「課外活動には関知しない」これまで日本版NCAAがなかった理由
©下田直樹――小林さんが日本版NCAAに精通しておられるのは、文部科学省とスポーツ庁の審議会に関わっていたからです。政府がスポーツの成長産業化を目指し、創設に動いている日本版NCAAは、全国の大学スポーツを競技横断的・大学横断的に取り仕切る、従来はなかった統括組織となります。
池田純 小林さんが座長でいらしたんですよね?
小林至 なぜか突然、指名されまして(笑)。僕が呼ばれたのは日本版NCAAに議題を絞ったタスクフォースで、論点整理とフィジビリスタディ(実現可能性の事前検討)を受け持ち、親会議である「大学スポーツの振興に関する検討会議」(文科省とスポーツ庁の審議会)に提出したわけです。
池田 タスクフォースでは、どんな結論に?
小林 日本版NCAAはあってしかるべき。それが結論です。今までなかったのが不思議なくらい、という声も上がりました。なぜ、今までなかったのか――。その経緯は、タスクフォースの過程で明らかになっています。簡単に言うと、日本の大学というのは自主・自治の色合いがとても濃い存在でした。政府の干渉から、自主・自治を守る戦いを続けてきた。しかも、大学の部活動は課外活動という位置付けですから、統括団体や監督省庁などありえないという考え方です。
しかし、大学でもコンプライアンスが厳しくなっているこのご時世に、いかに自主的とはいえそうした活動を放っておくわけにはいかない。一昔前なら、大学は関係ない、これは課外活動だから、と言えたのかもしれません。今はもうそんな主張は通りませんよ。大学が部活動をきちっとコントロールしないといけない。そのための統括組織が必要なんです。それに大学生の学業支援という点でも、日本版NCAAには必要性があります。
日本の場合、学生アスリートの文武両道がなかなか出てきませんよね。本来であれば、日本という国を引っ張る各界のリーダーが、大学スポーツの世界からどんどん出てきておかしくない。ところが日本の大学の運動部には、スポーツだけをやっていればそれでいいという風潮が割と強いんです。大学生なんですから、学問にもしっかり取り組む。その支援、サポートを充実させるためにも、大学横断型の統括組織はあったほうがいいという話です。
池田 大学スポーツの産業化、ビジネス化についての議論は、どうなりましたか?
小林 必要なおカネは稼がなければいけない。そういう話になっています。
池田 日本版NCAA自体が稼いでいく、というお話に?
小林 稼いでいかなければならない、という話です。そもそも日本版NCAAがモデルとしているアメリカのNCAAも、ビジネスありきのスタートではなかったわけです。人気スポーツのアメリカンフットボールで怪我人が続出し、死者まで出した。ところが責任の所在が曖昧なので、誰も補償金を支払えない。そのため「大学さん、しっかりやってよ」といった声が、政府から上がりました。もうひとつの背景に、大学間の過当競争もありました。スポーツでの競争が激しくなりすぎて、学業の面で大学のブランドが毀損されてきた。そこで、当時のセオドア・ルーズベルト大統領が介入したわけです。
「政府にコントロールされたくなければ、自分たちできちんとしたルールを設けよ」と。そんな経緯で誕生したアメリカのNCAAですが、いろいろ仕事が増えていったのは、大学のいわば御用聞きをやっているうちにです。その結果として、あれだけ大きくなった。日本版NCAAも同じ順序になるでしょう。100年以上の歴史を持つアメリカのNCAAから様々なノウハウを輸入しながら、日本の大学が抱えている問題解決の御用聞きをしていく中で、徐々にビジネスが大きくなっていく。そんな順序です。
池田 小林さんが座長を務めたタスクフォースは、もう?
小林 解散しています。
池田 今後の議論は、親会議の審議会(「大学スポーツの振興に関する検討会議」)が引き継ぐんですか?
小林 新たに「産学官連携協議会」を立ち上げます。スポーツ庁が主幹です。
各大学を統括する責任者、アスレチック・ディレクターの重要性
©下田直樹――ひとつ疑問があります。日本版NCAAの創設とは別に、大学側の大学スポーツを振興する取り組みが増えていかないと、統括も何もないんじゃないか。「大学スポーツの振興に関する検討会議」の最終とりまとめを拝見すると、当該大学の大学スポーツを取り仕切るアスレチック・デパートメント(大学体育局)の設置を、日本版NCAAが支援していく必要性にも言及しています。支援の具体策はすでに検討されているのでしょうか?
小林 補助金はすでに出ています。日本版NCAAの加入に必要な要件のひとつが、当該大学の各運動部の窓口を一本化する責任者の存在です。アメリカのアスレチック・デパートメントには、その責任者であるアスレチック・ディレクターがいて、各運動部の監督やコーチの人事権まで握っています。日本ではいきなりアスレチック・デパートメント設置とまではいかなくても、当該大学のスポーツ全般を取り仕切る責任者は必ずひとり置いてほしいというお願いです。
――「大学スポーツの振興に関する検討会議」は、日本の各大学の実情をどの程度把握していたのでしょうか?
小林 全国の大学を網羅するアンケート調査を実施しましたし、スポーツ庁が相当数の大学の担当者を個別にヒアリングしています。明治大学がスポーツ・アドミニストレーター(アメリカのアスレチック・ディレクターに相当)を置くのは、今回の池田さんが初めてですか?
池田 初めてです。私自身、明治大学のスポーツに関する実態がまだ十分には掴めていません(※明治大学スポーツ・アドミニストレーター就任の発表記者会見が4月3日。この対談は5月上旬に行った)。それは明大全体でも同じで、現在は大学内部の実態について把握を組織的にはじめた段階で、どう体育会を巻き込んでいくべきか、どう学生も巻き込んでいくべきか、どう大学内のステークホルダーを巻き込んで意識を高めていくか、結果として、どのような機能と人材を擁するアスレチック・デパートメント的な組織をつくるべきか。まったく体系的にまとめられているものがないので、把握からはじめて、議論が始まったたばかりの段階です。
小林 池田さんの具体的な役割は、これから定めていくのでしょうか?
池田 そうですね。私はあくまで“社外取締役”のような存在ですから、アドバイスする立場に限定されます。その提言を元にいかに大学が意思決定をするかが重要です。
小林 肩書きはスポーツ・アドミニストレーターですか?
池田 とりあえずは。ただ、アメリカにおけるスポーツ・アドミニストレーターは、アスレチック・ディレクターの大分下の職務で、普通の職員という認識になってしまいます。それでは今後、NCAAやアメリカの大学のアスレチック・デパートメントを向き合って、学んだり連携はできませんから、英語での肩書きはAthletic Directorにしてもらいました。
小林 アスレチック・ディレクターは当該大学のスポーツ部門の総責任者であり、本部長です。日本版NCAAの創設後、各大学のアスレチック・ディレクターには、日本版NCAAとの窓口になってもらいます。それから各運動部の予算管理もお願いしたい。
池田 現時点では、私は予算管理を担う立場にはありません。そもそも組織すらありませんし。そのための部局を作るサポートや、予算管理のガイドライン作成の助言はします。ただ、明治大学が日本版NCAAに加盟するかどうかも現時点では未定なので、それも大学内部で考えていく。
気になるのは、日本版NCAAについての理解の隔たりです。スポーツ庁の理解と各大学の理解、とくにスポーツ関連の学部を持たない大学の理解に隔たりがある。歴史がアメリカのNCAAとは100年以上違いますし、日本版NCAAに加盟するメリットとデメリットもまだきちんと整理されていません。日米でどこがどう違っていて、今どういうフェイズにいるのか、これからどうなっていくかが、しっかり把握できていない。
日本版NCAAの原資は誰が稼ぐのか? 求められるロードマップ
©下田直樹――小林さんは江戸川大学の教授でもいらっしゃいます。
池田 江戸川大学にスポーツの学部は?
小林 ありません。ただ、スポーツを活用したブランディングには明らかに成功した大学だと思います。大きなきっかけは北原憲彦さんの招聘でした。バスケットボールの日本代表としてモントリオール五輪(1976年)に出場されて、全日本女子の監督も務めておられた方です。
――招聘はバスケットボール部の監督として、ですか?
小林 大学の教授兼任で来ていただいたのが、江戸川大学の入学志願者が定員割れとなっていた2004年です。北原先生はバスケットボールの世界で大きなネームバリューをお持ちでしたし、大変な人格者でもいらっしゃる。江戸川大学のスポーツを活用したブランディングは当初の男子バスケから女子バスケ、サッカーへと広がり、バレーボールで4種目です。その結果、今年の入学志願者は定員550人に対して630人。このご時世、私立大学の半分が定員割れを起こしています。とくに江戸川大学を含めた新興の大学は、ほとんどが定員割れですよ。
――江戸川大学にアスレチック・デパートメントは?
小林 「アスリートセンター」という部局を、2年ほど前に作りました。各運動部に予算は提出させていますが、監督やコーチの人事権まではないですね。
池田 日本の多くの大学は、各運動部に助成金を出している程度です。人事権は各運動部が実体的には握っていますし、予算管理を含めて大学によって事情が違います。
小林 大学の野球部で報酬を受けている指導者は、ほとんどいませんよ。名門校でも、たいていは手弁当です。ちなみにアメリカの場合は、NCAAトーナメント(男子バスケットボールのいわば全国大会)に出場する大学のヘッドコーチで、平均年俸およそ2億円だそうです。
そういう極端な例はさておき、日本でも大学スポーツに限らず、優秀な指導者が相応の報酬を受け取れる環境の整備が大切です。野球部員はドラフト会議で指名されれば経済的に報われる可能性もありますが、指導者にはそうした道がありません。野球は、まだおカネが回っているほうです。日本のスポーツの大きな問題は、発展に繋がる原資を生まないことですよ。
池田 その原資を誰が稼ぐのか。統括組織である日本版NCAAなのか、個別の大学なのか。現時点では日本版NCAA創設のメリットやデメリットについて大学側の理解が不十分なので、いきなり稼げるほど統括組織に権利が集まるとは思えません。日本版NCAAがどう進んで行くかのロードマップが必要ですし、そこに各大学がどう関わるか、まずは大学側の正しい理解が促進されなきゃいけない。
現状では、どの大学もスポーツではまったくと言っていいほど稼いでいません。グッズは売れない。企業からのスポンサードもユニホームのメーカー選びも、個別の運動部任せになっている。大学自体の体育会との連携や統括・管理がまだまだ低い状態なんです。大学と各運動部がもっと密接に連携していかないといけないですね。
――日本版NCAAは、どうやって稼ごうとしているのでしょうか? アメリカのNCAAですと、放映権ビジネスが大きな割合を占めているようですが。
小林 現時点で想定しているのは、会員ビジネスです。日本の各大学の運動部員を全部足すと、およそ20万人います。その20万人をデータベース化して、プラットフォームを提供するだけで、大きな収入に繋がるでしょう。各運動部や学生アスリートが無料の会員登録をすると、固有のログインページが作成されます。そのデータベースに蓄積された動画やスタッツで、自分やチームの成長の度合いを把握したり、対戦相手を探したりできます。
こうしたプラットフォームのスポンサードに興味を示す企業は、とても多い。ただし、統括組織の日本版NCAAで作るおカネは、まずはそこまでです。その先の商売は大学側が主体となる。興行の支援には日本版NCAAも携わります。スタジアムやアリーナなどの場所探しや、運営スタッフの提供などです。こうした会員ビジネスと興行支援は、例えば7つの国立大学が持ち回りで開催している「七大戦」でも可能でしょう。
きちんとした運営ノウハウやマニュアルがないまま、もう何十年も続いているこうした対抗戦は、たとえ大きな興行にならなくても、コミュニティビジネスとして興味を示すスポンサーが現れますよ。
池田 興行は大学側でもっと盛り上げられるといいと思います。ある程度は集客できるスタジアムやアリーナも、本来的には比較的大きなスポーツ施設を保有しているような各大学が所有したほうがいい。東京の六大学野球は神宮球場を借りたりしていますけど、プロ野球と競合しますし、必ずしも大学生が観に行ける曜日や時間に開催できるわけではない。大学の既存の施設でいいから観客席を設けて、そこでどう広告を打つか、どんなグッズを作るか、試合興行の日程をどうするかなどは大学同士で連携を取れるようにもっとなるといい。日本版NCAAが大学スポーツの興行までを一括管理するのは、すごくハードルが高いですね。
小林 興行の管理までは想定してないです。大学の運動部員を会員組織化して、まずは会員カードを発行する。Tポイントや楽天ポイントと連携してもいいかもしれません。そうした大きな“塊”の価値は、5万人よりも10万人、10万人よりも20万人のほうが確実に高い。各大学の運動部に協力してもらい、大きなプラットフォームを作ります。大学の各競技連盟はそういうシステムをほとんど持っていませんし、技術者も少ないですから、スポーツ庁のヒアリングでも好反応がありました。
池田 個人情報の提供にはリスクもありますしね。きちんと管理されるのか、何のメリットがあるのか、大学側も各運動部や学生たちへの説明責任があります。これからもっと丁寧に個別の大学が日本版NCAAについて理解が正確になされていかなくてはなりませんね。今は何をやってくれるのか、いつどうなるのか、などの理解が不足しているように思います。日本版NCAAを作ろうとしている省庁側と大学側の隔たりを感じてしまいます。大学側と一口に言っても、国立大と私立大、スポーツの学部がある大学とない大学、マンモス大学と小規模な大学など、そこにも様々な隔たりがあるわけです。大学スポーツの産業化は、まだ黎明期ですから、脳ミソがバラバラなので、説明と理解と議論と納得が必要なのでしょうね。
<中編に続く>
「日本版NCAAは儲け主義」という誤解。小林至×池田純(中編)
「大学スポーツの振興に関する検討会議タスクフォース」の座長を務めた江戸川大学教授の小林至氏と、明治大学学長特任補佐スポーツ・アドミニストレーターの池田純氏が語る「日本版NCAA」の現在地と課題とは? アメリカNCAAをはじめ世界のスポーツビジネスに造詣の深いお二人の話はさらにヒートアップ。
次のイノベーションには流動性が必要だ。小林至×池田純(後編)
「日本版NCAA」を審議するための「大学スポーツの振興に関する検討会議タスクフォース」の座長を務めた江戸川大学教授の小林至氏と、明治大学学長特任補佐スポーツ・アドミニストレーターの池田純氏。ともに競技の枠、しがらみに縛られることなくスポーツをビジネスとしてとらえる二人が見据える未来とは?