狙ってつくる「5戦目」の奇跡

 記録は破られるためにある、とよく言われる。最短レコードについては、田中の前が井上尚弥(大橋)の「6戦目」(2014年4月)、その前が井岡一翔(志成)の「7戦目」(2011年2月)だった。1戦ずつ徐々に記録が更新されてきたのが分かる。ちなみに「8戦目」は辰吉丈一郎(1991年9月)ら4人が達成している。

 簡単につくれる記録ではない。うまくマッチメークしても、途中で選手が負ければ、タイトル挑戦にたどり着く前に計画はおじゃんとなる。田中は所属ジムの畑中清詞会長(元WBCジュニアフェザー級王者)がデビューから5戦目挑戦までのロードマップをつくっていた。つまり最初から「狙った記録」だったわけだが、そのとき挑むチャンピオンの動向などもあるし、田中はその実力とともにタイミングや運の要素も持ち合わせていたに違いない。

 田中、井上、井岡の上位3人をみても、いずれも高い素質の持ち主であったことに加え、長いアマチュア歴が共通している。通常はプロの階段を上がりながら積み重ねる何戦、何十戦もの経験を必要としなかった。

 同様に次期挑戦者の吉良そして坪井はともにアマチュアのトップからプロに転じた選手である。とくに坪井などは、アマチュア最高峰の世界選手権大会で日本人初の金メダルに輝いているのだ。

世界記録「プロ3戦目」の衝撃

 ところで、国内では田中の「5戦目」だが、世界の記録を紐解くと、やはり上には上がいる。世界王座獲得の最短記録は1975年7月、タイのセンサク・ムアンスリン(タイ)がぺリコ・フェルナンデスを8ラウンドKOで破ってWBCジュニアウェルター級王座に就いた「3戦目」である。センサクは国技ムエタイ、そしてアマチュアボクシングの豊富な経験があった。

 2014年6月にはウクライナのワシル・ロマチェンコも同じ「3戦目」で世界タイトルを手にしている。ロマチェンコはすでにアマチュアボクシング界の伝説的な選手(五輪2連覇など396勝1敗の戦績)だったが、驚くべきことにプロ2戦目で世界に初挑戦。しかし体重超過のオルランド・サリドに2−1判定負けで失敗していた。勝っていればセンサクの記録を約40年ぶりに更新するところだったのである。

デビュー戦で世界に挑んだ男

 話のついでに、ロマチェンコと同じようにセンサクの記録を超えようとして失敗した選手も紹介しよう。なんと、プロ第1戦でいきなり世界ヘビー級王座に挑んだ男がいる。

 その選手の名はピート・ラデマッハーという。ラデマッハーは1956年のメルボルン五輪のヘビー級金メダリスト。この実績を頼りにして、プロ転向初戦でチャンピオンに挑むチャンスを得たのだ。並のボクサーなら絶対に認められないことである。

 1957年8月、ラデマッハーは当時の世界ヘビー級王者フロイド・パターソンにデビュー戦で挑んだ。もしここで勝っていれば、将来も誰も破ることのできない記録が誕生したところだったのである。

 実際、2ラウンドに一度はラデマッハーの右強打が決まって、王者パターソンがダウンした。しかしチャンピオンは少しも慌てず、立ち上がるや反撃。6ラウンドKO勝ちを収めるまで、ラデマッハーを6度もダウンさせたのだった。

 ラデマッハーはパターソン戦後も5年ほどプロ活動を続けたが、残念ながらパッとしなかった。世界チャンピオンどころか、世界タイトルマッチのリングにもデビュー戦以来上がれないままだったのである。最終戦績は15勝8KO7敗1分。


VictorySportsNews編集部

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