鉄則通りの距離感

 霧島の地力向上を象徴したのが胸突き八丁の終盤の2番だった。まずは12日目の関脇琴ノ若戦。ともに2敗で優勝争いに大きく影響を与える一番だった。霧島は右四つで浅く左上手を引いて頭をつけ、相手に何もさせずに寄り切った。体格的には186センチ、145キロの霧島に対して、琴ノ若は189センチ、170キロと一回り大きい。勝因の一つに、四つ身になったときの左上手と頭の位置が挙げられる。

 体格や単純なパワーでは劣るのにまわしを取れば強い―。この点について、いみじくも場所前に語っていたのが、元小結大錦で元山科親方の尾堀盛夫さん。新入幕の1973年秋場所で横綱琴桜を倒して11勝する快進撃を披露し、三賞独占の快挙を成し遂げて旋風を巻き起こした。尾堀さんは自身の握力は強くなかったとした上で「まわしを持つ手の位置と頭が近ければ十分に力を発揮できるもの。反対にいくらパワーがあっても、遠ければ力は出にくい。そこは常に意識していた」と解説した。今回の霧島も左上手を取ると腕を直角に曲げ、頭を琴ノ若の顎の下から左上手に近い付近にあてがい、力強く引きつけて快勝した。

 14日目には、またもや2敗同士の首位対決で熱海富士と当たった。この取組では先に右を差すと、左を巻き替えてもろ差し。右を深く差して密着し、寄り切った。相撲の鉄則に「差した方に寄れ」という言葉がある。理由は、差し手とは逆方向に出ていくと、上手投げや突き落としなど逆転技を食いやすいからとされる。今回の場合はもろ差しだったが、より深く差した右の方へ差し手を突きつけるようにして前進し、反撃の隙を与えなかった。

脳の自動化

 賜杯の行方を左右するような大一番で、立て続けに理想的な取り口をスムーズに実行できるのは、熱心な稽古のたまものだ。霧島は九州場所前、福岡入りしてからも40番以上連続で取った日があった。繰り返し同じような動きを日頃から身に付けておかないと、いざ本番となってもうまくいかない。

 その点を脳科学的な見地から考察した事例がある。米国のジャーナリスト、デイヴィッド・エプスタイン氏の著書「スポーツ遺伝子は勝者を決めるか?(原題:THE SPORTS GENE)」では、たゆまぬ練習の効能について次のような言及がある。「打撃にせよ、投球にせよ、車の運転にせよ、習得技術を行動に移すときの脳の活動領域は、練習を重ねるにつれて、前頭葉にある意識の領域から、自動的な処理を司る原始的な領域、つまり『考えることなく』身体を動かす技能の領域へと徐々にシフトしていく。スポーツでは、練習を重ねて得た技術に対して脳の自動化は超特異的で、ある特定の動作に対してトレーニングを積んだアスリートの脳画像を見ると、まさにその動作をするときにかぎって、前頭葉の活動が非活性化されることがわかる」

 日本相撲協会の八角理事長(元横綱北勝海)は現役時代、兄弟子だった横綱千代の富士の胸を借り、ぶつかり稽古をはじめ壮絶ともいえる鍛錬を積んだ。その結果、たぐいまれな馬力が備わり、突き、押しを武器に最高位に就いた。八角理事長は常々口にする。「稽古で動きを体に染み込ませなければならない。取っている最中は頭で考えるより先に体が動く状態じゃないといけない」。現役時は突き切れなくても、おっつけや差してからの寄りで勝負をつけるなど優勝8度。エプスタイン氏の分析を実体験から裏付けする指摘といえる。

お金を払うわけ

 稽古の重要性を体現しているのは、大健闘した熱海富士も同様だ。所属する伊勢ケ浜部屋は師匠の伊勢ケ浜親方(元横綱旭富士)の厳格な指導の下、気迫あふれる稽古で知られる。一人横綱の照ノ富士も所属。稽古は朝から正午近くまではざらで、モンゴルから来た細身の少年が横綱日馬富士に成長したり、小兵の照強や翠富士が幕内に上がって土俵を沸かせることができたりしたのも、この部屋で鍛えられたからだ。

 若貴時代を含めて長く活躍した力士に大関魁皇がいる。中卒たたき上げで優勝5度。現在は浅香山親方となって相撲協会審判部副部長を務めるが、巡業での出来事を嘆いたことがある。目立ったけがを抱えていないのに稽古で全く相撲を取らない若手の関取がいた。「何で土俵に上がらないのか聞いたら『今は体をつくる時期です』との答えだった。そういう概念は自分たちの現役の頃にはなかった。力士はプロ。特に若いうちは常に鍛える心構えじゃないと、すぐに力が落ちてしまう」。若いのに必要以上に調整を重視する余り、鍛錬がおろそかになる現状を残念がった。全体的に一昔前に比べて引き技にあっさり落ちるなど、淡泊な内容が目につくと好角家の間でよく聞かれる。稽古量の違いと無縁ではないだろう。

 ここ数年は新型コロナウイルス禍の影響で出稽古が制限されたり、陽性の場合に隔離が必要だったりと、何かと鍛錬の面にも響いていた。それも今年に入って本格的に状況が回復し、心置きなく稽古に打ち込める環境が整った。東京開催場所で升席の料金は土俵に一番近いエリアで土日祝日が1人1万5千円、平日は同1万4千円。白熱の攻防、熱戦に送られる拍手や声援の大きさに触れれば、観客が何にお金を払って来場するのかが理解できる。霧島の横綱挑戦や熱海富士の上位総当たりを含め、八角理事長が常日頃から言っている“稽古に裏打ちされた土俵の充実”が楽しみだ。


高村収

1973年生まれ、山口県出身。1996年から共同通信のスポーツ記者として、大相撲やゴルフ、五輪競技などを中心に取材。2015年にデスクとなり、より幅広くスポーツ報道に従事