2006年の現役引退後、ほとんどサッカー番組に出演することがなかった中田氏だが、11年4月2日放送の初回にゲスト出演した縁から、放送10周年の節目で再びの登場が実現した。1週目の放送ではセリエA・ローマ時代にともにプレーしたJ1鹿島アントラーズ前監督のザーゴ氏(51)、元J1川崎の中村憲剛氏(40)らがビデオレター形式で質問を投げ掛けたが、今回のトップバッターは日本代表で名コンビとして名を馳せ、セリエAでも“競演”した名波浩氏(48)。その口から飛び出したのは、なかなか普通のインタビュアーでは切り込めない“超プライベート”な話題だった。
「結婚はしないの?」
そんな唐突な質問に、中田氏は「名波の(質問)は飛ばして、次にいっていいんじゃないの」と苦笑い。名波氏の方が4学年上だが「名波」と呼び捨てで呼ぶ辺りに、深い関係性も表れている。だからこそできる質問。気になるその回答は「結婚というのはしたいからするのではなく、するようなタイミングが来るからするものだと思う。したくないからしないんじゃなくて、相手がいないからしないし、そういうタイミングがないだけ。別に誰かと一緒にいるのが嫌なわけでもないし」と意外にも(?)結婚に対して肯定的なものだった。
そして、話題はサッカーへ-。中田氏がセリエA・ぺルージャに加入し、大活躍を見せた翌年、1999年に名波氏も同・ベネチアに移籍。当時「世界最強リーグ」とも称された舞台で、初の日本選手対決も実現した。セリエA1年目に10ゴールを決め、その名を欧州に轟かせた中田氏だが、その成功の裏側には、常に抱いていた「意識」も大きな要素としてあったのだという。
「サッカーというものは、技術があるから試合に出られるわけでも、技術があるから結果が出るわけでもない。これって非常に難しくて、いくら良いパスを出しても、チームメートがそれに反応してくれて、点につながらないと意味がないんです。点を取らない、結果に結びつかない、イコール監督も外すわけですよね。だから、僕は1年目に何をやったかといえば、点を取りにいったんです。ヨーロッパで活躍するために強く意識していたことはそこですね」
中田氏はJリーグでプレーした約4シーズンで一度も2桁得点を記録しておらず、欧州挑戦の初年度にいきなり、それを達成した。中でもセンセーショナルだったのが、開幕戦でのユベントス相手の2ゴール。ジダン擁するユーベは、まさに当時の世界最強クラブ。そこを相手に、当時“サッカー後進国”とみなされていた日本から加入したルーキーの活躍でプロヴィンチャ(地方都市の小クラブ)が大善戦(結果は3-4で敗戦)したのだから、その衝撃は計り知れないものだった。その根底にあったのは「僕はJリーグにいたときから点を取る選手ではなかったのに、点を取りにいった。そうじゃないと、あの当時のイタリアは認めないって風潮がすごくあったので」という思いだった。
続いての質問は、番組の初代アシスタントを務めたフリーアナウンサーの杉崎美香さん(42)から。「株式会社JAPAN CRAFT SAKE COMPANY」を立ち上げ、代表取締役として日本酒、伝統工芸など日本文化を広めるイベント、情報発信に力を入れる現在の中田氏に「なぜ、日本酒なんですか?」と率直な疑問が寄せられた。
「実は日本酒だけではなくて、伝統産業がすごく好きなんですね。農業にしても、工芸にしても、日本酒にしても、原材料を自然から受け取るわけです。自然って、素晴らしさもあるけれど、恐ろしさもある。地震もあれば、津波もある。だけど、そういったことを受け入れながら日々の生活をしていく彼らの強さとか、親が代々やっているから逃げられないという時の覚悟の強さを目の当たりにして、人間として惚れていったんです。こういう人たちと一緒に仕事をしたいな、と。彼らの問題を一緒に解決しながら、じゃあこの素晴らしいものを、どうやって世界に出していくかと思ったのが始まりですね」
中田氏が現役引退後、世界100カ国以上を巡り、改めて感じたのが日本文化の素晴らしさ。そこから日本全国を旅してまわり、まだまだ知られていない「情報」の多さに気付いた。キーワードとして今重視しているのが、まさにその「情報」なのだと力説する。
「やはり(物事は)知られてなんぼのところがある。今でこそ、サッカーだって世界中のものが見られますけど、僕が小学校の頃、ワールドカップ(W杯)なんて見たことがなかったし、日本でそれこそテレ東が『ダイヤモンド・サッカー』(1968-1988年に放送されたサッカー番組。欧州各国リーグや国際Aマッチ、W杯予選・本大会の試合などを紹介していた)をやっていたくらいで、サッカーの情報ってほとんどなかったわけですよね。ヨーロッパの情報もないから、『将来ここでやろう』とも思わなかったし、情報ってそれだけ重要なんです。情報があるからこそ、今の子供たちはW杯に行って当たり前、欧州に行って当たり前になった。それが当たり前になるのか、知らないで自分の世界で終わるのか。それほど、実は情報ってすごく大事なんです。伝統産業も、長く続いている分、知られていないことがいっぱいある。そこをどうにか変えていきたいというのはありますね」
どんなに素晴らしい文化があっても、それが知られなければ発展することはない。それどころか、ひっそりと衰退、消滅していくことにもなる。
「日本酒業界で足りないのは、情報をきちんと集めるということ。多くの場合、日本人はボトルを前にしても、その商品がどういう商品で、どのような背景があるのかといったことが分からない」
そんな思いから、中田氏が自身の会社で真っ先に取り組んだのが、日本酒アプリ「Sakenomy」の開発。銘柄や酒蔵の名前を検索すると、味わいや飲み方、食べ物とのペアリングなど詳細な情報が分かるようになっている。
また、世界に日本酒の素晴らしさを知ってもらう上で、何より重要なのが品質管理。温度管理が不可欠な日本酒の特性を踏まえ、日本酒セラーの開発や「Sake Blockchain」というブロックチェーンの技術による配送経路や温度記録など全体の情報を記録、共有できる仕組みづくりにも取り組んでいる。
「国内もそうだし、特にこれから海外が伸びていくことを考えたときに、酒蔵の人たちが全世界を飛び回るのは、なかなか難しい。その場所、現地に行かなくてもパソコン一つで管理できるシステムをつくっています」
現役時代には、代名詞の“キラーパス”で数々のゴールを演出してきた中田氏だが、現在は社長として、まさに生産者と消費者の間で「情報」のパスをつなぐ仕事に力を注いでいるというわけだ。
サッカー界で名声を築いた人物にとっては、サッカー界で仕事をする方が自身の経験・知見を活かしやすく、難しさも少ないように思える。ただ、中田氏は環境が変わることへの不安や迷いは一切ないのだと話す。
「(俳優の勝村さんにとっても)初めて映画をやるとか、初めて違う国の人と仕事をするとか、自分のやっている分野の中でも、初めての環境って、いろいろ出てきますよね。僕の場合も、21歳でイタリアに行きましたが、それを怖いと思って行きますか、というのと同じことですね。どの分野であろうが、違う環境に身を置くということはそういうこと。自分の常識は通じなくなる。でも、通じる部分もある。僕はサッカーをやってきたけど、サッカーだけをやっていたわけではない。そこで学んだことは他の分野でも生きる。僕は小さい頃から、そうやってきたから、怖いとは思わないですよね」
さらに、立教大の客員教授や国立工芸館(金沢市)の名誉館長など、さまざまな仕事、役職をこなす中で、ベストを尽くすために心掛けていることは「時間をつくる」ことだとも強調した。
「サッカー選手をやっていると、時間が制限されるのでできることが少なかった。今はもう自分で制限しなければ、いくらでもできてしまうので、日本酒の会社もやれば、工芸の美術館の名誉館長もやるし、大学の教授もやる。面白いと思ったら何でもやってしまいます。時間は、そのためにつくればいいので。時間はつくるもので、待っていても絶対にやってこない。いつも、そう思っています。だから『忙しくて時間がない』という人は、時間をつくる思いがないんだと思います」
一方で、これだけ多くのことに思いを至らせ、日本の誰よりも世界のサッカーにおける経験・知見を持つ元サッカー選手が、サッカー界から距離を置いている現状を残念がる人も多いはず。それは、あの伝説的名選手も同じ。番組最後の質問者としてビデオ出演した元ブラジル代表MFで、中田氏擁する日本代表も指揮したジーコ氏(68)=現J1鹿島テクニカルディレクター=は「クラブの人間であったり、解説者だったり、いろいろあるが、何かの形でサッカー界に戻ってくる気はあるのか、サッカーに関わるビジョンはあるのか」と、それを期待するかのように問い掛けた。すると、中田氏は「うーん」と考えた後、「ないとは言わないです」と続けた。
「例えば監督とかだと、自分が監督の言うことを聞いていなかったから、今の選手も監督の話を聞かないだろうなと。それなら、言っても無駄だし、やっても無駄だなと思う。ただ、運営はつまらない。やっぱり現場が楽しいので。(理想は)スーパーバイザーみたいな形で、練習場に行ってランニングしたり、ボールを蹴ったり、好きなことをやりたいですね(笑)。本当の仕事という意味でいったら、プレーどうこうではなく、サッカーのコネクションや力を使った社会貢献など、そういったことは何かやってみたいなと思います。サッカーの力って凄いと思うので」
では、中田氏が見据えるこれからの自身の未来図は、どのようなものなのだろうか。
「サッカーをやっていた時も、うまくなりたくてやっていただけで、これに勝ちたいとか、こういう賞を取りたいとか思っていなかったんですよ。今も、5年後、10年後の先を考えて生きているかというと全くそんなことはなくて、例えばこんなコロナ禍に誰がなると思っていました? 環境も変わるし、自分がやりたいことも、やる方法も、テクノロジーや環境が変わると変わってくる。ただ、今、日本酒を含めて伝統産業の仕事は非常に楽しくて、ここでいろいろとやっていこうという気持ちは変わらないですね。『やーめた。どっか行こう』というのは、今の自分ではちょっと考えられないかな。でも、サッカーの話にしても、どんなオファーが、いつ来るか分からないですからね。ただ、自分からそっちに行くことは、今はないですね」
そんな中田氏が、今の日本サッカーに思うこと、今のサッカー少年たちに伝えたいことはないのだろうか。本稿前編で「サッカーをうまくなるためには、こういう問題をこういうふうに解決する・・・と考えるように、ボールが今度は違うものになって、これをこうやって解決したら面白くなるかもね・・・っていうのを繰り返しているだけ」とサッカーと社長の仕事の共通点を明かしていたが、やはりサッカーでも「考える」ことが何より重要なのだと自論を説く。
「もちろん根性論や気持ちは大事だけど、これだけ解析が進んでくると、より理論的に考えてやっていかないといけないですよね。僕の場合は足も速くない、体も大きくない、技術もない。じゃあ、どうやってその中で自分を生かしてやっていくか、日々ずっと考えてきました。よく『体(の当たり)が強かったよね』と言われるけど、見ての通り、この身長(175センチ)で今は70キロくらいですけど、昔は73キロくらいで、相手は自分よりごついやつがいっぱいいるわけですよ。それでどうやって勝つかといえば、やっぱり考えることですよね。強くて勝てるのだったら、そんなに簡単なことはない。技術とかは今の子の方があるけど、サッカーは技術の見せ合いではないので、使い方を知らないと良い結果は出ない。そういうところを、ずっと考えてやってきたので、いろいろと(伝えられることも)あるかもしれないですけど」
「FOOT×BRAIN」の初回放送で「今後日本サッカー界に何が必要だと思いますか」との質問を投げ掛けられ、中田氏は当時「自分たちのサッカーをつくり上げていく。今、もうそこの段階に入っていると思うので、自分たちのオリジナリティーをどうつくっていくかというのは、ここから数年間の大きな命題になるんじゃないかなと思います」と答えた。
10年の時を経て、最後に同じ質問を受けた中田氏は、こう“金言”を若き世代に授けた。
「日本代表がより上に行くためには、技術がどうこう以上に、サッカー自体をうまくなるしかないですよね。でも、サッカーって技術だけじゃない。相手との駆け引きなど、いろいろなことがある。自分が現役の時に一番思っていましたけど、技術はある、スピードもある、体力もある、でもサッカーがうまいとは限らない。なぜかというと、サッカーでは、どこでも全力で行こうとすることより、もっと抜いたり、駆け引きで来させたりとかが必要になるから。時間もそうだけど、ペースは(自分で)つくるもの。自分でつくらなきゃ意味がない。巻き込まれたら駄目。そうやって、自分の環境、リズムをつくるということを、もっと小さい頃から教えていかないといけないと思いますね。テクノロジーが発達すると、個人個人の技術は解析されていってしまうけど、頭の中というのは解析しようにも100%は出来ない。だから、そういう思考のレベルを高くしていくことは非常に大事だと思います。技術も、体力も、どう使うかを考えないといけない。あるからOKじゃないんです。なかった人間だからこそ、そう思います」
中田氏は、仕事について「すごく大変だとか、そういうのはどうでもよくて、逆に(簡単に)ゴールにたどり着いてしまうとつまらない。また、次を探さなくちゃいけないから」と自身の哲学を口にする。考えに考えを巡らせ、周囲の予測を超え、未踏の道を切り開いていく。それを「楽しんで」やり抜くのが“中田流”の仕事術。それはサッカーのみならず、ビジネスの世界においても、一つの指針になるものといえそうだ。
中田英寿氏が異例のサッカー番組出演:前編 今明かされる現役引退の裏側、そしてサッカーと社長の仕事の共通点
サッカー元日本代表の中田英寿氏(44)が、テレビ東京で4月17、24日放送のサッカー番組「FOOT×BRAIN」(土曜深夜24時20分) にゲスト出演。同番組のMCを務める俳優、勝村政信氏(57)と対談が実現した。2011年4月2日放送の初回にゲスト出演した縁から、放送10周年の特別企画として再び登場。06年の現役引退後、ほとんどサッカー番組に出演することがなかった中田氏だが、サッカー関係者からの質問に答えたり、代表取締役として取り組んでいるビジネスへのこだわりを明かしたりと、「サッカー選手」「社長」の両面から普段はなかなか聞けない思いを余すところなく語った。