言い訳しない、若き大関の矜持
破竹の勢いで大関に上がった安青錦は、初土俵から所要16場所という、驚異的なスピードでの横綱昇進を狙っていた。しかし、ふたを開けてみれば2日目の初黒星を皮切りに6日目からは3連敗。前半戦を3勝5敗で終え、早々に可能性が霧散した。関係者の間では、序盤戦で敗れた際に、足の指を痛めたのではとの情報が駆け巡った。本人は痛みなどについて明らかにしなかったが、確かにその後、足を引きずるように歩くしぐさを何度も見せた。
後半戦も復調し切れず、負け越しの屈辱を味わった。それでも豊かな将来性に揺らぎがないのは、泣き言をいわず、看板力士として淡々と15日間を全うした土俵態度そのものにある。たとえ痛い箇所があっても出場を決断した場合「土俵に上がるからには言い訳をしない」というのが力士の伝統的な心意気。国技の担い手のそのような姿は多くのファンを魅了してきたが、安青錦は堂々と体現した。
ウクライナから来日し、2024年九州場所で新十両になって以降、今年1月の初場所まで全8場所で2桁勝利をマークしていた。2場所連続制覇を経て今年1月場所後に大関昇進。まさに記録ずくめの土俵人生を送ってきた。春場所では打って変わり、途中で10勝以上の可能性も消えた。これまで順調に来ていただけに余計に、精神的に落ち込むと途中で逃げ出したい思いが頭をもたげてもおかしくなかったが踏ん張った。日本相撲協会の八角理事長(元横綱北勝海)は、横綱を張る条件について常々「調子の悪いときにいかに勝っていくかが大事」と説いている。ゆくゆくは最高位を目指す安青錦にとって、本調子ではなくても千秋楽まで皆勤したこと自体に大きな意味があり、貴重な経験となった。
「足の指」が握る、再起への鍵
千秋楽に横綱豊昇龍に敗れて7勝8敗。安青錦の負け越しには、いくつか原因が考えられる。前傾姿勢からの攻めが身上の安青錦に対し、対戦相手の研究が進んでいるのが一つ。もちろん、綱とりの重圧も考慮に入れるべきだろう。そして、本人は口をつぐんでいるが、足指の負傷情報も気になるところだ。元横綱朝青龍のドルゴルスレン・ダグワドルジさんもけがを心配していた。春場所中、自身のX(旧ツイッター)にこう投稿していた。「新大関どうした? 本人じゃないなぁ、これ何かおかしいよ。経験者として」「病院行った方がいいよ」などと実体験を踏まえて懸念を示した。
相撲でも足の指は大切で、例えば親指についての逸話がある。足で土俵をつかむ軸となるからだ。史上最多の優勝45回を誇る元横綱の白鵬翔さんも現役時代、重要性を指摘していた。かつて「常に土俵に接していることが大事。下半身の安定感にもつながってくる」と説明。親指が接地している感覚を研ぎ澄ませるために、自宅でも親指を床につけて歩いていたこともあったと明かしていた。安青錦の持ち味は前傾姿勢のため、相手のはたきをこらえるなど下半身の粘りを生み出す上で、やはり指の役割は大きい。
5月の夏場所をかど番で迎える安青錦。3月29日に三重県伊勢神宮で始まった春巡業に参加したが途中で離脱した。体調を鑑みながらいかに稽古をしていくかが鍵になる。3月23日に22歳になったばかりとまだまだ若い。思い通りの結果が出ないときでも、努力を重ねることが後で効いてくる。女子マラソンの元世界記録保持者で2000年シドニー五輪金メダリスト、高橋尚子さんが大切にしていた次のような言葉がある。「何も咲かない寒い日は、下へ下へと根を伸ばせ。やがて大きな花が咲く」。安青錦にとっても、逆境時の鍛錬が大願成就へつながるはずだ。
優勝力士と末恐ろしい逸材
霧島が12勝3敗で優勝し、12場所ぶりとなる大関返り咲きを決めた。直近3場所で合計34勝と安定した成績。場所後の3月25日に行われた昇進伝達式では、「さらなる高みを目指して一生懸命努力します」と口上を述べ、最高位への意欲を示した。この復活劇により、がぜん注目度が高まりそうな力士が幕下以下にいる。同じモンゴル出身で伊勢ケ浜部屋の旭富士だ。一部メディアでは〝史上最強の新弟子〟と称される逸材。春場所では先場所の序ノ口優勝に続き、序二段を7戦全勝で制した。
霧島との関わりは3年前。驚くべきエピソードがある。神奈川・旭丘高を出て、力士になることを目指して伊勢ケ浜部屋で生活していた頃のこと。出稽古に来た霧島(当時は小結霧馬山)に3戦全勝したのだ。かつて霧島と同じ陸奥部屋に所属していた立田山親方(元幕内薩洲洋)は当時の様子を述懐しながら、こう評した。「旭富士は強い。体が柔らかくてパワーもあり、攻防の中からしっかり相手をつかまえて勝つという印象がある。三役なのに霧馬山が勝てないんだからね」。現役の親方がまだ初土俵も踏んでいない若者を絶賛するほど、存在感が際立っていた。もちろん、その時の霧島のコンディションやその後の進化もあるが、結果を目の当たりにすると、旭富士の末恐ろしさを感じざるを得ない。春場所でも197センチ、172キロと巨漢の相手にもろ差しを許しながら、両上手を引きつけて勝つダイナミックな白星も披露した。
伊勢ケ浜部屋では、暴力問題を起こした師匠の伊勢ケ浜親方(元横綱照ノ富士)について、4月9日の相撲協会臨時理事会で処分が協議される。周囲は騒がしくなるかもしれないが、「1枚でも上に上がれるように努力します」と意気込みを示す23歳。夏場所では三段目上位まで浮上することが予想される。2横綱3大関だけではなく、超新星からも目が離せない。