランドも持つルメールは、錦織から得た「若々しくポップ」というインスピレーションを、テニスウェアに投影した。ビビッドな色彩を多く用いたデザインは、それまでのクラシック路線とは大きく異なったが、欧米で高評価を獲得する。何よりルメールの、「ファッションに正しさはない。既成概念にとらわれる人々の声に惑わされてはダメです」という自信と哲学は、錦織の新たな魅力を引き出し、ユニクロの可能性を押し広げた。

 コロナ禍の混乱を経て、世界が新たな日常を取り戻そうする2021年――あのときのパリの会食から、10年半の年月が経った。その間に錦織は、2014年に全米オープン決勝に進出し、超一流の指標とされるトップ10にも定着した。2019年末に肘にメスを入れ、そこからの再起を誓う今の錦織の姿は、10年前の彼と重なりもする。

 共に歩みはじめてから“一昔”の時が流れ、それぞれのフィールドにおける立場や環境も移ろいもした。それでも一貫して変わらないのは、目指す「世界一」の高みである。 

【参考】錦織とユニクロの歩み



<錦織の2021年全豪シリーズウェア>

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内田暁

6年間の編集プロダクション勤務を経て、2004年にフリーランスとして活動し始める。2008年頃からテニスを中心に取材。その他にも科学や、アニメ、漫画など幅広いジャンルで執筆する。著書に『錦織圭 リターンゲーム:世界に挑む9387日の軌跡』(学研プラス)、『勝てる脳、負ける脳』(集英社)、『中高生のスポーツハローワーク』(学研プラス)など。