ワンカー
給料が存在しないKNLAのシステムについては、〈西山/西岡〉自身の解説が分かりやすい【*】。
〈ここで生きる人々は、労働力や手間を生活共同体のために提供することを厭わない。KNUは何の強制・脅迫も行わない。こうしなければこうなるゾ!などという理屈はなく、ただ待っていてもだれも助けてはくれない、という単純で自然な姿勢が暗黙の了解としてあるだけである/KNUのカレン人たちは、カレン州はもとより、モン州の一部からテナセリウム管区に連なる地域を「コートゥレイ」と呼び、七つの管理地区に分けている/七つの各管区庁ではスマグラー(密輸業者)の出入取締りを行ない、取引額に八パーセントを課税したり、通行税を徴収したりする/またカレン軍は専従の職業兵士からなるKNLAのほか、農・林・漁業から難民?までの副業を持つ男たちのKNDO(民族防衛機構)がある/さらに戦禍で肉親を失ったり、仕事を持てずに軍に志願する少年たちも、十五才を過ぎるまでは前線に兵士として立つことはできず、毎日、後方と最前線を補給物資を担いで往復することになる。彼らのような少年兵もまた、KNLAの編成には加えられていない〉【西山孝純『カレン民族解放軍のなかで』(アジア文化社)より引用】
彼の著書『カレン民族解放軍のなかで』が発表されたのは、1994年の1月だった。そして〈コートゥレイ〉の首都であるマナプロウや、要衝ワンカーがミャンマー軍によって攻略され、KNLAがその支配地域を大幅に失うとともに、反国家的統治機構としての機能に致命的な損傷をうけるのは、同書の刊行からわずか1年後のことだった。
〈西山/西岡〉が確固たる自信を持ち、言葉を尽くして称揚した、カレン族の民衆に支えられているはずのKNLAはどうして、約束されたはずの大地を手放すことになったのか。
この点について、〈西山/西岡〉とともに陥落直前のワンカーで戦闘に参加していた高部の回想はいかにもあっさりしている。
〈一九九五年一月、カレン軍司令部マナプロウはミャンマー軍の攻撃によって、ついに陥落してしまう〉【『戦友』より引用】
これは事実のようで、事実とはいえない。義勇兵としてKNLAで戦った経歴を持つ高部は、マナプロウ陥落の事実に対して強い政治的配慮を働かせているからだ。マナプロウは、ただミャンマー軍の攻撃によって陥落したのでなかった。KNLA内部で深刻な対立が生じ、DKBA(カレン仏教徒軍)と名乗る、カレン族による新たな武装勢力が誕生したことで、マナプロウは陥落への道を辿ったのである。
【*】西山や高部以降も、KNLAに関わった日本人は複数存在する。現在にいたるまで、長年に亘ってKNLAの一員として活動している沖本樹典は、2023年に『カレン民族解放軍』(パレード・ブックス)を上梓したが、同書にも兵士たちの金銭面についての言及はない。
DKBA
「マナプロウが陥落したとき、私は補給部隊を指揮していた。最後の最後まで、どちらの決断を下すべきか悩んだが、もう1度だけKNLAの指導部を信じてみようと決めた。結果的に、その判断は間違いだったがね」
還暦を過ぎた将校は、半ば苦笑するように言った。
「祖父も、父もKNLAの士官だった。15歳で正式な兵士になったときは、まだこの戦争に勝てると信じていたよ」
彼はDKBA最高幹部のひとりだが、彼の属する「現在のDKBA」はマナプロウ陥落のきっかけとなったDKBA(カレン仏教徒軍)ではなく、同じ略称を持つDKBA(カレン善隣軍)である。カレン族の協力者の手引きでKNLAの駐屯地を訪ねた数日後、取材班はまた別のビルマ族の協力者の手引きでDKBAの駐屯地を訪れた。
「あのときも、今でも、KNLAや欧米人の連中は『ミャインジーグー僧正の暗殺計画などなかった』、『暗殺計画は、KNLAの分断を狙ったキンニュン(ミャンマー軍の元大将で元首相)の情報操作だった』と言うが、私には信じられない。なぜって? キリスト教徒を信じて、私はあのときKNLAに残り、結局裏切られたからだよ」
日本のメディア関係者の中で、もっとも長くKNLAの取材を続けているジャーナリストの宇田有三は「カレン人のおそらく7~8割は仏教徒である」と推測しているが、KNLAの指導部はほとんどキリスト教徒によって占められている。
ウトゥザナ
1948年、ミャンマー独立の翌年に生まれたミャインジーグー僧正ことウトゥザナは、シュエジン派の僧侶から還俗してKNLAに参加した。その後ふたたび得度し、KNLAとミャンマー国軍の戦闘によって荒廃した仏教遺跡の復興や仏塔建立を精力的に進めた。そして徐々に、KNLAの兵卒の多くを占めていた仏教徒のカレン族たちの支持を集めるようになった。
「分裂の随分前から、KNLA指導部に対して違和感を持つ仏教徒たちは少なくなかった……私自身もそうだ。彼らのやり方は、まるで傲慢な欧米人みたいだったよ。もうKNLAの取材もしたんだろ?」
取材班は首肯したが、具体的な情報については答えなかった。
「彼らは得意気に言ったはずだ。『仏教徒のカレン族に対して、我々がキリスト教の信仰を強要したことはない』と。でもそれこそがキリスト教徒や欧米人の連中のやり方なんだよ。つまり、こういうことだ。どうして、KNLAの支配地にある国内避難民のキャンプには、たいてい教会が建っているのか?
彼らは言うだろう。『この教会を建てるための金を出したのは、我々じゃない。米国人の寄付だ』。医療援助に来る白人たちもそうだ。彼らは、彼らの金でキリスト教徒のための祭りを開く。でも、その祭りにはキリスト教徒しか参加できなかったとしたら……そのキリスト教徒しか参加できない祭りでは普段よりマシな食事にありつけるとしたら。兵士たちの多くを占める仏教徒の子供たちはどう思う? ボランティアでやってきて、子供たちに英語を教える親切な連中が、折に触れてキリストについて説法したらどうだ? 私の考えじゃあ、それは『洗脳』だよ」