文=日比野恭三
3つの独立リーグが存在する
2016年、パ・リーグの首位打者・最多安打の“2冠”に輝いたのはロッテの角中勝也(写真)だった。角中は2012年にも自身初のタイトルとなる首位打者を獲得。これは独立リーグ出身者初のNPBタイトルでもあった。
現在、日本には3つの独立リーグが存在する(女子を除く)。角中がかつてプレーした高知ファイティングドッグスなどが加盟する「四国アイランドリーグplus」、北信越を中心として活動する「ベースボール・チャレンジ・リーグ(BCリーグ)」、そして関西の3チームから構成される「BASEBALL FIRST LEAGUE」である。
そもそも、独立リーグはどのような形で日本に生まれたのか。行動を起こしたのは、西武ライオンズなどで活躍した元プロ野球選手、石毛宏典だ。石毛は現役を退いた後、ドジャースにコーチ留学。その時に独立リーグの存在を知り、メジャーを目指して多くの日本人選手が奮闘していることも知ったのだという。
「こういうプロへの橋渡し的な役割をもつ独立リーグが日本にあれば、何もアメリカまで来ることはないし、野球でメシを食いたいという若者を救えるなぁと思ったんですね。(中略)アメリカ的な独立リーグを日本で立ち上げてみたい。若者がプロ野球を目指すという夢のチャレンジの場を作りたいと思うようになったんです。同時にその指導者として日本のプロ野球界のOBの雇用を図れないかなとも考えていました」(「人材バンクネット」2006/2/6の記事より引用)
高校、大学、社会人というアマチュアの世界で結果を残し、ドラフトで指名される――プロ野球に入る道は決して広くない。その道から逸れてしまっても、野球という夢を諦めることなくもう一度チャンスをつかむための場をつくりたい。そこにプロ野球OBの雇用創出や地域密着という理念が加わって、2005年4月、四国アイランドリーグはスタートを切った。
だが経営面で早々に行き詰まった。石毛が社長を務めていたリーグ運営会社の株式会社IBJLはもとより、四国4県に1つずつある各球団も資金繰りに四苦八苦し、スポンサーによる資金注入や経営者の交代などで危機をしのぎつつ存続している。1試合の平均観客数597人、リーグが計上する赤字額2400万円超(いずれも2015年)という数字が苦境を物語る。
2007年には四国アイランドリーグに続いて、北信越ベースボール・チャレンジ・リーグが開幕した。当初は北信越4球団からのスタートだったが、東北、関東へと広がりを見せ、2007年にはリーグ名から「北信越」の文言が消えた。2017年にはさらに栃木と滋賀のチームが加わって10球団で開幕を迎える。それでも、四国同様に観客動員に苦戦し、2015年は過去最低となる1試合平均633人を記録した。
2009年に開幕した関西独立リーグも球団の脱退や活動停止が相次ぎ、2013年に全球団が脱退して消滅。翌2014年、関西独立リーグに所属していた兵庫ブルーサンダーズと06BULLSに新球団の姫路GoToWORLDを加えた3球団で発足したのがBASEBALL FIRST LEAGUEだ。その運営はやはり安定とは程遠く、2016年限りで姫路が脱退、2017年から新たに和歌山ファイティングバーズが参加することでなんとか体面を保っている。
選手の月収は10~15万円ほど
©Getty Images 厳しい状況のなかでも存続を果たすことによって、日本における独立リーグの知名度や存在価値は着実に向上している。大きな役割を果たしているのは、冒頭に紹介した角中をはじめとする独立リーグ出身者のNPBでの活躍だ。
独立リーグの選手の月収は10~15万円ほどとされるが、角中の2017年の年俸は推定1億6100万円と、上を目指す選手たちに大きな夢を示した。中日の亀澤恭平や又吉克樹(ともに元香川オリーブガイナーズ)のほか、高知からBCリーグ・群馬ダイヤモンドペガサスを経てオリックスの4番も務めたカラバイヨのような外国人の事例も出てきている。
さらに、2011年にソフトバンクが、2016年には巨人が選手育成を目的とした三軍を設置したことも、独立リーグとNPBの接点を増やした。ドラフト会議では多くが育成枠ながら独立リーグの所属選手が指名を受け、また三軍と独立リーグとの間でたびたび試合が行われるようになった。
2017年1月9日には、インディアンス、レッドソックスなどでプレーし、メジャー通算555本塁打を誇るマニー・ラミレス(写真)が高知と契約合意に達した。来日予定の3月が近づけば、独立リーグに対する世間の注目度はまた一つ上がることだろう。