文=下薗昌記

殺気がスタジアムを包む「デルビー」

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 サンパウロやリオデジャネイロなどのサッカーどころで、ダービーが開催される一日は、朝から独特の緊張感が町を包み込む。

 パーン、パーン。夕方のキックオフを待ちきれないテンションの上がり切ったサポーターが早朝から、町のあちらこちらで花火を打上げるのがブラジルの日常だ。

 ポルトガル語でダービーを意味する言葉は、「デルビー」。両チームの選手はもちろんだが、サポーターにとってもこの日はお祭りというよりも、戦争に近い殺気がスタジアムを包み込む。

 実に日本の23倍に相当する広大な面積を持つブラジルでは交通手段の問題もあって、全国リーグ戦の歴史は以外にも浅く、ブラジル全国選手権が創設されたのは1971年のこと。それまではやはり州単位で行なわれる州選手権が最もプライオリティの高い大会で、サンパウロやリオデジャネイロ、ベロオリゾンテなど各地の大都市でダービーが町を二分して来た。

 サッカー王国で最も名高いダービーはフラメンゴ対フルミネンセが顔を合わせる通称「フラ・フル」だ。ブラジルのダービーは、しばしば両チームの名前の一部を合わせた通称で呼ばれることが珍しくなく、サンパウロ対サントスならば「サン・サン」、グレミオ対インテルナシオナウならば「グレ・ナウ」など様々なダービーが存在する。

 一時日本でもブームを集めたブラジル生まれの格闘技、「ヴァーリ・トゥード」の語源は「何でもあり」。まさにブラジルサッカー界のダービーは何でもありである。

王国屈指の危険なカードでは…

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 ブラジルで伝説のダービーの一つが1941年のリオデジャネイロ州選手権の決勝で実現した「フラ・フル」だ。試合は、ロドリゴ・デ・フレイタス湖に隣接したフラメンゴのホームで行われたが、リードしていたフルミネンセの選手たちはボールを湖に蹴り込み時間稼ぎ。これに対して元々はレガッタのクラブとして発足したフラメンゴ側は、ボートを用意し、ボールを回収。素早くグラウンドに投げ入れると再び、フルミネンセが蹴り込むという不毛な繰り返しの末、フルミネンセは優勝を手にしたのである。

 もっとも前述の逸話は牧歌的な時代のもので、現代では笑えない殺伐としたエピソードがダービーにはつきものだ。

 例えば、サポーター同士の殺傷沙汰も珍しくなく最も警備当局が警戒するパルメイラス対コリンチャンスの一戦は、王国屈指の危険なカード。ピッチ内でも選手たちの挑発合戦は珍しくなく、1999年のサンパウロ州選手権では、パルメイラス側の選手がチームカラーの緑のメッシュを髪に入れて、ピッチに立てば、コリンチャンスのエジウソン(元柏レイソル)は試合中にリフティングを行ない、相手を挑発。エジウソンの行為に檄こうしたパルメイラスの選手と大乱闘に。「芸術サッカー」をこよなく愛するブラジルではあるが、ダービーはしばしば「暴力サッカー」に終わることも珍しくはない。

 選手やクラブの会長らが平気でライバルをののしったり、挑発したりするのだから、サポーターについては言わずもがなである。

最も危険な場所はスタジアムの外に

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 過激なサポーターが集まる「トルシーダ・オルガニザーダ(コアサポーター集団)」はサンバのリズムを奏でたり、野太い声でコールを送ったりと場内の盛り上げに欠かせない存在ではあるのだが、連中は試合前後にしばしば抗争の「主役」になる。スタジアム周辺は警備当局がヘリを飛ばしたり、馬に乗った大人数の警官を配置したりと比較的安全は確保されているのだが、ブラジルのダービーで最も危険なのがスタジアムへの道中だ。

 パルメイラスのサポーターたちと小さなマイクロバスに乗り合わせて、サンパウロ市内のモルンビースタジアムに向かっていた筆者は、対戦するコリンチャンスサポーターによる「サポーター狩り」に巻き込まれたことがある。

 緑色のシャツを着ていた運転手(彼は決してパルメイラスではないのだが)をめざとく見つけたコリンチャンスサポーターの車がマイクロバスを囲むと、凶器を持った十数人のコリンチャンスサポーターが「お前ら、パルメイラスサポーターだろ。車を降りろ」と脅迫。筆者らが震え上がりながら「パルメイラスサポーターじゃない」と否定すると、コリンチャンスサポーターのリーダーらしき男は「カデ・カミーザ(ユニフォームはどこだよ)」。幸い、誰もがパルメイラスのユニフォームやグッズを持ち合わせていなかったために解放されたが、一歩間違えば半殺しにされていてもおかしくない一コマだった。

多数の死者が出たダービーへの対策も

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 こんな悲しい統計もある。昨年7月、ボタフォゴとフラメンゴのダービーが行なわれたリオデジャネイロでサポーターの抗争が発生。1人の死亡者が出たが1988年以降、300人目となるサポーター間の争いによる死者だ、と最大手のスポーツ紙「ランセ」は報じている。

 スタジアムに入場する際には厳重なボディチェックが施されるため、銃などの持ち込みは不可能だが、スタジアムに向かう道中では銃やナイフなど凶器を持ったサポーターも決して珍しくないブラジル。「グレ・ナル」ではインテルナシオナル側が両チームのサポーターが席を共にする「トルシーダ・ミスタ(混合サポーター)」なる席を設け、サポーターの共存に向けて取り組みを始めたものの、やはりブラジルでサポーター同士の共存共栄は夢物語である。

 昨年から、ブラジルサッカー界が本格的に導入し始めたのはダービーの際にホーム側のサポーターだけに観戦させるという「トルシーダ・ウニカ(単一サポーター)」なる対策だ。

 熱気と殺気、そして狂気が入り交じるダービー。文字通り、絶対に負けられない戦いに人々は一喜一憂し、時には人生までも狂わせる。それが王国の「デルビー」だ。


下薗昌記

サッカーライター。1971年大阪市生まれ。テレ・サンターナ率いるブラジル代表に憧れ、ブラジルサッカーに傾倒。大阪外国語大学外国語学部でポルトガル語を学ぶ。朝日新聞記者を経て2002年にブラジルに移住し永住権を取得。南米各国で600試合を取材した。愛するチームはサンパウロFC。ガンバ大阪の復活劇をテーマにした『ラストピース』が2016年のサッカー本大賞に。