急遽のカード変更も「ノースカットのために格闘技をやっている訳じゃないので、あまり関係ない」

―セージ・ノースカットがコロナの影響で欠場となり、対戦相手が急遽エドゥアルド・フォラヤンに変更となりました。欠場による対戦相手の変更をAbemaでの解説では「ガチャガチャ」と表現されていましたが、それが自身にも発動してしまった感じでしょうか。

青木:まぁ、コロナ禍ですから当日まで何が起こるか分からないし、あまり驚きはないです。2003年の猪木BOM-BA-YEみたいなもんですよ。

―ですが、当然ノースカットへの対策を積んできた訳で、受け入れがたいところはあったのではないでしょうか。

青木:それがあまりないんです。別にノースカットのために格闘技をやっている訳じゃないので、あまり関係ないっていうのが正直なところです。“あぁ、そうですか”っていう感じでした。僕はよくも悪くも絶対がないと思ってるというか、信用してない部分があって、これからまだ何かあるかもぐらいに思ってます。

「『好きなことで生きていく』には苦しいことがあって、だからこそ成り立つみたいなことを描きたい」

―同じくAbemaの解説で、今回の試合のテーマを『好きなことで生きていく』だと話していました。これについて教えてください。

青木:『好きなことで生きていく』って言った時に、仕事をしないでラクに遊んで、みたいな、いいことしかイメージしないじゃないですか。でも、それって発想としてすごく危ないところに行っていて、僕はそうじゃなくて好きなことで生きていく裏には当然苦しいことや受け入れづらいことがあって、だからこそ成り立つみたいなことを描きたいと思っています。だから逆にこの変更があったことで、このテーマはより深さが増したような気がします。

―たしかに好きなことであっても当然嫌なことは出てきますし、それを受け入れなくては続けていくことはできません。『好きなことで生きていく』というのはラクではなく、むしろ大変なことだと思います。

青木:しんどいですね。だからみんな「格闘技が好き」「頑張ってる」って言いますけど、僕は“お前ら頑張ってねぇじゃん”って思ってイライラします。実際多くの人がプロの格闘家じゃないし、ONEの中でも僕が定義する“プロの格闘家”って僕だけだと思います。みんな結局、プロの格闘技者、格闘人じゃないですよね。

「自分の出したい思想・信念、哲学みたいなものがないと格闘家じゃない」

©ONE Championship

―青木選手が思うプロの格闘技者について教えてください。

青木:みんな自分たちの出したい思想・信念というか、哲学みたいなものがないじゃないですか。格闘技を通じて何か出したい、何か作り出したいっていうのがないと、俺は格闘家とかレスラーじゃないと思ってるから。みんなただ試合してるだけですよ。だから“運動がちょっと得意で、人より格闘技が得意な人”、なんじゃないですか。スゴいパフォーマンスに感動してお金を払うんだったら、もっとUFCが流行ってると思いません?でも、それって人は見ない。興味ないと思うんです。だけどRIZINとかK-1が流行っているのはローカライズされて選手たちが出したいものとか表現したいものが、選手たちにある・無いに関わらず運営がそれを出してるからじゃないですか。それが俗にいう“日本の格闘技”だと僕は思います。

―青木選手は格闘技だけでなく、プロレスへの出場・露出も増えています。「青木真也って何ですか?」って問われた時にどう答えますか?

青木:“ファイター”だし、「“青木真也”っていう名前でご飯食べてます」みたいな感じです。僕は自分がやることを他人の意見で変えたくないんです。僕は僕が思ったこと、僕の考えをちゃんと持って貫いていきたいっていう思いが強いです。

―そしてその思いを打ち出して生きていくのが青木選手のいうプロの格闘人なのですね。

青木:それが僕の憧れたレスラーみたいな感じです。一番憧れたのはケンドー・カシンで、IGFでやらせてもらって“揉めごとはリング上に出しちゃえばいい”みたいなところがあるから、僕は隠しごとがないんです。それは“恥ずかしいものなんかないよ”“全部さらけ出してこそ格闘技選手”みたいな僕の哲学というか信念があるので。

「みんな終わりを意識しないから甘えてる。限りを知ることが大事だと思う」

―全部さらけ出して、自分の全てを賭けて生きる、まさに“全身格闘家”ですね。

青木:結局みんな小利口な奴ばっかりじゃないですか。上が右って言ったら右を向く。でもそれを見て猛烈にカッコ悪いなと思って。それだったら格闘技やる意味ないじゃんって思ったんです。だって僕は自分の思いとか自分の思想・信念を貫きたくて格闘技をやっているのに、それをブラしていいんだったらやってる意味ないじゃんって。みんな、自分がない。僕なんか、もし「お前はもうクビだ」って言われても、「そうですか」って思うぐらいの気持ちでいるし、29日に試合をして、もう試合ができなくなることもあるかもしれない。だから明日全てが終わってもいいと思ってます。結局思うのは、みんな甘えてるんです。それって終わりを意識しないから。それはすごく思います。

―たしかにいつまでも続いたり、終わりがないものだと思うと緩い意識になりがちです。

青木:みんな終わりを意識してないから、決断に対して迷っちゃったりすると思うんです。僕なんて年齢的に、選手としての終わりが見えてないけどいつ来てもおかしくないと思ってるから、来ても全然受け入れますよね。結局時間とは何か?って言ったら生まれてから死ぬまでのことで、だから受け入れるのを知るというか、限りを知ることがやっぱり大事だと思います。

―終わりがあることを意識すれば、何事にも必死さや懸命さが増すと思います。

青木:大震災とコロナで価値観が変わったっていう人が多いですけど、それって多分みんな終わりを意識したんだと思うんです。死ぬんだって。当たり前のことでみんな知ってるけど、“終わりがある”っていうことを意識したから、「だったらもうこんな会社辞めてやる」とか、「田舎に住んでやる」とか、「好きなことをやってやる」みたいな人が出てきたんだと思うんです。たぶん終わりを意識しないとダメなんじゃないかって最近思います。

「みんなできなくなったことに悲観するけど、そこを悲観するんじゃなく観念して、先に進むのが重要」

©ONE Championship

―多くの人に示唆となる話です。最後にフォラヤン戦に向けての意気込みをお願いします。

青木:コンディションはDDTの竹下(幸之介)に相談して、彼が教えてくれるのは大きいんですけど、いろいろ研究してコンディションは仕上がっているし、多くを求めなくなっています。だからこそ無茶もしないし怪我もしないし。37、38(歳)になっていいコンディションで戦えている――みたいなことがより鮮明になる試合になるんじゃないかと思ってます。

―青木選手は必要なものを足していくというより、いらないものを見極めて省き、研ぎ澄ましていっている印象があります。

青木:30代に入ってからはどんどん引き算ですよね。極論、10年後に花開くものはもういらいので。だから今のやりくりです。これほど面白いことはないですよ。でも格闘技選手でここに面白みを感じる人って少ないと思います。そこまでみんなできないじゃないですか。魔裟斗ですらいい時に辞めた訳で、そう考えると魔裟斗よりも格闘技を楽しんでるみたいなところでもあるし、終わりが見えて制限がついた方がどんどん面白くなっていっちゃうんです。だから制限ですよ、大事なことは。制限がつけばつくほど面白くなる。できなくなってからが面白いから、みんなできなくなったことに悲観するけど、そこを悲観するんじゃなく観念して、先に進むのが重要だと思います。

UFCで12度世界王者に輝いたデメトリアス・ジョンソンを苦しませた、若武者・若松佑弥が自身のキャリアで証明したいものとは?

鹿児島県薩摩川内市出身の男子総合格闘家、若松佑弥。幼い頃の素行の悪さを抑制するため格闘技の世界に足を踏み入れた彼は、2019年3月に開催されたONEフライ級世界グランプリ(WGP)準々決勝で、デメトリアス・ジョンソン(米国)との死闘を繰り広げた。そんな「リトル・ピラニア」の異名を持つ若松に、自身のキャリアについて思いの丈を語ってもらった。

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長谷川亮

著者プロフィール 長谷川亮

1977年、東京都生まれ。雑誌編集部を経て2005年春からフリーに。主に格闘技を執筆し、編著に『バーリ・トゥード ノゲイラ最強への道―DVD最強テクニック伝授ノゲイラになる! 』(東京漫画社)、『わが青春のマジックミラー号 AVに革命を起こした男』(イースト・プレス)。ドキュメンタリー映画『琉球シネマパラダイス』(2017年)、『沖縄工芸パラダイス』(2019年)の監督も務める。