アリーナに響き渡る子供たちの声
縦40メートル、横20メートルのコート内を、青色のユニフォームを着た選手たちがボールを追いかけて、所狭しと動き回る。力強く蹴り込んだシュートが相手ゴールのネットを揺らすと、青色で染まった客席から大歓声が響き、アリーナ立川立飛の会場内は最高潮となる。そして、多くの子供たちからの声援に対し、選手たちはガッツポーズで答える。Fリーグ1部に所属する立川アスレティックFC(以下、立川アスレ)のホームゲームでの日常光景だ。
試合後もアリーナの入り口付近では、各選手たちがファン、サポーター、そして子供たちからのサインや記念写真に応じたり、雑談を楽しんでいた。日本の他のトップリーグでは今やなかなか見られない光景だ。その輪の中に立川アスレの現役選手であり、代表の皆本もいた。
「試合だけで喜んでもらえると思うな。ファンサービスをやっていくのは当たり前。この価値観を3年間、社員や選手の皆には言葉にして伝えてきた。それが浸透してきて、新しい選手が入っても先輩たちを見て、そう振る舞うようになっています」
もちろんまずはフットサル自体で魅力を発信することが大前提。ただ、他のチームの様な華麗なパスワークや魅力的な攻撃スタイルを重視しているわけではない。
「フットサル全体の魅力でいうと攻守の切り替えが早いとか、ピッチと観客席が近いという魅力はあります。一方で、うちのチームが大事にしているのは選手一人一人の個性。時代によって変わりますが、その時に1番良い選手に合わせて戦術を組んでいます。ドリブルが良い選手がいるなら、その選手のために皆がプレーするし、シュートが上手い選手がいるのならその選手に合わせていく。逆に選手に個性や尖った部分がないとトップでは生きていけない。立川アスレはそれに加えて守備の文化があります。(前身の)府中時代から20年以上積み重ねてきたアイデンティティとしてある。泥臭く守備をして勝つ」
上村充哉の精密機械の様な左足のシュートや、中村充の強烈な右足のシュートであったり勝ち気なプレー、さらには豊富な運動量で魅せる酒井遼太郎だったりと、立川アスレには個性が光る選手が多い。
経営者として試行錯誤の3年間
立川アスレは2022年1月から、それまでの拠点だった府中市を離れて立川市に移転した。チーム運営のための一般社団法人を立ち上げその代表に就任したのが、長年のチームの顔であり、当時フットサル日本代表としてワールドカップも経験した皆本だった。
現役選手を続けながら、代表として経営をすることになった。立川アスレの選手としてFリーグやカップ戦の試合に出続けながら、同時にスーツ姿でスポンサーや自治体を回るなど、忙しい日々を過ごす。通常なら社長業の忙しさから、選手としてのプレーの質が落ちてしまったり、出場時間が減ってしまうこともおかしくないが、二足のわらじを見事にこなしている。今シーズンも含め、この3年間、リーグ戦の試合で重要なゴールをしばしば決める活躍をしているのには驚かされる。
「僕自身、昔はもっとすごかったと思っていますし、今のプレーは全然ダメ。家族には『あなたのプレーを見ていても、なんかもうワクワクしない…』と言われるほどです(笑)」
皆本は苦笑いしながら答えるものの、リーグ戦で上位争いをし続けたチームの一員として、レギュラー選手としてプレーし続けるのはお見事としか言いようがない。
だが、現在の皆本は代表も本業。経営者として数字とにらみ合いながら、3年間試行錯誤してきた。
「ある程度順調には前に進んでいる一方で、スピード感は全然思い描いたところに達していない。集客は3年で(リーグ戦のホームゲーム)平均2000人は達したかった。売り上げも今年で恐らく1億円を超えるところまで来ていますが、最初の目標では1億5000万、2億円という目標設定をしていた。そういう点でまだ遠いなというのが率直な感想です」
こう反省の弁を語るが、そもそも会社の経営経験もないのに、いきなり経営を任せられたのだ。人気がマイナーなFリーグのチームを、立ち上げから3年で約1億円の売り上げにまで達しただけでも上出来であろう。それでも皆本は悔しさを感じ続けたという。
「毎シーズンが終わるたびに、一緒に頑張ってきた、育ててきた選手たちが抜けていくのが1番辛かった。それを引き留められない現状には毎年心を痛めます。『自分の夢を叶えるためにはここ(立川アスレ)じゃない…』と出ていかざるを得ない場所にしている現状はすごく辛いし、悔しかった。でも、それを変えていくのが自分の仕事。いつかはそういう環境にしていきたい」
皆本が代表に就いたこの3年、チームからは毎年のように日本代表クラスの選手たちが他チームに移籍している。各選手の移籍理由はさまざまではあろうが、完全プロチームである名古屋オーシャンズを始めとしたいくつかのチームと立川アスレとでは、資金力の面で見ると正直まだ差があり、その差が主力選手たちをとどめられていない理由の一つにはなっている。とはいえ、この3年で社長業の魅力も感じている。
「自分たちでこれをやろうと思ったことを実現できる。代表の権限だし、自分に全て決裁権がある。もちろん失敗したら僕の責任になるのでプレッシャーは常に抱えていますが、どんな事業に関しても、自分がこれは違うと思ったことは一つもやっていない。普通ではできないことができているという意味でやりがいを感じます」
特に楽しいアリーナ立川立飛でのホームゲーム
立川アスレはホームゲームの会場として、アリーナ立川立飛と立川市泉市民体育館を利用している。特にアリーナ立川立飛での開催では、さまざまな飲食ブースが出たり、子供向けの遊び場を設けたり、時には面白い企画も行われてきた。
筆者が取材で一番印象に残っているのが、ホームゲームでの夏祭りイベントだ。飲食店のキッチンカーがいつも以上に多いことに加え、子供向けのヨーヨーすくいなど夏祭りの雰囲気を演出していた。それに加えて、アリーナ立川立飛のすぐ外に飲食用の机と椅子を設置し、試合後も楽しめるような会場設営を行っていたのだ。
狙い通り、試合後もアスレのファン・サポーターをはじめ、アウェイの来場客がビールや食事をその場で楽しみ、試合の感想を話していたり、また、選手も試合後にファンと交流したり、子供たちもわいわいと遊びまわっていたりと、他ではなかなか見られない交流の場にもなっていた。
「夏祭りのイベントに限らず、こういう事をやりたいと僕だけが言っているわけではなく、スタッフたち自身が考えて、こういうイベントならとアイデアを出し合いながら面白がって取り組んでくれる」
他にも様々な面白い取り組みが行われてきた。それまで観戦したことがなかった人でも、一度アスレのホームゲームに訪れると、試合そのものだけではなく、試合以外の部分でも楽しめるコンテンツも多いはずだ。
勢いのある街・立川で描く未来
立川市に拠点を移して3年が経過するが、取材のために試合会場を訪れるたびに感じさせられるのが立川の街の勢いだ。立川駅周辺には多くの人が常に行き来し、多くの若者を見かける。また、文化的施設やスポーツ施設が毎年新しくできていて、東京の中でも新しく、勢いを感じる街になっている。

「立川市の人口は約18万人と多くはないですが、立川駅はターミナル駅で人が多いですし、我々のトップパートナーである立飛グループさんが驚くほど色んな施設を作っていて、立川がハブとなって多くの人が集まる場所になってきているのは間違いありません。今の日本で人口が減少する町が増えている中で、土地の値段が上がっているのも含めて勢いのある町はなかなかないです」
だからこそ、立川の街を代表していく存在に、立川アスレを発展させていきたい思いがある。
「まずは『立川といえば・・・』と言われる存在になっていきたい。街から必要とされて、皆が応援して関わってくれるスポーツクラブがある。これは街としても幸せなことですし、街の格を上げていくことにも繋がると思います。我々がその責任、役割を果たせる位置にはいるので、地道にやっていきたい」
そのためには立川アスレがもっと認知されていく必要がある。認知拡大の一貫として立川アスレは現在、クラウドファンディングをおこなっている。
「今回のクラファンでは、チームのドキュメンタリー番組を作っていき、後日公開していきます。クラファンを通じて、クラブの格を次のステージへと上げていきたい。そうすることで、今までは立川の皆さんに(立川アスレを)知ってもらうところから、私たちが逆に立川を代表する存在になって、立川市以外の人たちにもアスレのことや立川の街について発信していき、人を呼び込む存在になっていく。それこそが次のステージへステップアップするうえでの大切な役割であり、そういう存在を目指していきたい」
一方でチームとしての競技成績の成功、優勝はどう見据えているのか。そこも焦らずに一歩ずつ進めていく。
「お金を借りて有力選手の獲得につぎ込めば、一回限りの優勝の可能性を作れなくはないですが、一過性の勝利を追うつもりはない。まずは立川という街にアスレがあって、Fリーグでも毎年当たり前に優勝争いしていてアジアや世界でも知られたクラブを作りたい。そのためには地道に少しずつ、資金力もそうだし、強化をしていかなきゃいけない。優勝はもちろんしたいですが、そこへの道のりは間違いたくない」
そして、立川を代表する存在になっていった時、皆本の描く未来がある。
「それを実現した先に優勝がありますが、それ以上に、日常生活の会話の中で『アスレ、優勝できなかったね…』『今年は優勝できたね!』と、1人でも多くの人の口からアスレの名前が出てくるところまでいきたい」