JFAは全国各地のサッカー協会と連携した被災地の復興・復旧を図る「47都道府県のサッカー協会が連携し、サッカーを通じて被災地に希望の灯りをともす被災地支援活動」を長年にわたって実施。能登半島地震、東日本大震災、熊本地震、集中豪雨など日本のさまざまな災害に対して、47都道府県のサッカー協会が連携し、復興・復旧に取り組んできた。

 その活動の一環として11月15日、高円宮記念JFA夢フィールド(千葉県千葉市美浜区)で開催された「JFA夢フィールドデー」にて、「JFAぼうさい拠点」と「ゆめのたねの教室」が実施された。

能登の子どもたちを招待、広がる笑顔と交流の輪

 「JFAぼうさい拠点」では、全国各地に整備している移動のできる「ぼうさい拠点」や「キッズピッチ」が展示され、能登半島地震をはじめとしたさまざまな災害の記憶や教訓を伝えるとともに、災害時の子どもたちの居場所・遊び場・運動する機会を実際に体験できるコーナーが設けられた。

 これらの狙いは、以前の復興支援が地震の被害が収まってからの活動だったのに対し、これからは災害が起きた直後から活動できるよう、事前の備えに目を向けようというもの。今後予想される南海トラフ地震や首都直下型地震などに備え、サッカーやスポーツを通じて子どもたちが自己肯定感や将来の希望を持てるよう、普段から地域の繋がりづくりを日本全国で展開したいというJFAの願いが込められている。

 また、「ゆめのたねの教室」では、能登地方の小学1~3年生18人が招待され、講師役を務めたぼうさい拠点の責任者であり元日本代表FWの永島昭浩さんの話に耳を傾けた。

 「ゆめのたねの教室」はJFAが2007年から実施している「夢の教室」を小学校低学年用にアレンジしたプログラムだ。低学年の児童は「夢を持ちましょう」と言われても年齢的にまだ難しいことが多いため、夢や目標を持つきっかけとなりうる「好きなこと」を見つけることからまずは始めようという内容。

 能登からやってきた子どもたちは、永島さんが子どもの頃に何が好きだったのか、どんなことを言われた時に嬉しく感じてもっと頑張れるようになったのか、好きなことが夢へと変わったのはいつだったのか、そしてどのようにして夢を実現していったのか、失敗の実体験も交えた話に真剣に耳を傾けながらそれぞれの「ゆめのたね」を見つけ、「ゆめシート」に書き記していた。

 また、教室の後は永島さんが焼いた「たい焼き」を頬張ってみんなが笑顔に。イベントが終わって能登への帰路に就く時には、子どもたちがバスの窓からずっと手を振り続けている様子が印象的だった。

JFA夢フィールドで行われた「ゆめのたねの教室」

永島さんの活動の原点となった“あの日”の経験

 JFA夢フィールドデーのプログラムを終えた永島さんに「HEROs AWARD 2025」受賞について話を聞くと、永島さんは開口一番、「日本サッカー協会が長年にわたって携わってきた地道な社会貢献活動を評価していただいたということなので、サッカー界全体で受賞したという嬉しい気持ちでいっぱいです」としみじみとした口調で感想を述べた。

 永島さんがボランティア活動を初めて経験したのは現役選手だった1995年1月に起きた阪神淡路大震災の時。兵庫県神戸市にある実家が全壊し、無我夢中で救援活動に加わり、物資を送るなど奔走した。ただ、永島さん自身は「自分がボランティア活動をしているということに気づいたのは活動が終わってから。恥ずかしいことに当時はまだ社会貢献活動ということを理解していなかった」という。

 永島さんの災害への意識は阪神淡路大震災をきっかけに変わった。

「いつ災害が起こるか分からないこの日本列島のことを考えると、何かあればしっかりと活動したいという思いが生まれました。東日本大震災、能登半島地震、熊本の地震や豪雨災害もそう。自分が何かできることには携わってきて現在があります」

 永島さんは大阪府サッカー協会の会長を務めており、その立場からこのように力説する。

「日本サッカー協会の理念はサッカーを通じて豊かなスポーツ文化を創造し、人々の心身の健全な発達や社会に貢献することです。競技面で日本代表選手や代表チームがフォーカスされますが、サッカー人として地に足をつけてやらなければいけないことは理念に則ったこと。その一環に競技面があるという理解の下で活動させていただいていますので、そこを踏み外してはいけないと思っています」

 このように語るのは被災地へ足を運んだ時に実感したことがあるからだ。

 「被災地に行くと、そこで求められるのは一緒に食事をしたり肩を揉んだり体操したりということで、サッカーは1割もありません。ただ、被災した方たちの声を聞くとサッカーの人がそういうことをしてくれるのが大変うれしいですと言うのです。その言葉を聞くと、サッカー界のことを少しでも良く思ってくれたんだなと、気持ちがほっこりします」

永島さんが焼いたたい焼きが、子どもたちに振る舞われた

被災地の子どもたちへの想い

 被災地の子どもたちと直に接することで、子どもたちが目に見えにくいところで心に傷を負っていることに気づいたこともある。

 2024年8月、能登半島のある中学校でのこと。運動プログラム中は笑顔で元気だった女子生徒が、活動が終わった後、永島さんのところに来て急に泣き出した。永島さんは運動プログラム中、その生徒にいろいろと声を掛けていた。

「声を掛けられたことによって、溢れ出る思いを解放していいんだという気持ちになったのだと思いますし、たとえ笑顔があってもまだ大変なんだということをメッセージとして受け取ったと思いました」

 永島さんには日頃から自分に言い聞かせていることがある。

 「あまり過去のことをくよくよしない。あまり将来のことも考えすぎない。今日という一日を精一杯生きるために準備し、仕事に臨む。反省と課題があり、また次の日に向かって準備する」ということだ。

「その連続が本当に幸せなことだと思います。能登からJFA夢フィールドデーに来てくれた子どもたちも不安があるかもしれないけれど、今の目の前のことを存分に楽しんでもらいたいという思いが強かったので、笑顔で帰って行ってくれたのは良かったなと思いました。今回のゆめのたねの教室では、志を持ち、毎日それを夢見て頑張れば、過去のことや将来のことを不安に思うことはあまりないんだよということを伝えたかったというのが一番です」

JFAの強みを活かして…

 JFAは47都道府県にサッカー協会があり、それぞれ連動しているのが何よりの強みだ。

「大切なことは現場で何を求められているか。ですから、47都道府県の各組織が現場の人たちと向き合ってニーズを吸い上げ、日本サッカー協会としてそのニーズに応えていくことが大事です。JFAには現役のサッカー選手以外にも、OBやOGが全力で応援できる体制があるので、この活動を全国どこででも継続していけるようにしていきたいです」

 自然災害が増える傾向にある今、JFAが果たす役割はこれからもどんどん大きくなっていくに違いない。


矢内由美子

著者プロフィール 矢内由美子

北海道大学卒業後、スポーツ新聞記者を経て、06年からフリーのスポーツライターとして取材活動を始める。サッカー日本代表、Jリーグのほか、体操、スピードスケートなど五輪種目を取材。ワールドカップは02年日韓大会からカタール大会まで6大会連続取材中。AJPS(日本スポーツプレス協会)会員。