文=山中忍

監督就任21年目にして、初めて4強入りを逃す

 5月末に新2年契約で終焉を迎えたアーセン・ベンゲルの去就騒動。就任21年目のアーセナル指揮官は、身の振り方を決める判断材料として周囲の「ムード」をも挙げていた。だが、結果的な続投がサポーター間で諸手を挙げて歓迎されているとは言い難い。一部のメディアで予想された抗議のデモがクラブの地元ロンドン市内北部で起こっているわけではないが、巷には新契約発表4日前の今季FAカップ優勝を以って勇退を決める判断を願っていた向きが多いのだ。

 アーセナル・ファンにとってのベンゲルは、2003−04シーズンのプレミアリーグ無敗優勝を含む主要タイトル計10冠に留まらず、クラブにパスサッカーという新たなアイデンティティーを与え、6万人収容のエミレーツ・スタジアムへのスムーズな移転をも可能にした「偉人」。その功績は、シーズン中にスタンドから「今季限り」を求めた続投反対派も認めるところ。だからこそ彼らは、クラブ史上最高の名将に美しい引き際を望んだ。

 13年ぶりのリーグ優勝は成らず、20年間維持したトップ4の座も失った今季だが、最終戦となった伝統のFAカップ決勝では、ロンドン市内ライバルにして今季プレミア王者のチェルシーを相手に勝つベくして勝った(2-1)。アーセナルとしては通算13度目、ベンゲルにとっては7度目のFAカップ優勝は、クラブとしても監督としても大会史上最多となる価値ある優勝でもあったのだ。

 ベンゲル自身は、新契約締結に際するクラブのインタビューで、「リーグ優勝」への決意を改めて表明している。オーナーのスタン・クロエンケも、「目標達成へと指揮を執る最適任者」と留任監督を評している。だが、ファンは両首脳ほど楽観的になれない。英国人らしい自虐的なユーモアを発揮し、タブロイド紙に「来季のヨーロッパリーグでバイエルンと対戦することになったら、今度はスコアを3−10に出来るかもしれない」とのコメントを寄せる者もいた。来季の対決は先方のCLグループステージ敗退が前提となるバイエルン・ミュンヘンに、今季CL16強で2戦合計2-10と大敗した記憶はまだ生々しい。

現地メディアはそろって苦戦を予想

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 メディアでは単刀直入に厳しい現実が指摘されている。『サンデー・タイムズ』紙などには、「新契約は最高でも国内トップ4しか期待できない今後2年間を意味する」というくだりがあった。ガリー・リネカーのように、プレミア4位以内さえ「無理だろう」と述べる識者までいる。5位アーセナルに18ポイント差で優勝したチェルシー以下、トッテナム、マンチェスター・シティ、リバプールの今季トップ4には、揃って戦力アップと進化が見込まれるのだから無理もない。6位に終わったマンチェスター・ユナイテッドも、今季EL優勝でCL出場権を獲得し、アーセナルにはない移籍市場での「餌」を手に入れている。

 アーセナルでもベンゲルが「真のトップクラス獲得」を公言し、移籍市場における例年の消極姿勢を改める構えを見せてはいる。しかし、同時にワールドクラス2名の流失が心配されるのもアーセナル。指揮官の続投発表当日にも、アレクシス・サンチェスとメスト・エジルが「移籍希望」と報じられた。無論、ベンゲルに放出の意思はなく、年俸倍増の新契約による引き留めを試みてもいる。だが、トップクラスが移籍を望めば実現するのが昨今の常だ。

 ベンゲル自身にも、ロビン・ファン・ペルシやセスク・ファブレガスに去られた過去がある。5年前、国内ライバルのマンUへと去った前者は、移籍先で「ここではすベてが優勝争いを前提に動いている」と感嘆していたと、当時チームメイトだったリオ・ファーディナンドが解説者として明かしている。言い換えれば「アーセナルはそうではなかった」ということ。たしかに、スタイル、育成、収支、CL出場を4本柱として動いてきたベンゲルのアーセナルは、次第に優勝への使命感が薄れ、「優良」な印象は強まっても「強豪」としての競争力が弱まっていった感が否めない。

 プレミアには、戦力の売買から自身の去就までの全権を握る監督がベンゲルの他にもいた。同じく20年を超す長期政権をマンUで敷いたサー・アレックス・ファーガソンだ。両者には猛烈な負けず嫌いという共通点もある。元マンU監督は、地元の宿敵にリーグ王座を奪われたままでは身を引けず、翌13年にマンCから王座を奪回して勇退を決めた。但し当時のマンUは、その前の10年間に5度プレミアを制覇していた点で、04年が最後のアーセナルとはリーグ優勝への近さが違う。

 ベンゲルにも綺麗に身を引く可能性が残されてはいる。だがそれは、続く2年間でのプレミア優勝という最後の一花ではなく、優勝争い常連に返り咲くための復興作業を受け継ぐ後任選定プロセスを2年間で進める貢献によるものになってしまいそうだ。ベンゲルとは、それでは寂しすぎるほどの功績を残している智将。やはり歴史に残るFAカップ優勝監督として引き際を悟るベきだった。


山中忍

1966年生まれ。青山学院大学卒。94年渡欧。第二の故郷西ロンドンのチェルシーをはじめ、「サッカーの母国」におけるピッチ内外での関心事を、時には自らの言葉で、時には訳文として綴る。英国スポーツ記者協会、及びフットボールライター協会会員。著書に『勝ち続ける男モウリーニョ』(カンゼン)、訳書に『夢と失望のスリー・ライオンズ』(ソル・メディア)など。多分に私的な呟きは@shinobuyamanaka。