貧民街の新生活

 東海の孤島で本間は必死に働いたが、アメリカへの渡航費や借金の清算をすると、手元に残ったのは8000ドル程度であった。その虎の子を懐に入れ、本間は再びアメリカへと旅立った。

 デンバーでの新しい住まいはファイブポイントという貧民街の安アパートだった。そこは古いアパートが立ち並ぶところで、犯罪が多い地域として知られていた。低所得層のメキシコ系アメリカ人、いわゆるヒスパニックが多く住んでいたが、貧しい日系人も住んでいた。

 そこに住んでいた日系人といえば、年老いた年金生活者か、進駐軍の米兵と結婚し渡米後離婚した婦人、あるいは夢に破れうだつが上がらない男などであった。

 その地域のマジョリティであるヒスパニックの少年達は、学校に行かず空き家にたむろしてマリファナを吸ったり、駐車している車の窓ガラスをたたき割ったりして遊んでおり、敵対グループ同士で抗争をしていた。

道路のあちこちには、投げつけられて粉々になったビール瓶や安物ワインのガラス瓶のかけらが散乱していた。アメリカ映画で映し出される下町の貧民街、まさにそんな世界で本間は生活を始めたのだった。

ダウンタウンの指圧師――杖取り堂

 本間のアパートは、ベッドルームとダイニング・キッチンのみで家賃180ドル。他の地域と比べれば半分以下の家賃だ。そのアパートは日系の老女が息子に引き取られるまでひとり暮らしをしていた部屋で、当時流行の毛足の長い絨毯が敷かれていた。

 長い間の天ぷら料理のためか、ダイニング・キッチンに敷かれたその絨毯は油でベトベトであり、歩くとその絨毯に足跡が残った。また大型冷蔵庫の周りには親指ほどの大きなゴキブリがウロウロしていた。

その頃の本間の目標は合気道の道場主になることであったが、グリーンカード(永住権・就労ビザ)がなかったので、道場を開くわけにいかず、YMCA(キリスト系慈善団体)のジムを借りてボランティアで合気道を教えた。

 そんなどん底の生活を救うことになったのが指圧であった。本間は植芝開祖の内弟子時代に毎夜開祖の足を揉んでいた。翁先生が夜の床に就くと、本間は先生が寝息を立てるまで、正座をして先生の足を揉み続けていた。そんな指圧の修行がデンバーで役に立った。

 ある日、近所に住む日系老人に指圧をしてあげた。本間の指圧の効果は絶大であった。それまで杖をついて歩いていた老人が、指圧を終えて帰る時に杖を忘れるほどだった。彼の評判は老人から老人へと伝わり、次第に多くの日系老人が本間のアパートに押しかけて来るようになった。近所に住む身寄りの無い老人達にとって、本間のアパートはまるで「町内指圧サロン」となった。

 しかし彼らは貧しい年金生活者達である。従って指圧代は気持ち程度だ。お金を受け取れない哀れな老人もいた。従って本間の生活が特段に豊かになったわけではなかったが、毎日日銭が入ってくるのは有難いことだった。

 しばらくすると、アパートの前の歩道に朝早くから老人達が並ぶようになった。早く並ばないとその日の指圧の順番が回ってこないのだ。本間の朝食がまだ終わらない朝6時過ぎには、アパート2階の本間の部屋への20段近い階段を、老人達がぞろぞろと杖をつきながら登り始めた。

 本間は1日約10人、ひとりに1時間ほどかけて足の先から頭の天辺まで揉み上げた。ひとり揉み上げるとシーツに大さじ一杯分の垢が出たという。合気道の達人の本間に指圧をしてもらってすっかり元気になった老人達は、階段を降りて帰る時は杖をつくことも忘れて歩いて行った。

 本間の指圧サロンはやがて“杖突き堂”ならぬ“杖取り堂”と呼ばれるようになった。

孤独な老人たち

 祖国を離れた日系老人の多くは、長い間望郷の念を抱きながら夫婦で慎ましく暮らしてきた。やがて連れ合いに先立たれた後は子供からの連絡も途絶え、異国の地で孤独な生活を送る者が多かった。 

 そんな老人達のたまり場と化した杖取り堂で、本間は彼らから日本人社会の色々な話を聞いた。老人達は成功した者の話はあまりしない。ほとんどが悪い奴の話だった。

 日本から渡米してきたばかりの日本人に近寄り、相談に乗るふりをして財産を巻き上げた男や、日系人強制収容所(戦時中の施設)の中でうまく立ち回って早期に出所し、後から出て来る元仲間を利用し、だまして金儲けをした男など話の種は尽きなかった。

 本間は杖取り堂の指圧をしながら、夜はYMCAの道場で合気道を教えていた本間だが、指圧の稼ぎが思いのほか多くなり、半年程経った頃には近くの一軒家に引っ越すことができた。

 かれこれ700人以上の老人の身体を揉んだだろうか。杖取り堂を始めて1年ほどが経った頃、本間の身体が悲鳴を上げた。老人の身体を揉んでいた両手親指の付け根が腫れ上がり、痛くて指圧が出来なくなったのだ。そして奥歯もガタガタになった。痩せ細った老人達の身体を両手親指で懸命に揉むと、奥歯を噛み締めながら揉むことになり、結果、奥歯がやられてしまうのだ。

 体調不良で、指圧を断る日もあった。断られた老人達は勝手なもので、手のひらを返したように本間の悪口を言い始める。

「あそこは営業許可がない無免許のところで、おまけに本間にはグリーンカードがないから、あそこへ行くと全員逮捕されてイミグレーション(移民局)に連れていかれるぞ」
などと、物騒なウワサが日本人社会に流れ始めた。

Vol.25に続く

Project Logic+山本春樹

(Project Logic)全国紙記者、フリージャーナリスト、公益法人に携わる者らで構成された特別取材班。(山本春樹)新潟県生。外務省職員として在ソビエト連邦日本大使館、在レニングラード(現サンプトペテルブルク)日本総領事館、在ボストン日本総領事館、在カザフスタン日本大使館、在イエメン日本大使館、在デンバー日本総領事館、在アラブ首長国連邦日本大使館に勤務。現在は、房総半島の里山で暮らす。