文=飯間健
日本代表アタッカーに送ったアドバイス
突如、携帯電話アプリ『LINE』の着信音が鳴った。「右MFで使われる可能性もあると思うので動き方を教えてください」。メッセージの主はFW久保裕也(23=ヘント)だった。昨年11月上旬。ハリルジャパン初招集が決まった後だった。基本的なポジショニングに始まり、動き方など4パターンを図解して写真添付。W杯アジア最終予選サウジアラビア戦の前半39分、MF長谷部誠のロングボールに対して右サイドから斜めに走り込みボールを受けたシーンは、まさに写真図解された通りのプレーだった。貴重なアドバイスを送ったのは菅沢大我(42)。現J2熊本の育成ダイレクターを務める育成部門のエキスパートだ。
久保は欧州1部主要リーグで日本人初の20得点を記録し、連日、各国メディアを賑わせている。そんな中、もう1人のストライカーも期せずしてクローズアップされた。FW森本貴幸(28=川崎F)。FC東京U―18に所属する久保建英(15)が4月15日のJ3・C大阪戦でJ最年少ゴールを更新し、04年5月5日・市原(現千葉)戦で当時の史上最年少ゴール(15歳11カ月28日)を決めた森本の名前がスポーツ紙面に踊った。セリエAで日本人最年少ゴールを奪い、南アW杯にも出場した〝元祖・怪物〟。その久保裕也と森本貴幸を育成年代時代に指導したのが菅沢だ。
新旧〝怪物ストライカー〟は、いかにして生まれたか―。日本人FWが世界で戦う上で、どんな資質が必要なのか。何が重要なのか。
菅沢流ストライカー育成法
©菅沢大我(写真)J2熊本の育成ダイレクターの菅沢大我氏と、同氏が久保に送った5枚のメモ
菅沢と森本が最初に会ったのは、菅沢が東京Vジュニアの指導者だった98年12月のセレクションだった。「そこまで体格が良かったわけじゃないし、不格好な走り方をするヤツ。サッカーが特に上手いと思ったわけでもないけど、ミニゲームでとにかく得点を取った。〝ごっつぁん〟から〝ゴリゴリ〟まで幅広くゴールを奪った記憶がある」。一方、09年に京都U-18に入団してきた久保に関しては「マジメ、寡黙、黙々」という印象。共通していたのは「ゴールで自分の価値を示そうという気持ちが強かった」ことと「足の振りが速かった」ことだという。菅沢はMF小林祐希(25=ヘーレンフェーン)やリオ五輪代表MF原川力(23=鳥栖)も指導してきたが「MFとFWでは育て方やアプローチの仕方、見方は違う」と断言する。
FWはなかなかプレーイングタイムでボールに触る機会がなくても、冷静にチャンスを待つことを植え付けさせた。そして「エリア内で動じるか、動じないか」。久保も森本も「動揺することがなかった」と強調した。エピソードの一つとして、小学5年生の森本を挙げた。「確か新チームになって森本は上級生の中に組み込まれた。普通、それくらいの年代の子なら年長者に気を使ったり、子供同士でじゃれ合ったりする。なのに、アイツはブルーシートの上でプラティニのような格好で寝そべっていた。何だ、コイツはと思った」。マイペース、もっと言えばエゴイスト。菅沢も驚きを隠さなかった。
元々の資質に加え、菅沢は多くの得点パターンを用意することに尽力した。時間があれば海外サッカーを1試合フルに見る。「それは趣味だから」と笑うが、多くの試合を見ながらトレーニングに落とし込んだ。森本には元フランス代表FWトレゼゲをモデルケースにさせ、トレゼゲが奪った得点シチュエーションを作って、それをトレースさせるようにした。そこはポジショニングに始まり、動き出しやシュートを当てる角度と細部に渡る。久保は元スペイン代表FWビジャや同FWラウール。完全な9番タイプではなく、10番と11番も組み合わせた「1・8列目」と名付けた、より幅の広い得点パターンを求めた。高校1年生時の久保は当時を振り返り「左足だけでプレーをさせられたことがある」と話したことがあるが、この時に植え付けられたラウール(左利き)のイメージは、今の得点量産の礎になっている。
もちろん、ここで菅沢は〝スパイス〟を効かせた。反復練習をさせつつ「満足させない」ことを意識した。練習で1度上手くできれば、そこで切り上げることもあった。シュート本数を区切り、上手くできなかった場合でも強制終了させたこともある。「全て成功すると面白くない。難しいシチュエーションを組み込ませてクソっと思わせ、もっとやりたいと思わせる。それで翌日もやろうと思うようにさせてきた。そして選手のやりたいようにやらせる時も必要。それで失敗したら自己責任になる。自分のミスを考えるようになる」と菅沢。どこまで指導して、どこから考えさせるのか。その線引きは明確ではないというが、顔や態度を見ながら、成長を促す成功例や失敗例を巧みに出し入れし、またストライカーの得点欲求をさらに駆り立てる術を駆使した。
育成年代の指導者に、より良い環境を
©Getty Images では、日本人ストライカーは世界の一線級で戦えるのか。菅沢は自戒の念を込めていう。「森本は9番として育ててきたけど、セリエAではCF(センターフォワード)のみでプレーさせてもらえなかった」。海外では体格の良い選手が起用される。森本も1m80cmと日本では小さくない方に入るが、それでも海外リーグでは小さく見えてしまう。2トップでない場合は出場機会が大きく限られる可能性が出てくる。その反省を活かしたのが久保へのアプローチだった。エリア内での仕事だけではなく、前述のラウールやビジャのようにディフェンスラインの背後を突く動きなど、CFとは違う流線的な動きやプレーの引き出しの多さこそが、日本人ストライカーが世界で戦っていく上では重要になるという。
また「決定的に違うのはエゴの度合い」と苦笑いを浮かべる。海外遠征などでは、日本では有り得ない位置からシュートが飛んでくるのを何度も目の当たりにした。日本ではリスクにさらされる確率を考えてパスを選択することが多く、菅沢自身も「自分にもその気質(パス選択)は残っている」というが「結局、そっち(外国人ストライカー)の方がお金を稼いでいる」と認める。ただ「日本人の合理性と、外国人のエゴの組み合わせが理想」と独自の見解も譲らない。その理想型が3月28日のアジア最終予選タイ戦で決めた久保の得点だった。右サイドにMF香川真司が抜け出し、左サイドにはフリーの原口元気もいたが、迷わず左足ミドルを放ち、ネットを揺らした。複数のパスコースを持ちつつ、瞬時にゴールを奪える確率も計算。その上で、最後に自分が得点するという気持ちが上回ったのが、菅沢は嬉しかった。
最後に菅沢は現状の育成指導環境に苦言を呈した。海外では50歳や60歳の大ベテランが何十年も育成年代の指導を続けている。一方、Jリーグ下部組織は選手上がりの若手指導者があてがわれ、あたかもトップで指導者になるための〝たたき台〟のような立ち位置で扱われていることが多い。それは若手指導者の年俸の低さにも起因している。トップチームの指導者と同じくらいの年俸をもらえる育成指導者も多少はいるが、多くの若手指導者は「年齢プラス多少の上乗せ」という低賃金で指導している。そのため育成指導者は早くトップチームに推挙されるためにも、子どもの育成面よりも〝わかりやすい〟チームの結果に傾倒することもある。それが突出したストライカーが生まれにくい土壌の一つにもなっているだろう。「実は中学1年や2年なんかはサッカー人生を左右するくらい重要な年代。そこの指導者は給料をもっと多く貰っても良いと思う」と菅沢はいう。J下部組織はトップチームに優秀な人材を輩出するのが最大の目的。若年層世代の指導者の成長も、日本人ストライカーが世界の一線級で戦っていくためには大きな課題として残っている。