そんな仕組みは存在しない

「彼らは決まった給料もなしに戦っている。支えるのは当然だ」

 〈イギリス人の組織〉の協力者であるカレン族の男性は、KNLAのスポンサーでもある。彼は毎年2万バーツ(約7万円)の現金をKNLAに寄付し、定期的に米と野菜、油なども提供している。

この協力者は、ヤンゴンの経済特区に「従業員」を送り込む仕事をしており、彼の父親や親戚はいくつかのカレン族の集落を統治している。それらの集落は、ミャンマー政府との停戦協定の交渉において、KNLAの〈所有地〉という扱いになっているため、ミャンマー軍はKNLAへの事前通告と承認なしに、それらの集落の敷地へ立ち入ることができないのだという。

「武器を手放しさえしなければ、いつか自治権は手に入る」

 スポンサーが言うと、士官も続けた。

「でも金がなきゃ、人は離れる。おれも妻と子供を食わせなきゃならん」

 形式として、KNLAの戦闘員には給料がない。

プロの兵士

 現在、50歳に近づいた士官がKNLAに入隊したのは、16歳のときだったという。

「おれは子供の頃から、農民には向いていなかった。おれの両親は農民だったが、農民は貧しい。ガキの頃から、おれはKNLAに協力した。彼らはおれを褒めてくれたし、飯も食わせてくれた。だからKNLAに入った。この頃のおれたちは、プロの兵士だった。現場出動を交えた訓練期間は数年にわたり、皆、それなりの実戦経験を積んだ。農民よりたくさんの金ももらった。だが、とうの昔にマナプロウは陥落し、今、組織は危機に瀕している。こいつを見てくれよ」

 士官は、若い兵士に目をやった。まだ20歳になったばかりだという。

「こんな時世でも、志を持ってKNLAに入ってくれた。良い奴だ。でも、こいつには実戦経験がない。おれたちには金もないから、ロクに訓練もしてやれない。ずっと戦争が続くと思ったから兵士になったのに、今じゃあ、戦争もなくなっちまった……でも、カネを見つけるチャンスはあるんだ」

大日本帝国

 数分後、小さな木箱を持った士官が戻った。中には、錆びた鉄くずや刃の欠けたナイフ。

「ミャンマー軍がどうしてこの場所を欲しがるか。分かるか?」

 その情報自体を初めて聞いたので分からない。

「ここには、日本軍の兵站基地があったのさ」

 あっという間に、この話の先行きが分かった。フィリピンでも、インドネシアでも似たような話を聞かされたことがある。

「逃げるとき、日本軍は持ちきれなかった財宝を埋めていったはずだ」

「ひょっとすると、そんな可能性もゼロではないかもしれませんね」

 目の前に出された錆びた鉄くずやナイフがそもそも旧日本軍のものなのかどうかも判然しないが、ひとまず答えた。
「だから今、どこを集中的に掘ればいいかを考えているんだ」

 士官に聞きたかったのは、そんな「特別な関係」ではなかったので、取材班のメンバーのひとりが1枚の写真を見せた。自ら筆を執った著作では〈西山孝純〉の名で、ある時期ともに戦った傭兵・高部正樹の著作『戦友』(並木書房)では〈西岡〉として登場するその日本人は、現在まで続くKNLAと日本人の義勇兵を繋ぐ端緒となった人物である。

 1989年からKNLAに参加し、98年に熱帯性マラリアによって生涯を終えた。KNLAの精神的本拠地であったワンカーの最前線に立ち、特殊工作にも従事した〈西山/西岡〉に、高部は大きな讃辞を贈っている。

〈西岡は傭兵ではなく、あくまで義勇兵だった/彼の戦いは、カレン軍有数の激戦地であるワンカーの攻防戦だけにとどまらなかった。当時タイ・ミャンマー国境沿いには、パルー、マポケ、ワレーといったカレン軍の主要拠点が点在していたが、他部隊が守備するそれらのキャンプの攻防戦にも積極的に参加し、獅子奮迅の活躍だったという。もし西岡がここで逃げ出していたら、その後日本人は快く迎えられなかったかもしれない。のちにカレンには兵士志願の日本人が何人もやってきたが、その多くがぶざまな姿をさらして、ごく短期間で尻尾を巻いて日本に逃げ帰っている。それでもなお日本人が好意的に受け入れられてきたのは、西岡の功績によるところが大きいのではないだろうか〉【『戦友』より引用】。

Vol.8に続く

Project Logic+山本春樹

(Project Logic)全国紙記者、フリージャーナリスト、公益法人に携わる者らで構成された特別取材班。(山本春樹)新潟県生。外務省職員として在ソビエト連邦日本大使館、在レニングラード(現サンプトペテルブルク)日本総領事館、在ボストン日本総領事館、在カザフスタン日本大使館、在イエメン日本大使館、在デンバー日本総領事館、在アラブ首長国連邦日本大使館に勤務。現在は、房総半島の里山で暮らす。