「進路は正直なところ何も考えていなかった」高校3年生の記憶

野球である種の挫折を味わった僕は、高校卒業後の進路を真剣に考え始めました。初めて進路の話が出たときは、正直なところ何も考えていませんでした。ですが、その頃には高校生活できっぱりと野球をやめるためにも、やり通してやり尽くそうと決めていました。それから真剣に考え始めた僕は、これまで野球ばかりやってきた自分が野球をやめたら何が残っているんだろうと自問し続けました。その末に出た結論は、今まで野球に熱中してきて鍛えた体を生かせる職業につきたいというものでした。ただ、これまでは野球のことばかりを考えていたので、それ以外に体を生かせる職業という選択肢が多く思い浮かばなかったのでしょう。消防士や警察官といった数少ない候補が挙がると同時に、身近な存在の父がレーサーだったことを改めて思い出し、初めて競輪選手を職業として自分の将来として意識するようになりました。
父の生活を振り返ると、レースが月に2〜3回ほど斡旋されるとしたら10日間から1週間ほど家を空けていました。それ以外の日は基本的に家にいることが多かったのですが、僕が起きて学校に行く頃にはすでに父は出かけていました。そして、昼過ぎには帰宅していたようで、僕が帰宅する頃には父は昼寝をしていたり、お酒を片手にDVDとかを見ていたりしていました。当時は、月にちょこっとレースに出かけてあとは家でのんびりしているなんて、いい生活だなあなんて感じていました。そういった選手以外の姿ばかり見ていた僕は、ひょっとすると楽して稼げるのではないかって思っていたところがありました。結局あとから実感するのですが、父は練習を第一とする人で競輪界は決して楽な世界ではありませんでした。

「やるんだったら本気でやれ」競輪選手の父からかけられた言葉

そうやって悩んだ末に競輪選手を目指す決意をし、父に相談することになります。これまでは、否定的に怒るような厳しすぎる父というわけでもなく、ただただ甘やかすだけの優しすぎる父というわけでもなく、僕の意見も尊重して的確にアドバイスをくれる父でした。その父に競輪選手に興味があると打ち明けたのですが、コロッと人が変わったように態度が豹変しました。周りの友だちよりも競輪は身近で知っているつもりでいましたが、ほとんど何も知らなかった僕はそこで父に打ちのめされます。「やるんだったら本気でやれ」と言われ、そのときに競輪界では面倒を見る師匠という立場の人が必要になることを知らされます。そして、「自分が師匠になるから生半可な気持ちではなく、しっかりとケジメをつけろ」と告げられました。
父とは、そこからすぐに師弟関係になったわけではありません。野球部として最後の大会を迎える前に相談をしていたので、実際に野球部を引退するまでに猶予期間がありました。それまでに父の練習用の自転車を借りたりして試してみることができました。そのときにやれそうだなって思い、野球部を引退した直後に改めて父へ弟子入りを志願しました。そこから親子の関係ではなく、師弟の関係が始まることになったのです。

それから、高校を卒業して2カ月後くらいにある競輪学校の入学試験を目指すことになりました。師匠にはそれを目指すのであれば、早いうちから取り組んでおけと言われ、快く自分の自転車を貸してくれるようになりました。そこで本格的に競輪レース用の自転車に乗ることになりますが、最初は乗りにくくてキツいと感じる反面、速くこげて面白いと感じました。レース用はやはり速く走るために作られていてギアも可変ではなく固定なので、ママチャリとは違い前傾姿勢でキツいなあと思いましたが、慣れるといつも以上にスピードを感じることができて面白さを見出せました。そこで面白味に気がつけたことで、競輪選手を目指して前へ進めるようになったのだと思います。

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「トレーニングなんかよりもよっぽどキツかった」父との師弟関係

父との師弟関係に慣れるのも大変でした。最初に、言葉づかいをはじめさまざまなことを口酸っぱく言われていました。競輪場などの外では先輩方や他の候補生の目もあったので緊張感がありしっかりできていましたが、家に帰ると違和感を感じることが多く、やりづらさを感じていました。親子であっても他人に師匠を任せて預けてしまうという選択肢もあったと思います。ですが、父は自分で面倒を見る覚悟を決めて責任を持って接してくれました。今にして思うと、師匠も選手として成長できるいい機会と捉えてくれたのではないでしょうか。
そうやって、その都度師匠から多くのことを教えられました。早朝練習も共に取り組むようになり、四六時中師匠と寝食を共にするという生活になりました。今だから言えることですが、それが最もキツかった思い出です。起きて顔を合わせて一緒に練習に出かけ、昼食も共にして家で夕食も共にする。本当に24時間ずっと一緒で、しかも当時は父で師匠という違和感も合わせ持っていたので、厳しいトレーニングなんかよりもよっぽどキツかったです。もちろん、父が師匠で良かったところもあります。最も良かったと感じたのは、競輪選手を目指すにあたってスムーズ始められた点です。父が選手だったおかげで、自転車をはじめとする道具一式が最初からそろった状態でした。師匠が親ではなくても、最初は師匠をはじめとする先輩選手たちが道具を貸してくれるので、始めるにあたってそれほどハードルは高くありませんが、それと比較しても僕の場合はスムーズだったのは間違いありません。それに自分で買いそろえようとすれば、100万円近くはする代物です。その苦労を知らずに始められたことは、本当に恵まれていたと思います。
その他にも父が選手だったので業界で顔がきき、早めに認識してもらえたのは良かったことに挙げられます。師匠はベテランと呼ばれる域の選手で一目置かれていたので、他の選手たちから優しく接してもらえていたように思います。競輪選手になっても父に守られていたのでしょうね。

(郡司プロフィール)
郡司浩平(ぐんじ・こうへい)神奈川99期 S級S班
1990年9月4日生
2009年に日本競輪学校(現:日本競輪選手養成所)へ99回生として入学
2011年1月に川崎競輪場でデビュー(2着・1着・8着)
2013年1月にはS級に初昇級し、同年11月に京都向日町でS級初優勝を達成した。
その後も着実にステージを上げ、2016年1月に和歌山競輪場で記念初優勝、2017年にウィナーズカップ(高松)でG2初優勝。さらに昨年11月に競輪祭(小倉)で念願のG1タイトルを獲得。今年2月にもホームバンクの川崎で開催されたG1全日本選抜競輪で優勝を果たしている。
S級S班として今年は2年目を迎える。


(協力)チャリロト パーフェクタナビ編集部
https://www.chariloto.com/perfectanavi/

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VictorySportsNews編集部