名前 | 久保康友(クボヤストモ) |
---|---|
生年月日 | 1980年8月6日 |
国 | 日本 |
出身 | 奈良県橿原市 |
プロフィール | 関大一高のエースとして活躍し、1998年69年ぶりの出場となったセンバツで準優勝。同年初出場の夏の甲子園でベスト8進出。同年9月アジアAAA選手権に出場、優勝に貢献。
1999年松下電器に入社。度重なる怪我で4年間活躍できなかったが、5年目に突如復活。日本代表にも名を連ねるようになる。 2004年ドラフト会議では自由獲得枠で千葉ロッテに入団。即戦力として働き、3完封を含む10勝をマークして新人王。ロッテ4年間で30勝をマークするも2009年シーズン前に阪神へトレード移籍。 2010年にはキャリアハイの14勝、リーグ2位の防御率3.25をマーク。2013年はチーム事情からクローザー、中継ぎを務める。2013年オフ、FA宣言して横浜DeNAベイスターズへ移籍。2年連続でチームトップの勝利をマーク。2016年は、不調に終わり、5勝8敗と負け越しに終わる。 通算成績は297試合、93勝84敗6S、20ホールド、防御率3.66、1,503回1/3、1,097奪三振(2016年まで)。新人王。関大一高卒、180センチ、79キロ。右投右打 |
春夏連続で甲子園に出場し、社会人時代5年目に完全復活
久保康友は、奈良県橿原市に生まれ、小学1年生から「ホワイトベアーズ」で野球を始めます。中学時代は、2,3番手投手から抜け出せず、大阪の関東一高へ進学しました。高校で実力を開花し2年秋にエースとなると、大阪府秋季大会でチームを3位に導き近畿大会に進出します。初戦で奈良県大会を制した智弁学園に完封勝ちしましたが、準々決勝では同大会で優勝した京都西に0-1で破れました。それでも、久保の好投が評価されて近畿6校目として、69年ぶりのセンバツ甲子園出場が決まります。
1998年の甲子園は、平成の怪物といわれた松坂大輔擁する横浜高校が、春夏連覇して完全に主役となりました。しかし、久保もエースとして関東一校を引っ張り、春はその横浜に決勝で敗れる準優勝、夏も同校初の甲子園に導きベスト8と素晴らしい活躍を見せました。
その後、慶應義塾大学への受験に失敗し、声をかけてくれていた松下電器へ入社します。しかし相次ぐ故障で4年間突出した成績を残せません。諦めかけた5年目に、開き直って野球に取り組むと突如復活を見せます。2004年にはエースとして都市対抗野球大会、さらにはハーレム国際大会などにも日本代表として出場しました。
即戦力として入団し、3完封を含む二桁10勝をあげて新人王
2004年ドラフト会議では、松坂世代最後の大物と呼ばれ、大きく注目を浴びます。そして、自由獲得枠で千葉ロッテマリーンズへの入団を決意しました。実は同年5月のプロアマ交流戦で、バレンタイン監督から直々にラブコールも受けていました。そして即戦力として、ルーキーイヤーから活躍します。4月早々にプロ初登板を飾ると、初先発で初完封を達成するという新人離れした偉業を達成しました。
その後も好調を維持して、6月には月間MVPを奪い7連勝を記録します。結局同年はリーグ最多の3完封を含む10勝3敗と二桁勝利をあげました。プレーオフ、日本シリーズではチームの調子がよすぎて出番はありませんでしたが、見事日本一を経験します。オフにはほぼ満票で新人王に選出されて最高のシーズンとしました。
開幕投手を任されるも、2年目のジンクスに苦しみ不調が続く
2年目の2006年、WBCで主力投手が抜けていたため、開幕投手を任されました。しかし、開幕戦を白星で飾れず2年目のジンクスに苦しみます。初めて規定投球回数をクリアしましたが、7勝13敗と大きく負け越しました。翌年も9勝8敗と勝ち越したものの、防御率は4点台と不安定な投球が続きます。4年目の2008年には、不調から中継ぎ、二軍降格となり4勝7敗に終わりました。
阪神移籍後は、先発、中継ぎ、抑えとあらゆる役割を演じる
2009年シーズン開幕前、かなり実績に開きがありましたが、橋本健太郎とのトレードで阪神タイガースへの移籍が決まります。再び先発としてフル回転し、史上最年少で全球団勝利も達成し、チーム2位の9勝で復活を印象付けました。翌年は、セ・リーグの水に慣れて、快投を見せ付けます。リーグ最多の29試合に先発登板し、自身初の200イニング投球回数をクリアしました。優勝争いするチームを支え、リーグ2位の14勝で最高勝率、さらに防御率も3.25でリーグ4位という素晴らしい成績を収めました。
2011年は故障が響き8勝に終わり、2012年は防御率2.33という数字を収めながら、4勝7敗と負け越します。2013年は、藤川球児のメジャー移籍に伴い、後任のクローザーに抜擢されました。当初は無難にこなしていましたが、慣れないポジションに苦しみ5月に入ると大きく打ち込まれます。結局2ヶ月でクローザー失格となり、その後は中継ぎとして登板し、先発起用は1試合もありませんでした。
社会人時代に修得した球界随一と言われる高速のクイックモーション
久保康友は様々な球種を持っている投手ですが、球界随一と言われるクイックモーションも大きな特徴です。松下電器時代に、世界でも類を見ない0.99秒台という数字を記録しましたが、プロに入ってもその武器を存分に披露しています。阪神時代の2010年は、202回1/3を投げましたが、盗塁を仕掛けられたことはわずか1回でした。また2013年にクローザーに抜擢されたことも、クイックモーションの速さが決め手の一つでした。
先発ができる環境を求めてFA宣言し、横浜DeNAへ移籍
2013年オフ、FA宣言して先発投手として働ける場所を探します。そしてその条件に合致した横浜DeNAベイスターズへの入団が決まりました。久保康友は先発投手として、ローテーションを守り、チーム最多の12勝と自身4年ぶりの二桁勝利を達成します。ロッテ、阪神含めて3球団での二桁勝利達成は史上14人目でした。
前年の活躍もあって、2015年は開幕投手に抜擢されます。夏場に力を発揮して、前半戦首位ターンの立役者となりましたが、久保の不調に合わせるようにチームも失速し、同年は最下位となりました。それでもチームトップの8勝と、先発として意地を見せました。2016年、交流戦で勝利を挙げて、史上初のセ・パ両リーグから10勝以上を記録します。しかし、終盤に打ち込まれるケースが多くなり、5勝8敗とDeNA移籍後初の負け越しに終わりました。チームは初のクライマックスシリーズ進出と躍進しましたが、自身の登板はなくシーズンを終えました。2017年は、残り7勝に迫った通算100勝クリアを目指しています。