文=杉園昌之

飯田氏が現役を引退した真相

©️共同通信

 フローリングとつながるフラットなリング、四方を囲んでいないロープ。どこか雰囲気が違う。ボクシングの元WBA世界スーパーフライ級チャンピオン飯田覚士氏が会長を務める「ジム」にプロボクサーは1人もいない。

「プロを育てるジムではありません。子供が自由に走り回れるように、リングもロープで囲っていませんから(笑)。スパーリングもできないです。子供の教室がメーンで、フィットネス目的の人、趣味でボクシングを楽しみたい人向けに指導しています。ここを始めて10年以上経ちますが、その方針はずっと変わっていないですね」

 2004年に東京都の中野区方南町でジム『飯田覚士ボクシング塾ボックスファイ』を立ち上げたばかりの頃は、「いつ日本プロボクシング協会に加盟するの?」と、周囲から何度も聞かれた。そのたびに「しませんよ」と答えていたが、「なかなか信じてもらえなくて」と苦笑する。

 元世界王者なら同協会の加盟料は300万円で済む。決して安いとは言えないが、プロ選手の所属するジムを開設するには通常ならば1000万円、元日本王者は500万円、元東洋太平王者は400万円の資金が必要となる(東日本地区の場合)。それを考えれば、元世界王者の「手形」を利用しない手はない。しかし、飯田氏は端からプロボクシング界にどっぷり浸かるつもりはなかった。現役を退くと決意した日からそう決めていた。

 1998年12月23日、3度目の世界防衛戦。ベネズエラ人のヘスス・ロハスに判定で敗れ、王座から陥落する。再起するか悩んだが、翌年2月には引退を発表。その大きな理由の一つは、ジム同士のあつれきだった。飯田氏は世界戦の1カ月前だけ所属の緑ジムから沖ジム(現在は閉鎖)へ出向き、福田洋ニトレーナーの下でトレーニングを積んでいた。

「福田さんがいたから、世界に挑戦できたし、防衛もできたと思う。そこでは、世界レベルで戦うための練習ができた。それができなくなったから……」

 敗戦後、諸事情があり、ジム同士の取り決めにより、出稽古は認められなくなったのだ。モチベーションは一気に低下した。最高の練習環境が整わなければ、パフォーマンスが落ちることは目に見えていた。当時、この背景を表立って口にすることはなかったが、29歳の心はボクシングから急速に離れた。業界のごたごたに嫌気が差し、競技そのものにも愛情が持てなくなった。後ろ髪をひかれずにグローブを吊るしたが、セカンド・キャリアのプランは全くの白紙。

「まずはゆっくり考えてみるかと。いろいろな人に会ってみたかった。(2カ月前にベルトを失っても)世界チャンピオンという状況は、普通ではなかった。いまは冷静な判断ができないと思った。周りからはちやほやされるし、自分自身もどこか浮かれていた」

転機となったのは息子の運動会

©️杉園昌之

 それから1年後。俳優の今井雅之さん(故人)の勧めで役者の道を本気で志したが、しっくりこなかった。「勘違いしてしまったのかも。鳴かず飛ばずで」と豪快に笑いながら振り返る。

「第2の人生」の転機は、我が子供の運動会だった。

「かけっこでは簡単に転ぶし、動き自体がぎこちなくて……。うちの息子だけでなくて、そういう子供が多かった」

 それから間もなくして、元世界王者の肩書で子供向けの運動教室を始めた。レンタルルームに近所の子供たちを集め、現役中に力を入れていた、体の動きをよくするコーディネーショントレーニング、眼で見る力を向上させるビジョントレーニングなどの指導をスタート。瞬く間に口コミで評判は広がった。ここから現在のジムを開設するまでには、時間はかからなかった。ボクシング関係者の縁もあり、後楽園ホールで後にジムのスポンサーになる支援者と知り合い、トントン拍子に話が進んだ。

 自分の生きる道を見つけたのだ。

 キッズ教室では体の動きを良くする運動の指導がメーン。子供には、ボクシングは教えていない。今は一般社団法人日本視覚能力(ビジョン)トレーニング協会の代表理事も務めている。引退直後には想像もしていなかった道を歩んでいると言うが、充実した第2の人生を歩んでいる。

 リングから離れた世界に身を置いているが、齢を重ねるたびにプロボクシング界との関わりが増えてきた。取材者としてジムに出入りすることもあれば、試合のテレビ解説を頼まれることも多い。現役時代のスタイルと同じように良い距離を保ちながら、ボクシングと付き合っている。それでも、試合の話になると、つい熱がこもる。

「やっぱり、好きなんですね」

 人生経験を積んできた47歳の言葉には、競技への愛情がにじんでいた。

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杉園昌之

1977年生まれ。ベースボール・マガジン社の『週刊サッカーマガジン』『サッカークリニック』『ワールドサッカーマガジン』の編集記者として、幅広くサッカーを取材。その後、時事通信社の運動記者としてサッカー、野球、ラグビー、ボクシングなど、多くの競技を取材した。現在はフリーランス。