文=飯尾篤史、写真=阿久津知宏

卓球の試合で実際にボールを打ち合っている時間は……

©阿久津知宏

 4月末、恵比寿にあるイベント会場のステージから、元卓球選手の平野早矢香がやや緊張した面持ちで、オーディエンスに語りかけている――。

「正直、試合のときよりも緊張しますね(笑)」

 これは、スポーツを伝える“言葉”を探求する「ALE14(エイル・フォーティーン)」というライブイベントでのひと幕だ。ナビゲーターを務めるのはスポーツジャーナリストの中西哲生で、この日のプレゼンターを務めたのが、平野だった。

 平野といえば、12年ロンドン五輪の卓球女子団体戦で、福原愛、石川佳純とともに銀メダリストを獲得し、個人としても全日本卓球選手権の女子シングルスで5度も優勝している名選手だが、彼女によると「現役時代の私は、ボールを打つパワーやスピード、テクニックにおいて、これといって武器や特徴のない選手だった」という。

 そんな平野がなぜ、5回も日本一に輝けたのか――。それこそが、彼女のプレゼンテーションのテーマだった。

 プレゼンを進めていくうえで、平野が最初にオーディエンスに投げかけたのは、「卓球の試合におけるプレー時間は、何%くらいだと思いますか?」との問いだった。

 卓球のシングルスは、20分ほどであっさりと勝負がついてしまう場合もあれば、大激戦で90分近くに及ぶ場合もあるが、平均すれば、試合時間はだいたい45分くらいのものだと平野は提示する。

 そのなかで実際に打ち合っているプレー時間は……なんと、たったの19%――。残りの81%の時間は、ボールを打ち合っていないというのだ。

 この81%の時間をボーッと過ごしている選手は、まずいない。直前のプレーを反省したり、次のプレーの作戦を練ったりしながら、思考を巡らせているものだ。そのとき、平野はこんなことをしていたという。

「私が常に心がけていたのは、表情やしぐさから相手の心を読むことでした」

 ここで重要なのが、卓球というスポーツの特性だ。卓球台のサイズは、国際規格で2メートル74センチと決まっている。ネット越しに戦う球技のなかでは最も近い距離だと言えるだろう。

 3メートルの距離で誰かと向かい合ってみれば、その近さが改めて分かるはずだ。この距離で相手を凝視すれば、その息づかいや表情の変化、ちょっとしたしぐさの変化を感じとることができる。

 プレーが途切れた際に平野が注意深く観察していたのは、まさにその点だったのだ。

注目すべきポイントは3つ

©阿久津知宏

 平野によれば、その際にチェックするポイントがいくつかあったという。

 ひとつは「素振り」である。卓球の試合を見ていると、プレーが途切れたとき、選手が素振りをするシーンをよく見かけるはずだ。これは、無意識のうちに頭の中で直前のプレーを思い返して、確認している場合が多いという。

 例えば、卓球では相手の体の正面に打つことを「ミドルのコースを狙う」というが、これをフォアハンドで対処するのが得意な選手もいれば、バックハンドで返すのが得意な選手もいる。

 平野がミドルのコースを狙った直後に、相手がフォアハンドの素振りをすれば、この選手はミドルのコースをフォアハンドで対応するのが得意な選手ということが分かるわけだ。「それならば」と平野は言う。

「次はフォアハンドで打ちにくいミドルのコースを狙おう、と考えながら、次に打つコースを決めるんです」

 続いて「うなずき」である。プレーが途切れた瞬間、「よしよし、いいぞ、いいぞ」といった感じでうなずく選手がいるが、「うなずき」の仕方のわずかな変化によっても、相手が本当に自信を持っているのか、逆に不安を隠そうとしているのかが分かるという。その「うなずき」に、相手の不安を感じとったなら、それは大きなチャンスだ。

「前のボール、なかなかいい攻めができたのかな、と考えて、もう一度同じコースを突いたり、同じ攻め方をしたりするんです」

 そして最後に「振り返り」だ。試合中に選手が後方のベンチを振り返るシーンを目にすることがあるが、これはほとんどの場合が不安の表れと受け取っていい。

「こんなシーンを見かけたら、ここぞ、とばかりに一気呵成にたたみかけて攻撃するようにしていました」

 このようにして、ボールの打ち合いに勝つのではなく、ボールを打ち合っていない時間を制して勝負に勝つのが、平野の卓球だったのだ。

相手にやりたいことを、あえてやらせる

©阿久津知宏

 表情や仕草から相手の心を読むことのほかに、平野が勝負に勝つためにもうひとつ心がけていた大事なことがある。

 それは「相手の攻めを利用して得点につなげること」だった。

 これといった武器のなかった平野は、とりわけ世界のトッププレーヤーと対戦したとき、なかなか得点することができなかったという。そこで平野が考えたのが、「相手のやりたいことをやらせないのではなく、あえてやらせる」ことだった。

 例えば、相手がフォア側のボールを待っていたとする。そこで、バック側を狙うのではなく、平野はあえてフォア側に返球するのである。そのボールにちょっとした細工をほどこして――。

 相手は当然、“待ってました”とばかりに決めにくる。ところが、平野が返したボールには、それまでのラリーよりも多くの回転がかけられていたり、それまでのコースとは微妙に異なるコースを平野が突いていたりするのだ。

 簡単なチャンスボールのようでいて、実はそうではない――。これこそ、平野が仕掛けた罠だった。

「相手に自分のペースで試合が進んでいると思わせておいて、ミスを誘って私の得点にする。相手選手からすると、『一生懸命攻めているのに、なぜか得点につながらない』といった感じだったかもしれませんね」

 2メートル74センチという近さで打ち合う卓球では、ラケットの角度さえ間違っていなければ、振らなくても面を合わせるだけで、相手コートにボールを返すことができる。その基本を理解していた平野は、相手の攻めをまんまと利用したのだ。

「私のコーチは私の卓球を、“技術より戦術”と表現しました。私がほかの選手と違っているところと言えば、戦術に基づいた技術の練習をしていた、ということなんです」

 プレーしていない81%の時間で相手の心を読んだり、相手の力を利用して攻撃を仕掛けたりする――。平野が明かした彼女の現役時代の駆け引きは、卓球というスポーツの奥深さを教えてくれる。

 5月29日から卓球の世界選手権ドイツ大会が開幕するが、平野の言葉を頭の片隅に置いて試合を見れば、これまで以上に卓球というスポーツを楽しめるはずだ。

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飯尾篤史

明治大学を卒業後、編集プロダクション、出版社勤務を経て、2012年からフリーランスのスポーツライターに転身。著書に『残心 Jリーガー中村憲剛の挑戦と挫折の1700日』(講談社)、構成として岡崎慎司『未到 奇跡の一年』(KKベストセラーズ)などがある。