今シーズンでのリーグ戦を振り返りたい。V1リーグにおいて、堺ブレイザーズはレギュラーラウンドを24勝12敗の4位で終え、上位4チームの総当たりによるプレーオフ「ファイナル4」では、0勝3敗と決勝進出とはならなかった。2012・13年シーズン以来の優勝を狙えるチャンスがあっただけに無念の結果ではあるが、長らくリーグ中位が定位置となっていた堺からすると、この2シーズンは古豪復活を感じさせた。その中心にいたのは間違いなく深津旭弘だった。

4月9日プレーオフ第2戦のパナソニックパンサーズ戦、堺はこの試合に敗れたら最終戦を前に決勝進出の道が絶たれる。その状況下で挑んだ一戦は、どのセットも競り合う展開の大激戦となった。第4セットもデュースの展開が続いたが、最後の最後でパナソニックに押し切られ、30−32でセットを落として敗退した。決勝へ進めなかったことへの責任を感じているのか、深津は噛みしめるような表情で歓喜するパナソニックの選手たちを見つめて引き上げていった。消化試合となった4月16日プレーオフ第3戦後、深津は淡々と振り返った。

「目標としているところには届かなかったけど、これをまた糧にして頑張り続けるだけ。何歳にしても、最後まで自分の向上心を持ってあきらめずにやり続けたい」

サーブもブロックも驚異的な日本では希有なセッター

深津の特徴を簡潔に説明するのは難しい。強みがありすぎるからだ。まず、セッターでありながらブロック能力が高い。身長は183cmと決して高くは無いがブロックのタイミングの取り方、手の出し方、アタッカーとの駆け引きが上手く、1人で相手アタッカーをブロックで仕留めることもある。今シーズンのレギュラーラウンドでは、通算ブロック数、1セット当たりのブロック数、共にセッターとしては1位を記録している。

サーブの効果も驚異的だ。揺れながら急激に変化する無回転ジャンプフローターサーブを武器に、時にはジャンプサーブのようなフローターサーブ(ハイブリッドサーブ)を使い分ける。また、打つタイミング、立つ位置をその都度変える工夫をこらし、なおかつミスも少ない。ジャンプサーブとは違った破壊力が深津のサーブにはあり、相手レシーブを高確率で崩して、チームに連続点をもたらす。深津のサーブを見ているだけでも、バレーの面白さが学べる。今シーズンのレギュラーラウンドの記録では、サーブ効果率では日本人トップの6位。サーブ得点数は16位だが、ジャンプサーバーでない選手ではトップの数字だった。

そして、リーダーシップ。コート上では声を張り上げ、仲間を叱咤激励する。コロナ禍で声援がなかった時は余計に深津の声が会場中を響き渡っていた。他にも、ディグ能力の高さも目を引く。ポジション上、相手チームの外国人アタッカーからの強打を受けることが多いが、それらを恐れずに拾う。

もちろんセッターとしてのトス能力も高い。アタッカーへのトス自体は奇をてらったものは少なく、攻撃力が一番高いオポジットの外国人選手を中心にトスを上げることで着実に加点していく。一方で、このスタイルがなぜか疑問視されることがあり、非常に気の毒に感じる。

トス、ブロック、サーブ、ディグでもハイレベルなプレーをする深津は、Vリーグトップのオールマイティなセッターだと断言できる。

深津自身も3月12日の東レアローズ戦後に「セッターだからブロックしなくていいとかそういうことじゃない。ブロックでもサーブでもディフェンスでも、もちろんトスもあたりまえですけど、どの場面でもチームに貢献することが重要だと思うので、一つでも自分のところで効果を出せていけたら」と、こだわりを感じさせるコメントをしている。

このオールマイティーなセッターが堺に加わったことで、堺は2シーズン連続で上位争いを演じることができた。堺は伝統的にブロックが特徴のチームだが、深津が加わったことで好影響をもたらした。

引退して社業に専念か、それとも移籍して現役続行か。

しかし、堺に移籍する前シーズン(2020・21年シーズン)、JTサンダーズ広島で苦悩の時を味わった。Vリーグで有名な深津3兄弟の長男である深津旭弘は、2010年に東海大学からJTに加入した。JTでの在籍11シーズンで、リーグ、天皇杯、黒鷲旗の優勝に貢献するなど、多くの栄光をもたらした。しかし、2020・21年シーズン、チームの若返りの方針の影響を受け、シーズン途中から出場機会を失った。いつかは訪れる世代交代の波。ただ、当時まだJT内で次世代が育ってきたとはいえない段階での交代は、記者には不可解に感じた。

2021年1月にJTのホームゲームを取材しにいった時のこと。深津はベンチ入りしたものの出場機会は無く、控え選手エリアの後方で、複雑そうな表情で戦況を眺めている姿が印象的だった。そして、シーズンオフにチームから来シーズンの構想外を伝えられた。

当時、広島の地元紙である中国新聞のインタビューで、深津は引退して社業専念か移籍するか悩める胸中を明かしている。そして、現役選手としてプレーし続ける道を選んだ。当時33歳。引退しても大企業JTの正社員として働けることが保証されている中、退社しての移籍を決断した。既に結婚して子供もいる。そういった状況で、大企業を辞めて新しい土地へ移るという決断は、そう簡単なことではなかっただろう。

だが、ここから深津の復活劇が始まった。上述したように、堺に移籍した深津はチーム戦術もはまり活躍し、堺を優勝争いに絡むチームに変貌させた。2021年末の天皇杯では準優勝、その後のリーグ戦(2021・22年シーズン)ではシーズン終盤まで優勝争いを続け、最後の最後で思わぬアクシデントに巻き込まれてプレーオフ入りを逃したものの、今シーズンの優勝争いと合わせて古豪復活を印象づけた。

移籍後の復活劇、日本代表にも復帰して大活躍

堺での活躍を受け昨年、深津は3年ぶりに日本代表に選ばれた。国際大会が重なることもあり、多くのメンバーが選ばれていたとはいえ、ブランクあっての34歳(当時)での代表復帰はかなり珍しい。深津は昨年8月に行われたアジアの国際大会「AVC cup」に出場する日本代表Bメンバー(Aは世界選手権)に選ばれた。正セッターとして決勝までの全6試合に出場し、チームを準優勝に導いた。この時、代表の指揮をとった真保綱一郎監督(東京グレートベアーズ監督)は「深津のリーダーシップが必要」と大会中に明かしていた。

この大会で、深津のプレーで印象的だったのが、2次リーグのタイ戦。前の試合の韓国戦でフルセットの末に負け、タイ戦は絶対に負けられない試合だった。この重要な一戦で、深津のサーブが牙をむいた。サービスエース含む深津のサーブが起点となって8連続ポイントを取り、勝利に大きく貢献した。あまりに驚異に映ったのか、次の準決勝のバーレーン戦では深津がサーバーになる度に、バーレーンの監督がタイムアウトを取ったり、主審に何かしらアピールして深津のサーブのリズムを崩させようとするほどだった。

惜しくも決勝では世界選手権出場メンバーで臨んだ中国代表に力負けしたが、B代表の日本が準優勝できたのは見事だった。そして深津自身は大会のベストセッター賞を受賞した。本人は表彰式で申し訳なさそうに中国代表のセッター于垚辰(大会後にV2リーグのつくばユナイテッドに移籍しプレー)に謝っていた。「やっぱり優勝したチームのセッターが賞をもらうべき」(深津)と。

深津旭弘は、2022年8月にタイ・ナコンパトムで開催されたアジアの国際大会「AVC cup」でベストセッター賞を受賞。(撮影:大塚淳史)

久々の日本代表の活動に数カ月参加し、ほぼ休みなく堺での2シーズン目に突入した今シーズン。チームは前シーズン同様順調に勝利を積み重ねていたとはいえ、深津のプレーは本調子には見えなかった。しかし、今年に入ってシーズン終盤に近づくと、明らかに深津自身の体のキレが上がっていき、熾烈なプレーオフ圏内の4位に留まった原動力となった。4月16日の試合後には、

「コンディション作りは正直大変なところもあったけど、でもそうやって代表に選ばれることは幸せなことだと思うし、Vリーグで戦えることも自分は恵まれると思うし、どんな状態でもちょっとしたことを言い訳するわけでもなく、自分を持って頑張りたい」

と前向きに振り返っていた。

今年も日本代表入り

そして、今シーズンのリーグ戦での活躍ぶりを再び評価され、2023年の日本代表メンバーに登録された。日本代表のフィリップ・ブラン監督は、4月7日の会見で今年7月に36歳を迎える代表最年長の深津について、「堺でのプレーを見た時から優秀な選手だと思っていて、チームを変えることができる選手。リーダーシップを持っている。年齢は選考には関係ない。活躍してほしい」と期待をこめていた。

年齢は単なる数字でしかない、とはよく言われる言葉だが体の衰えは確実にくる。それでも深津は前向きだ。

「年齢はありますけど考えてもしょうがない。(この年齢になって)技術的なところ、精神的なことも含めて安定するという実感がある。今までだったら、もっと苦しんでいるところを楽しめたりというのはある。衰えは多少なりとも出てくる。でも、伸びるところもまだまだある。今が一番ベストという自分を、今が一番全盛期というものを作っていきたい」

堺や日本代表での活躍。深津は間違いなく今全盛期を向かえている。


大塚淳史

スポーツ報知、中国・上海移住後、日本人向け無料誌、中国メディア日本語版、繊維業界紙上海支局に勤務し、帰国後、日刊工業新聞を経てフリーに。スポーツ、芸能、経済など取材。