お菓子の箱

「明日の朝、役所の責任者の自宅へ行きましょう。クロエの家族構成一覧表とIDカードを見せて、状況を説明し、先方がパスポートの発行を確約すれば、先に半分だけ賄賂を払います」

 ビルマ族の協力者が言った。

 翌朝、〈イギリス人の組織〉の者と協力者、そして取材班は責任者の自宅を訪って丁重に挨拶した。それから、ひとまず話がまとまったので賄賂の半分を渡した。その後、日中のヤンゴン市内を見物したクロエは、怯えと緊張が入り混じったような硬い表情で、終始、唇を内側に巻き込み、拳も握りしめていた。

 タイでも、バンコクや大きな都市部に出た経験があれば、これほど緊張することはないだろうが、硬直の一番の原因が、まだ手にしていないパスポートであることは想像できた。彼女はビルマ語が話せないため、協力者は責任者の家にクロエを連れて行かなかった。

 デパートで買ったお菓子の箱の中に収めた賄賂を受け取った役人は、「明後日の午前11時に、その女性を連れて役所へおいでなさい」と言った。

KNLA

 翌日、クロエとタンアウンは、ビルマ族の協力者の案内で経済特区に出掛けた。特区内の工場の多くは敷地内に従業員が生活する寮を構えており、カレン族の女性も数多く働いている。

 一方、取材班は――クロエやビルマ族の協力者と行動をともにするひとりを残して――〈イギリス人の組織〉の協力者のひとりであるカレン族の男性と、カレン族の夫を持つビルマ族の女性の案内で、KNLAの駐屯地へ向かった。KNLA(カレン民族解放軍)は、カレン民族同盟(KNU)の軍事部門である【*】。取材時の取り決めで、駐屯地の場所と部隊名は伏せる。

 途中、ミャンマー軍傘下のBGF(国境警備隊)に編入されたかつての反政府ゲリラ組織、DKBA(カレン仏教徒軍)の検問を抜ける際には、女性(カレン族の夫に嫁いだビルマ族)に運転してもらい、KNLAの検問ではカレン族の男性に替わってもらった。

 ヤンゴンから丸2日運転し、丘陵地帯の小さな集落で車を降りた。カレン族の集落だ。まずは長老に挨拶し、各種の薬やサプリメントを土産として渡した。ビルマ族の女性は、ここに残る。それから、カレン族の男性と取材班は、3人組の若者に先導されて集落の裏道を通り、丘を迂回して駐屯地に着いた。

 KNLAの兵士に連れられてさらに進むと、木と竹で作られた高床式の見張り小屋があり、さらに奥が駐屯地だった。取材班は、その小さな砦のような駐屯地の責任者である士官に挨拶した。

【*】本稿では、話者が「KNU」と発語した場合でも、それが武装組織としての「KNLA」を意味している場合は「KNLA」と表記する。

白い血 

「カレン族と日本人の間には特別な関係がある」

 会うなり、士官は言った。

「ミャンマー軍には気をつけろ。あいつらは残虐な人でなしだ」

 ソウバウジ―の肖像タペストリーを背に、青年兵士やベテラン下士官も熱のこもった調子で口々に言った。

「おれたちのところにいたのがバレたら、奴らはあんたらを拘束するぞ」

「拷問するかもしれない」

「ビルマ族は最悪の連中だ」

 充血した目の士官はキンマの葉でビンロウを巻き、ひっきりなしに噛んでいる。

「ミャンマー軍に、後を尾けられてないだろうな?」

 取材班を先導した若者が背筋を伸ばして答えた。

「前後左右、周囲をきちんと確認しました。仲間に電話で連絡をとって、裏道にミャンマー軍の巡回と斥候がいないことも確認して、彼らをここへ連れてきました」

現在、ここに常駐する兵士は30人前後だという。

「(ミャンマー政府と停戦協定中なので)派手な撃ち合いをすることはなくなったが、面倒な小競り合いは増えた。互いにどちらの(支配)地域にも入り込めるから、誰がスパイなのか注意深く観察している」

 士官は高台から庭へ、唾を吐いた。赤い唾は、仲良く寝そべる2匹の豚の手前に落ち、数羽の鶏がバタバタと羽を動かした。彼らは今、散歩の時間だ。その脇や奥には、いくつもの大きな竹籠が逆さに置かれ、中にはそれぞれ数羽の鶏が収まっている。さらに、材木を抱えた男たちが庭を横切り、トラックに積んでいる。

「……自給自足だよ」

 よく見れば、庭に植えられている樹木は、ローリエやレモンなど食材として使えるものばかりだ。インタビューの後、士官は駐屯地の裏を案内してくれた。山の斜面に沿い、等間隔で整然と植えられた林は、先が見えないほど広い。それぞれの木の表面には、リストカットを繰り返す女性の腕のように、斜めに切りつけられた跡が残る。すべてゴムの木だ。樹木の肌を切りつけると、白い生ゴムがにじみ出る。それをバケツに集めて売り、現金を得る。

「このあたりの木は10年目になった。ゴムの木は約30年にわたって樹液を採れるし、気候の変化にも強い」

 駐屯地の若い兵士、ベテランの下士官などは皆、部隊当番のない日は、家畜やゴムの木の世話をしているという。とはいえ「自給自足」の表現は正確ではないだろう。日々の主食であるはずの米や野菜について尋ねると、士官は「KNLAは、カレン族のために戦っている。近隣の村人たちは我々の戦いを理解し、我々を支えるために米や油を自発的に提供してくれる」と言い、それから「彼はその中でも、もっとも理解の深い大切な友人だ」と、〈スポンサー〉であるカレン族の協力者の男性に微笑みかけた。

Vol.7に続く

Project Logic+山本春樹

(Project Logic)全国紙記者、フリージャーナリスト、公益法人に携わる者らで構成された特別取材班。(山本春樹)新潟県生。外務省職員として在ソビエト連邦日本大使館、在レニングラード(現サンプトペテルブルク)日本総領事館、在ボストン日本総領事館、在カザフスタン日本大使館、在イエメン日本大使館、在デンバー日本総領事館、在アラブ首長国連邦日本大使館に勤務。現在は、房総半島の里山で暮らす。