「ここまで来られたのは自分でもびっくりしている。選んでもらったからには、しっかり責任感をもって頑張りたい」

 世間の注目を集めた24年パリ五輪の代表争い。女子団体戦要員の3枠目に名を連ねた張本は、静かに闘志を燃やしていた。

 22年3月時点の世界ランキングは600位台で、当初の目標は28年ロサンゼルス五輪だった。しかし、23年11月の選考大会で21年東京五輪混合ダブルス金メダルの伊藤美誠(スターツ)、エースの早田ひな(日本生命)らを倒して優勝すると、選考レースの最終戦となった1月の全日本選手権では準優勝。右肩上がりで進化を遂げ、パリ行きのチケットを勝ち取った。

 パリ五輪女子団体戦の初陣となった8月5日。会場のパリ南アリーナで張本は鮮烈なデビューを果たした。シングルス銅メダルの早田が左腕を負傷した影響で張本のフル回転が必須となった中、ポーランドとの初戦は第2試合に登場。強烈なフォアハンドなどで得点を重ね、3―0と圧倒。チームもストレート勝ちを収め「いつも通りに戦うことができて、すごい楽しめた」と安堵の表情を浮かべた。

 続くタイ戦も第2試合に登場して3―0と快勝。チームも連日のストレート勝ちで準決勝にコマを進めた。ところが、ドイツとの一戦は思わぬ苦戦を強いられた。第2試合で対戦した18歳の左腕に対し、第1ゲームを9―11で落とす。第2ゲーム以降も流れをつかめず、0―3で初黒星を喫した。

「第2試合では負けて悔しかったし、次の4試合目は自分に(出番が)回ってくるので、すぐに切り替えてプレーできるのか不安だった」

 16歳の心が折れかかった時だった。早田が張本に声をかけた。「思い切って」。若さあふれる力強い攻撃が持ち味の張本へのひと声が力を呼び戻した。第4試合は第1ゲームを逆転で取った勢いのまま、3―0と本領を発揮。チームも3―1で勝利した。プレッシャーから解放された試合後の張本は「反省する部分ももちろんいっぱいあるけど、今はホッとしている」と目を潤ませた。

 2大会連続の決勝進出に貢献した張本だが、決勝は中国の壁を崩せなかった。早田と挑んだ第1試合のダブルスでは陳夢、王曼昱組に2―3と惜敗。第4試合は王曼昱から第1ゲームを先取するも、流れをつかむことができずに1―3で屈した。チームも0―3で敗れ、2大会連続の銀メダルで幕を閉じた。

 大車輪の活躍で銀メダルに導いた一方で「金メダルが欲しかった気持ちもある」と心残りもあった。13日に帰国後は日本オリンピック委員会の解団式やテレビの収録などをこなし、15日から時差ボケを兼ねてすぐさま練習を再開したという。周囲の関係者も驚くストイックぶりを披露した張本は、パリのリベンジをすぐさま成し遂げた。

 パリ五輪から約2か月後の10月9日。カザフスタン・アスタナで開催されたアジア選手権女子団体決勝は、日本卓球界の歴史に深く刻まれる1日となった。

 決勝の相手はやはり中国。絶対女王を前に、パリ五輪の悔しさを知る張本が真骨頂を見せた。パリ五輪後には「負けた試合を振り返ると、相手選手のパワーにやられてしまったり、ラリーになった時に自分が先にミスをしてしまうところがあった」と自己分析。反省点を修正した上で、大一番のコートに立った。

 第1試合の対戦相手は王芸迪。第1ゲームは相手のドライブに苦戦して先取される。第2ゲーム以降は一進一退の攻防となり、勝負の行方は最終第5ゲームへ。最後は張本が押し切って3―2で金星を手にした。

 第3試合では平野美宇(木下グループ)が陳幸同に快勝。優勝に王手をかけた第4試合で張本は大エース・孫穎莎と対戦した。第2ゲームを終えて0―2とリードを許す苦しい展開に「あの試合は正直半分ぐらいあきらめちゃっている気持ちも正直あった」。それでも、第3ゲームのタイムアウト時に「もう勝てないから好きにやろうという気持ちでいった」と開き直りの境地に突入した。第3、4、5ゲームを立て続けに奪い、3―2で再び金星を奪取。チームは3―1で難敵を下して悲願の金メダルを勝ち取った。中国を破っての頂点取りは1974年の横浜大会以来、50年ぶりの快挙となった。

 張本はシングルス、ダブルスでも銀メダルを獲得。今大会は3個のメダルを首にかけた。「結果的に3個もメダルを取れるとは思っていなかった」と謙遜したとはいえ、すでに実力は世界トップクラス。はるか遠くを走る中国の背中が少しずつ近づいてきた。

 世間が期待するのは28年ロサンゼルス五輪での金メダル。もちろん中国側は張本への対策をより一層練ってくるだろう。だが、張本もここで立ち止まるつもりはない。

「本当に五輪も含めて国際大会にたくさん出させてもらって、いろんな国の選手と対戦できてすごくいい経験になった。負けた試合もあったけど、楽しく試合ができた。来年も国際大会が続くと思うので、またレベルアップさせたい」

 プレー、振る舞いなど、全てが高校生離れした16歳。世界一への物語はまだ序章にすぎない。


中西崇太

1996年8月19日生まれ。愛知県出身。2019年に東京スポーツ新聞社へ入社し、同年7月より編集局運動二部に配属。五輪・パラリンピック担当として、夏季、冬季問わず各種目を幅広く担当。2021年東京五輪、2024年パリ五輪など、数々の国内、国際大会を取材。