【前編】インナーマッスル信仰を捨てよ。日本人が身につけるべき筋トレ知識
スポーツに興味を持たない人でも、「インナーマッスル」という言葉を知っている人は多いだろう。2008年まで明大サッカー部員だった長友佑都選手が、日本代表入りし、FCインテル入団まで駆け上ったサクセスストーリーを支えたのが「体幹トレーニング」であり、そのキモがインナーマッスルである、というのがおよその一般認識ではなかろうか。(文=FR[ブロガー])
「体幹トレーニングも重要だが、ウェイトトレーニングも重要だ」ということは、前回のコラムでもお伝えした通りだ。
サッカー用の体幹トレーニングに関する資料・情報であれば、メディア・書店など多方面でまとまった形のものを目にする。一方で、サッカー用のウェイトトレーニングについての資料や情報は、断片的に散らばりがちな傾向がある。
その理由は、国内サッカー界において体系的かつ組織的なウェイトトレーニングの指導体制が整っていないこと、そして事実とは異なる誤ったトレーニング情報(都市伝説)が多く広がってしまっていることが挙げられるだろう。
その結果、学生はもとよりプロ選手でも、ウェイトトレーニングの基礎ノウハウを驚くほど欠いてしまっているケースが多いように感じる。そこで今回は、その散らばりがちなサッカー分野のウェイトトレーニングについて考察していきたい。
サッカー界のウェイトトレーニング
©Getty Images欧州サッカーでは、10代後半頃から本格的なウェイトトレーニングを開始し、選手の基礎筋力の向上を図るのが一般的だ。なお、ここで言う「本格的なウェイトトレーニング」とは、ビッグ3と呼ばれるベンチプレス、デッドリフト、バーベルスクワットおよび、瞬発力を爆発的に高めるハイクリーン等のクイックリフト種目を中心に据えたトレーニング計画を指す。
一方、日本サッカーでは、この年代の選手は様々な理由で「無駄な筋肉をつけてはいけない」と周りの人間に助言され始める。ジムや栄養サポートなどハード面でのトレーニング環境も十分には整っていないため、同年代の欧州選手のように鍛える機会は乏しく、多くの選手がその空気に流されてしまい、全体レベルとして彼らの基礎筋力は底上げされない傾向にある。
この点に関して「日本人は、筋肉が増えにくい体質だから仕方ない」と、まことしやかに語る者も少なくない。しかし例えば日本の高校・大学ラグビー選手らが、欧州プロサッカー選手を超えるほどの基礎筋力を身につけている現実を踏まえれば、「日本人は筋肉が増えにくい」という主張が事実に基づかない偏見であることは、もはや明白。人種の違い云々の話ではなく、ただ単に「本気でやってるかやってないか」の差でしかないのだ。
ところで、運動生理学のトレーニング五大原則の1つに「漸進性の原則」というものがある。これは、一定期間トレーニングを続けて体力・筋力が一定水準に達すると、同じ負荷のトレーニングでは効果を得られなくなるため、継続的に負荷を上げていく必要があるというものだ。つまり筋力・筋肉を増やすには、この原則に則って段階的にトレーニング強度を上げていくしか方法はないのである。
しかし日本サッカー界では、負荷をそのように段階的に上げていく意識は、概ね低い傾向にある。たとえば先日の天皇杯において、フィジカル強化した筑波大学の選手が現役Jリーガーを相手にコンタクトプレーで圧倒し、ジャイアントキリングを果たした試合等は、まさにその象徴的な事象と思われる。端的に表現すれば、それは「フィジカル強化に対する意識と努力の差が結果に表れた」とも考えられるのではないか。
井の中で“裏技"を追いかけるカエルの日本
©Getty Imagesここまで述べてきたことを考慮に入れると、ウェイトトレーニングを取り巻く日本サッカーの実情は下記の図のような状態であると考えられる。
激しいコンタクトプレーでもファウルにならない世界のサッカーでは、最低限の筋力・体重を増やし身につけることは必要不可欠の要素だ。また、筋肉とはマンガのように一朝一夕に増えることは絶対になく、ハードなトレーニングを、負荷を上げながら何年も積み重ねていくことで、少しずつ増えていくもの。
そのため、欧州では15歳頃から積極的かつ少しずつ、ウェイトトレーニングを中心に筋肉を増やしていき、コンタクトの激しいフットボールリーグで戦える体を作っていく(図3・オレンジ色の⇒)。しかし国内サッカーでは、積極的に筋肉を増やすことを敬遠するカルチャーがあるため、欧州と比べれば軽度なウェイトトレーニングや流行のトレーニングによって、欧州基準と比べて低いレベルでの筋肉増が図られる(図3・水色の⇒)。
これには日本のサッカーが欧州と比べて激しいコンタクトプレーに対し、“簡単にファウルを取る"というレフェリング傾向もその要因の一つとして考えられる。言い換えれば、「努力を続けて筋肉を増やしても、期待できるリターンが比較的少ない」と考える選手・指導者が多いのかもしれない。いずれにしても、日本のサッカー選手は欧州サッカーの基準(図3・赤い点線)と比べて、キャリアピーク時の基礎筋力が決定的に不足してしまう。
なお図3の細い水色の矢印は、レアケースとして自主的に個別の積極的筋力アップを図った日本選手の成長パターンを示したものである。しかし矢印線を細く描き示したように、国内でそういうチーム・選手はむしろマイノリティであり、具体的なチームを挙げれば東福岡高校、青森山田高校、筑波大学、いわきFCであり、選手で言えば武藤嘉紀、長友佑都、そして中田英寿らでもあった。
ちなみにハードな筋トレを敬遠しがちな日本サッカー界において、選手やチームが「アンチ筋トレ思考・行動パターン」のムラ社会から道を外れ、己の成長を試みる際には、往々にして周囲から特異な目で見られることは多い。そして、いくら活躍しても「あいつらは日本人の常識から外れている」とか、「彼はフィジカルモンスターだから」などと、別枠のレアケースとして形容されてしまいがちだ。
いつまでも世界との差が縮まらないのは、そうやって井の中の常識ばかりに目を向け、現実の差をシッカリ見ていないからではなかろうか。閉鎖的な価値観の中で、どんなに「日本らしい」解決策を求め続けようとも、次のステップは永遠に見えて来ない。
筋トレに関する都市伝説まとめ
©Getty Images多くのサッカー選手が本格的なウェイトトレーニングを敬遠しがちな理由として、「筋トレに関するネガティブな固定観念やウワサ話があふれているから」、という側面も無視できない。
そういうネガティブな誤解・風評は、(トレーナーを含む)指導者の話、(元および現役の)有名選手の発言、また一部のサッカーマンガの記述などからも見受けられることが多い。が、選手自身がそのような話に影響されていては、トレーニングに身が入らなくなり、結果にも出にくくなってしまうだろう。
ここでは、サッカー界隈にまことしやかに語られている、数多くの「トレーニングの誤解」の代表的なものを紹介していく。
【1.スピードが落ちる説】
数々の研究やアスリートのパフォーマンスによって実証されているが、これは真逆であり、むしろ筋肉を増やした方がスピードやキレが増す。特に、ベーシックな筋力を高めていない日本の選手であればなおさらだ。「筋肉を増やした分、体重が重くなる」のは事実だが、それは「馬力の強いエンジン」を搭載したから重くなったのであり、選手としての基礎スペックは向上して当然。スピードと筋肉は、トレードオフの関係にはないのである。
ただし、トレーニング直後の筋肉痛の状態や、栄養不足の状態、休養不足の状態、また動きの調整が行き届いていない状態では、体を重く感じ、プレーの質は下がって当然だ。カテゴリー問わず、多くの選手にはトレーニング知識が足りないため、このような身体のケア不足でパフォーマンス低下を招くケースが少なくない。さらに言えば、己の成績不振の原因を筋トレになすりつけようとする選手・指導者も少なくない。本末転倒も甚だしいが、こういうケースが散見されるのも国内サッカー現場の現実である。
【2.体が硬くなる(硬い筋肉がつく)説】
これも実際には概ね真逆の話であり、むしろ何もしないよりは筋トレで体を動かした方が体は柔らかくなる。筋肉を増やしたからといって柔軟性が失われたり、力みのないチカラを抜いたプレーができなくなるということもない。
このような説が広まる理由として、見た目の印象からの想像イメージと、トレーニング後の一時的炎症(パンプアップ)や筋肉痛が長く続くかのような錯覚が、トレーニング初心者をしてそう思わせるのが原因ではなかろうか。選手自身が自らの知識不足によって、適正なウェイトトレーニングの効果を実感する機会を逃してしまっているケースも多々あるように思われる。
【3.ケガしやすくなる説】
これまた真逆の話であり、むしろウェイトトレーニングがケガの予防につながるということが、多くの研究データによって証明されている。もしも「ウェイトを行って故障が増えた」という人がいるなら、それは誤ったトレーニングフォームや回数・セット数、栄養法、休養法によるものだろう。
また、【ブラジル選手は筋トレではなく、華麗なサンバのリズムで相手をかわす説】、【スペイン選手は筋トレしない説】、【ルーニーは筋トレしない説】などの話も頻繁に耳にするが、実際にはYouTubeや海外サイト等において彼らの筋トレ動画やウェイトメニューの一部が普通に公開されており、これらの話が全くのデタラメであることを容易に確認できる。こういう珍説・ウワサ話があたかも真実のように広まってしまうのも、筋トレ嫌いの日本サッカー界ならではの文化的特徴と言えるかもしれない。
その他にも、【プロテインを飲むと太る説】、【筋トレをやめると、筋肉が脂肪に変わる説】、また前回にも述べた【ウェイトは使えない筋肉がつく説】など色々あるが、これらは全てイメージ先行の具体的根拠を欠いた誤解でしかない(詳細はまた別の機会に紹介したい)。
トレーニングに対してそういう誤った偏見・固定観念を抱いている選手に対して、こうした誤解を一つ一つ説明して解消していくのは中々に骨が折れる作業でもあるが、選手たちの育った環境条件やそれに伴う立場、また個人個人の心情を思えば、それも必要不可欠なプロセスであろうと考える。
「日本人に合った」トレーニングとは?
「日本人に合った」「しなやかにかわす」という言葉には、心のどこかでハードかつ地道なトレーニングを嫌い、そこから逃げたい下心が漂っているように感じる。
実際、そういう言葉を用いたがるタイプの選手・指導者が、筋トレの基本種目であるBIG3(ベンチプレス、デッドリフト、バーベルスクワット)とクイックリフト(ハイクリーン、スナッチなどの瞬発力を高める種目)を漸進的に行っているケースはあまり聞かない。勿論、サッカーのウェイトトレーニングはこのBIG3とクイックリフトだけ行えば十分という訳でもないし、トレーニング全体の組み立てを突き詰めていけば、各々の選手に合わせた個別性はより高くなるのだが、それにしてもこの基本部分の継続的な積み重ねは、国内のサッカー現場で軽視されがちだ。
またトレーニング効果を最大化させるには、十分な栄養摂取と休養が必要不可欠であるが、例えば彼らが毎日の生活でタンパク質(体重×2g/日)を十分に摂取し、ストイックに栄養および休養のセルフメンテナンスを万全に行なっているという話も、まず聞くことはない。
海外サッカーでは昔から当たり前に実践されている取り組みでもあるが、日本サッカー界においては、このような基礎部分を大切にするトレーニング文化が浸透していない。つまり前提条件として、アスリートのフィジカル要素の土台を作るリソース・環境が、決定的に不足しているのである。
このような状態が改善されないままでは、「日本人に合ったトレーニング法」なるものをいくら求め続けようとも、それによって膨らんだ希望と期待は、2014年W杯ブラジル大会のようにまた足元から崩れ去ってしまうのではなかろうか。
なお「日本人はもともとの骨格が違うから筋トレはダメ」、「日本人と似たような骨格のメキシコの戦い方を目指すべきだ」というもっともらしい主張も聞かされることがあるが、これまたYouTubeを観れば、メキシコ代表選手らががっつりウェイトトレーニングを行って、筋肉を増やしているのが確認できる。
端的に述べれば、日本のサッカー界隈には「アレは欲しいけど、コレとコレはやりたくない」という、まるで駄々っ子のようなニーズが長年存在していると言える。メディアの体作りやトレーニングに関する論調も、そのようなニーズに合わせて述べられているだけでしかない。
つまるところ、今の日本サッカーに必要なことは、体を動かすよりも先に、まず「現実を知り、受け入れる」という精神的かつ根本的な部分での意識改革ではなかろうか。
著者名:FR(ブロガー)
早稲田大学大学院卒、英エジンバラ大学留学
2010年よりサッカー選手向けトレーニングサイト「サッカーのための筋トレと栄養」を運営。学生から海外プロ選手、日本代表選手まで幅広いカテゴリーの選手を個別サポート
【前編】インナーマッスル信仰を捨てよ。日本人が身につけるべき筋トレ知識
スポーツに興味を持たない人でも、「インナーマッスル」という言葉を知っている人は多いだろう。2008年まで明大サッカー部員だった長友佑都選手が、日本代表入りし、FCインテル入団まで駆け上ったサクセスストーリーを支えたのが「体幹トレーニング」であり、そのキモがインナーマッスルである、というのがおよその一般認識ではなかろうか。(文=FR[ブロガー])
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小俣よしのぶというフィジカルコーチをご存知だろうか? 近年、Facebookでの情報発信が多くのコーチの注目を集めている人物だ。いわく「サッカーが日本をダメにする」「スキャモンの発育曲線に意味はない」「スポーツスクールは子どもの運動能力低下要因の一つ」……一見過激に見えるそれらの発言は、東ドイツ・ソ連の分析と豊富な現場経験に裏打ちされたもの。そんな小俣氏にとって、現在の日本スポーツ界に蔓延するフィジカル知識は奇異に映るものが多いようだ。詳しく話を伺った。
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日々、進化し続けるスポーツのトレーニング事情。それは野球界も例外ではない。近年、とりわけ話題になっているのが「走り込み」と「ウェイト・トレーニング」の是非をめぐる問題だ。「厳しい練習」の代名詞だった「走り込み」は、野球という競技において実はそれほど効果がなく、それよりも「ウェイト・トレーニング」にもっとしっかり取り組むべき、という考え方が広まってきている。