チャド・ヘドリックについて

名前 チャド・ヘドリック
生年月日 1977年4月17日
アメリカ
出身 テキサス州ヒューストン
プロフィール 2歳から縦に並んだローラー付きシューズで陸上を滑るインラインスケートを始め、1995〜2003年まで世界選手権を制するなど王者として君臨。28歳でスピードスケートに転向、2004年世界選手権で総合優勝し、スケート王国として知られるオランダの10連覇を阻む。2005年世界選手権5000メートル金メダル。2006年トリノ五輪では5000メートルで世界記録を出し金メダルを獲得、1万メートルで銀メダル、1500メートルは銅メダル。2010年バンクーバー五輪は1000メートルで銅メダル、団体追い抜きで銀メダル。180センチ、77キロ。

インラインスケートで世界選手権8連覇

チャド・ヘドリックが生まれ育ったのはテキサス州ヒューストン。決してウインタースポーツが強い地域ではなく、ヘドリック自体もウインタースポーツをすることはありませんでした。しかし、運動神経自体は優れていたヘドリックは間もなくスケートを始めます。この時、ヘドリックはわずか2歳。早い時期からのスタートとなりました。

ウインタースポーツが盛んではない地域だけにヘドリックが始めたのは氷上のスケートではなく、インラインスケート。ローラーが縦に並んだインラインスケートを始めることでヘドリックはグングン上達し、間もなくヘドリックは一流選手として大成します。

ヘドリックの名前が世に知れ渡ったのは95年の世界選手権。18歳で出場したヘドリックはインラインスケートの部門でいきなり優勝。圧倒的なスピード、そしてテクニックで優れていたヘドリックはこの世界では圧倒的な力を発揮。この後も世界選手権では抜群の実績を残し、03年まで8年連続でこの大会を優勝するという抜群の実績を残しました。

インラインスケートからスピードスケートへ転向

インラインスケートで断トツの実績を残し続けたチャド・ヘドリック。そもそもインラインスケートが登場したのはヘドリックが生まれた2年後のこと。ヘドリックがこの競技を始めたのは2歳のころだっただけに、発売されて間もなく始めたということがわかります。ヘドリックにとってインラインスケートはまさに天職ともいうべきスポーツであることがわかります。

しかし、ヘドリックはそれに飽き足りませんでした。というのもアスリートとしての最高峰であるオリンピックにインラインスケートは正式種目となっていないため、どんなに頑張ってもオリンピックに出場できなかったことがヘドリックにどこか物足りなさを与えるようになりました。

その思いを埋めるため、ヘドリックは27歳のころにある決断をします。それがショートトラックスピードスケートへの転向。ローラーをエッジに変えての競技種目変更でした。スケート選手のほとんどは幼少期からスケートリンクでトレーニングを積んでいますが、28歳からの転向はあまりに異例。06年のトリノオリンピック挑戦を見越してのことですが、あまりに難しい挑戦かと思われましたが、ヘドリックはそんな下馬評を覆します。

ヘドリックがスピードスケートの選手として衝撃をもたらしたのは04年の世界選手権。かつてインラインスケートは何度も優勝した舞台ですが、ここでスピードスケートの選手として参加したヘドリックは総合優勝。当時10連覇を飾っていたオランダチームを破ったことで大きな話題となりました。

圧倒的な実力でトリノ五輪で金メダル

遅れてきた大物、チャド・ヘドリックがスピードスケートの選手としても絶好調。05年の世界選手権でもヘドリックは5000mの個人種目で出場し、優勝。インラインスケート出身のヘドリックはスタミナ面でも優れていて、5000mなどの長距離戦で圧倒的な強さを見せていました。そしてこの年は1500mで1分42秒78、3000mで3分39秒02、5000mで6分09秒68、10000mでも12分55秒11という好タイムを記録。この4部門のタイムは全て世界新記録となり、改めてヘドリックの万能性が浮き彫りになりました。

ヘドリックの長距離戦の強さが満天下に知れ渡ったのは06年のトリノオリンピックでした。念願のオリンピック選手として出場したヘドリックは個人で1500m、5000m、10000mに出場するというマルチな才能を発揮します。そして、ただ出場するだけでなくヘドリックは5000mで金、10000mで銀、そして1500mで銅メダルを獲得するという偉業を成し遂げました。

スピードスケートの選手は特定の距離で活躍することが多いだけに、ヘドリックのような万能性のある選手は極めてまれ。インラインスケートで抜群の実績を残したヘドリックらしい異例の好成績となりました。

バンクーバー五輪で団体銀メダル

異なる距離で3つともメダルを取ったチャド・ヘドリック。05年に打ち立てた4つの記録は全て抜かれてしまいましたが、09年にも500m、1000m、1500mでも自己ベストを更新するなど、世界選手権等でも活躍していました。

そして迎えた10年のバンクーバーオリンピック。この時、ヘドリックは32歳と選手としてはピークを越えるかという年齢に差し掛かっていました。年齢的にもこの大会が最後のオリンピックになるかと思われたヘドリックは前回同様にマルチな距離で活躍。前回大会では取れなかった1000mで銅メダルを獲得。さらに今回初めて出場したチームパシュートでもヘドリックは活躍してアメリカ代表を銀メダルへ導きました。

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