日本の大学スポーツは、全体最適ができていない
©下田直樹――政府がスポーツの成長産業化を目指し、創設に動いている日本版NCAAは、全国の大学スポーツを競技横断的・大学横断的に取り仕切る、従来はなかった統括組織です。小林さんは江戸川大学教授を務めるかたわら、文部科学省とスポーツ庁の審議会「大学スポーツの振興に関する検討会議」の指名で、日本版NCAAの実現可能性を検討するタスクフォースの座長を務められました。日本版NCAA本体がおカネを稼ぐ取り組みとしては、全国の大学の各運動部や学生アスリートをデータベース化し、そのプラットフォームにスポンサーを募る会員ビジネスを想定している。その先の興行は、大学側が主体になる想定だというお話でしたが?
小林至 興行の支援はします。是非支援してほしいという考えの競技連盟が少なくないですから。野球の場合、東京六大学は支援不要かもしれません。その一方で「ウェブサイトの構築や、せめて告知や案内だけでも手伝ってもらえると助かる」と言う野球の学連(学生競技連盟)もあるんです。池田さんが指摘する隔たりのひとつは、大きな大学と小さな大学など大学同士の隔たりでしたが、競技連盟によっても日本版NCAAに対する姿勢は違います。アメリカンフットボールの競技連盟は、いの一番に手を挙げたいと意思表示するくらい日本版NCAAとの連携に前向きです。とはいえ、明治大学のアメリカンフットボール部の考えはまた違っているかもしれません。今はまだ、そんな段階だと思います。
――政府の方針では、日本版NCAAを平成30年度中(2019年3月まで)に創設する意向です。日本版NCAAがすぐに提供できるメリットとしては、プラットフォーム化による会員ビジネス以外に何があるのでしょうか?
小林 複数の競技連盟を括る、事務局機能の強化があります。現状でどんな問題があるかと言うと、例えばパラリンピックのスポーツは、個人の自宅が競技連盟の事務局だったりするわけです。健常者の大学スポーツでも、マイナー競技は少なからず似たような状態です。有力大学の熱心なOBの自宅が競技連盟の事務所を兼ねていて、本職は別に持ちながら、ボランティアで大会の案内や名簿の管理をしているわけです。こうした複数の事務局を日本版NCAAが一か所にまとめます。それだけで喜ぶ団体はありますし、様々な大会の数も増やせます。日本のスポーツ振興へ、事務局機能を強化するだけでも、だいぶ違ってくるでしょう。さらには法人化のお手伝いもしてあげる。現状の大学運動部はほとんどが任意団体ですから、法務、財務、安全管理などで責任の所在がはっきりしていません。
――法人格を持たないままだと、例えば団体名で銀行口座が開けません。金銭管理を個人の口座でやらないといけないわけですね。
小林 大学の運動部に必要なそうしたガバナンスの強化も、日本版NCAAが支援していきます。
――法人化支援の具体的な内容は?
小林 例えば、一般社団法人化に必要な登記手続きの代行です。日本版NCAAで弁護士や行政書士を雇えば、各団体のコストは格安で済むでしょう。
――日本版NCAAの組織には、そうしたスペシャリストが含まれてくるのでしょうか?
小林 そうです。アメリカのNCAAは全体で500人の職員を雇っていて、内部で様々なリーガル部隊を編成しています。日本版NCAAが提供できるもうひとつのメリットが、保険代理業務です。現状では、休日や祝日の活動で怪我や事故があった際、どの病院に行くか決まっている運動部は全体の4分の1程度しかありません。
池田純 この話でも、マンモス大学と小規模な大学では考え方が違うのだと思います。双方ともに制度のメリットを享受できるようにしていくには、十分なすり合わせが必要です。似ているのがプロ野球の放映権料で、とくにセ・リーグは話がまとまらない。最終的な、リーグで放映権をまとめたところの絵が共有されず、理解がバラバラなため、みんなで盛り上げて、回るおカネを大きくするのではなく、自分の持ち分が減らされてしまうのを避けるところから最初の話が進まない。放映権料30億円の球団が、なんで10億円の球団と一緒になって、平均化されなきゃならんのだという一つの事象にフォーカスされると、全体や最終目標、ファンにとっての最適な姿など、大きな議論よりも個別の事象に目がいき、それが障壁となってしまうからです。日本の大学スポーツは、個々の大学の全体最適ができていないし、学連は学連で様々です。学生が運営しているところや、手弁当のところも多いわけですから。
――現状ではバラバラな大学スポーツをまとめる、最大公約数的な制度を整えていくのが日本版NCAAの役割になるのでしょうか?
小林 最終的には、そうでしょうね。手弁当の話をすると、日本の大学の野球部員は、部費や寮費などで年間ウン十万円を個々が負担しているわけです。スポーツの普及のためにも、これをせめて半分にできないか。マイナースポーツの懐事情はもっと厳しい。大学のメジャースポーツと言っても、日本の場合はごく一握りじゃないですか。せいぜい野球、駅伝、アメリカンフットボール、ラグビーくらいで、この4競技だって、ほとんどの学生アスリートはおカネを払って続けてますよ。大学生のスポーツはそういうものだと片付けるのではなく、振興していけば、眠っている宝の山を掘り起こせるんじゃないか。おカネを作るだけが、大学スポーツ振興の目的ではありませんから。
巨額の放映権料ビジネス? 日本版NCAAに対する誤解
©下田直樹池田 ビジネスや産業化の話が、当初と比べてトーンダウンしてしまったのでしょうか?
小林 どうでしょう。少なくともタスクフォースの一同は、トーンダウンとは思っていませんよ。今は日本版NCAAのあるべき姿や、今後の論点が整理できた段階ですから。アメリカのNCAAだって、収入のほとんどは放映権料です。日本では、まだとてもそこまでは……。
――アメリカのNCAAの収入は1000億円規模(2015年)。その85パーセントが放映権料だそうです。
小林 NCAAの主な収入源は、放映権とロゴの権利です。興行はNCAA傘下の主要カンファレンス(リーグ)も催していて、全ての収入を合わせると1兆円規模になります。興行権は各大学にありますが、個別より全体で放映権を売ったほうがいいコンテンツをカンファレンスで取り扱っている。そもそもアメリカ人が好きなスポーツのトップ10に、大学のアメリカンフットボールとバスケットボールが入っているわけです。日本も一気にそこまでという話をするのは難しい。おそらく日本版NCAAを金儲け中心の話のように取り上げたのは、マスコミではないでしょうか。大学スポーツが商業主義に走っていいのかという懐疑論と、自前でカネを稼ぐべきだという推進論を戦わせるなどしてね。しかし、アメリカのNCAAだって、本来の趣旨はガバナンスとコンプライアンスだったんです。日本でも、大学スポーツを時代に合ったものにしていこう。そのためにはおカネも掛かるという話です。
池田 マスコミが日本版NCAAへのビジネス的な期待をつくってしまった部分もあるのかもしれないでしょうが、政府の打ち出し方にも課題があり、拙速な部分もあり、あらゆる関係者の理解がバラバラで、結果、トーンダウンのように映っているのででしょうね。しっかりとした説明が行き渡る必要を感じますね。
小林 ネーミングの影響もあるかもしれません。アメリカのNCAAと聞いてパッと思い浮かぶのが、“マーチ・マッドネス”と呼ばれる男子バスケットボールの全国大会やアメリカンフットボールのボウルゲームから巨額の収入を得ているイメージだとすれば、日本版NCAAというネーミングは金儲けを連想させてしまう。日本版BUCSにしておけば良かったという話も、実はあるんです。BUCSはイギリスの全国的な大学スポーツの統括団体で、産業化やビジネスには力を入れていませんから。日本のスポーツ市場の規模を、2015年の5.5兆円産業から2025年には15兆円産業に拡大しようという政府の目標でも、大学スポーツの振興はその一部を占めているに過ぎません。
池田 スポーツ全体で15兆円産業にというのが政府の掛け声ですから、どんなロードマップを作って、どんな内訳にしていくか。その内訳が関係者や一般生活者にどう映るかですよね。現状では錯覚があって、大学関係者の中にも15兆円産業の大きな部分を大学スポーツが占めるという誤った認識の人たちがいるわけです。ところが大学スポーツの現実を把握していくと、稼げるとか稼げないとかそういうフェイズにはまだ程遠いと、よく分かります。(明治大学学長特任補佐就任の発表記者会見で)私も聞かれましたよ。どうやっておカネ儲けをするつもりですかって。いやいや、まだそんな段階じゃないと思います。と。
小林 明治大学で池田さんが担っていくのは、スポーツ関係の権利を換金していく役割ではない?
池田 どう換金できるか、アドバイスしていく役割でもあります。あれだけ規模が大きい大学で、スポーツの学部もまだありませんから、ひとつの先行事例になっていくと思います。今のところ、応援グッズを大々的に売っているわけでも、試合映像の権利活用を体系的に考えているわけでもない。各運動部のチームカラーを統一しているわけでも、大会や試合の告知がきちんとなされているわけでもありません。そんな状況の大学は明治だけではないのに、日本版NCAAの話ばかりが先に進んでいるように映るので、すごく隔たりがあるなあと。
小林 日本版NCAAの別の機能に、ある競技連盟独自のプログラムを、他の競技連盟が共有しやすくなる情報の橋渡しも十分あると思います。一例を挙げると日本水泳連盟は、本格的な競技者のいわばマイナンバー制を導入しています。子供の頃にもらった背番号が、競技を引退するまで変わらない。その競技連盟でしか知られていない洗練された指導者育成プログラムもあるでしょうし、文武両道の具体的な方法論だと早稲田大学の「早稲田アスリートプログラム」があるわけです。
池田 カレッジスポーツを振興していきたいのは、大学側も同じだと思いますよ。ただ、東京オリンピック・パラリンピックの招致が決まって、スポーツ庁もせっかくできたのだからと、焦りのような空気が生まれているのでしょうね。日本版NCAAについての政府による部分や関係者全員への理解より、形をつくることを急ぐ中での、コミュニケーションの不足もあり、そこにメディアが絡んで、議論が分かりにくくなっています。
小林 日本版NCAAについての議論を深めていくスポーツ庁の「産学官連携協議会」は、タウンミーティング(一般市民と行政当局による対話集会)を数多く開く意向です。大学関係者が共通意識の醸成を図るための研究会が、関西でも関東でもすでに立ち上がっています。日本版NCAAが大学スポーツの優れた情報を共有し、横に展開できる場所になる。もちろん練習法のような共有したくない情報もあるでしょうが、少なくとも競技連盟の運営や、当該大学のスポーツを取り仕切るアスレチック・デパートメント(大学体育局)の運営に関しては、共有できる情報がいくらでもありますよ。池田さんには明治大学で、いい前例をどんどん作ってもらいたいです。
<後編に続く>
次のイノベーションには流動性が必要だ。小林至×池田純(後編)
「日本版NCAA」を審議するための「大学スポーツの振興に関する検討会議タスクフォース」の座長を務めた江戸川大学教授の小林至氏と、明治大学学長特任補佐スポーツ・アドミニストレーターの池田純氏。ともに競技の枠、しがらみに縛られることなくスポーツをビジネスとしてとらえる二人が見据える未来とは?