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亡霊と踊る未亡人/浅田真央SP『リチュアル・ダンス~バレエ音楽「恋は魔術師」より』

漆黒の尾羽をまとった浅田真央は、匂い立つような美しさだ。同色の長い指の背を頬に添わせると、ピアノの不協和音が『真夜中』の時を知らせる鐘を打ち鳴らす。
 
妻は毎夜、何かに操られるがごとく、夫が死に絶えた荒野で情熱的にフラメンコを踊る。月明かりの下、まるで目の前に夫がいるかのように。いや、妻には夫が見えるのだ。夫の亡霊と踊っているのである。
 
『恋は魔術師』は、スペインの作曲家マヌエル・デ・ファリャが1915年にフラメンコ音楽劇(ヒタネリア)として作った組曲を、後にバレエ作品として作り変えたものだ。バレエと言ってもヒタネリアの影響を色濃く残しており、演出によっては歌や台詞が入ることもある。踊りのベースはフラメンコだ。
 
プログラム名にもなっている『リチュアル・ダンス』は、『恋は魔術師』の中でも特に有名な曲であり、邦題では『火祭りの踊り』という。ここで言う火祭りとは“悪霊祓い"のための宗教的な儀式だ。バレエ作品では、美しき未亡人に取り憑く夫の霊を祓うべく、ダイナミックな群舞が見られる。
 
SPは『火祭りの踊り』の他に劇中の1曲が、FSでは他の4曲が組み込まれている。
 
ピアノのトレモロが表現するのは、ヒターノ(ジプシー)の呪文である。万物の魂を夜空に解放すれば、いよいよ儀式の始まりだ。ヒステリックな鍵盤音をバックに、浅田の“黒"は力強く鋭角な舞いを見せる。それは、強い呪力と情念、激しい愛憎、そして亡き夫に対する「喪」の意味合いを同時に感じさせる。

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『恋は魔術師』

舞台はスペインの最南端アンダルシアのカディスである。作者ファリャが生まれ育った土地だ。『恋は魔術師』は、カディスにあるヒターノ居住区における物語である。

幼いころに互いの父親によって交わされた結婚の約束。大人になったふたりの婚礼が今まさに行われている。花嫁の名はカンデーラ、花婿はホセ。たくさんの参列者の中に、秘かに花嫁に心を寄せる若者カルメロがいる。一方、花婿ホセは女たらしで、婚礼の最中にも若く美しい娘ルシアに色目を使っている。

そのルシアを巡って、ホセは他の男たちと喧嘩になる。クリスマスの晩、ホセは何者かにナイフで刺されて死んでしまう。嘆き悲しむ妻カンデーラ。そんなカンデーラに寄り添うカルメロは、こともあろうに駆け付けた警察に捕まり、投獄されてしまう。

それから4年、刑期を終えて戻ってきたカルメロは、まだカンデーラを愛していた。ところが、カンデーラは夜ごとホセが殺された荒野に彷徨い出て、夫の亡霊とダンスを踊っているのである。

カンデーラは歌う。
「ああ、私にはわからない。あのろくでなし男が去った後、私に何が起きているのかを。燃え盛る大きな炎。嫉妬に燃える私の血より、地獄の炎はもっと激しい…。(『悩ましい愛の歌』より)」

カンデーラは不実な夫に悩まされつつも彼を愛し、自分はヒターノの女(ヒターナ)として、誇りと誠実さを持って生きてきた。未亡人となった今でも、亡き夫以外の男との恋を拒絶しているのである。

叩きつけるようなピアノの連打に、浅田はSP最後のポーズを決める。

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戦う炎・愛の炎/FS『リチュアル・ダンス~バレエ音楽「恋は魔術師」より』

FSは、SP最後のポーズから始まる。今度は燃えるような“赤"の浅田だ。劇中曲『洞窟の中で(夜)』は、弦楽器の重厚で不吉なトレモロと、不意を突くようなオーボエが印象的である。

カルメロの告白で本当の愛を知ったカンデーラは、夫との決別のために洞窟にやって来る。洞窟には年老いた女祈祷師がいて、薄明かりの中、タロットで未来を占っている。愛し合うふたりを気にかける女祈祷師は、「死者(夫の亡霊)を遠ざけるのは火だ」と言い、悪霊払いを勧める。

突然、やさしい音色が場内を包み込む。美しいスピンに続いて、大きなスパイラルでは、浅田の穏やかな表情がうかがえる。

『パントマイム』と名付けられたこの曲は、劇中のエンディング前に出てくる。カンデーラとカルメロ、ホセとルシアの2組のカップルが「真実の愛」に目覚め、夜明け前にロマンティックなダンスを披露する場面だ。そこには、怒りも嫉妬もない、満ち足りた世界だけが広がっている。やや順不同だが、ここは浅田の美しいスケーティングをたっぷりと堪能したい。

3連続のグリッサンド音は、亡霊登場の合図だ。浅田のコンビネーションジャンプがシンクロし、再び不吉なムードに包まれる。SPのピアノバージョンとは別の、オーケストラアレンジによる『火祭りの踊り』である。ヴィオラのトレモロに、ハバネラ風のリズムが重なっていく。

浅田がカンデーラになる。
浅田が炎になる。

高く積み上げられた焚火には、すべての感情が燃え盛っている。その周りで一心不乱に踊るカンデーラ。それを取り囲むように村の女たちも踊る。シットスピンを合図に、火が激しさを増してきたようだ。

炎は生き物のように、弱まったと思うと、次の瞬間には取り囲まれる。炎は呼吸をしているのだ。魂を吹き込み、魂を奪い去ってゆく。激しいステップは、過去の幻影との戦いである。そして、オーケストレーションの連打の後にフィニッシュを迎える。

さて、夫の亡霊はどうなったのか?

演技は終わってしまったが、少し話を続けよう。実はこの火の儀式は失敗に終わる。要は効き目が今ひとつだったのだ。

そこで次なる手は、ホセが生前に関係を持っていたルシアを犠牲にすること。女祈祷師の教えに従い、まずはカンデーラがホセを呼び出す。そして、いつものように真夜中のダンスを始める。タイミングを見計らって、カンデーラはルシアと入れ替わる。

この作戦は見事に成功し、前述の『パントマイム』の流れになる。ホセの亡霊はルシアを伴って、踊りながら冥界に帰っていく。

カンデーラは高らかに歌うのだ。
「私はあなたの運命を告げる声
私はあなたを焼き尽くす炎
私はあなたのため息となる風
私はあなたがさまよう海…」

美しい夜明け。亡き夫の呪縛から放たれたカンデーラと、愛を得たカルメロは、ようやく結ばれるのだった。

■展示会情報
『美しき氷上の妖精 浅田真央展』
会期:2017年9月13日(水)~25日(月)
入場時間:午前10時半~午後7時(7時半閉場)
※最終日:9月25日(月)は午後5時半まで(6時閉場)
会場:日本橋高島屋 8階ホール
※入場無料

■巡回予定:
10月18日(水)~29日(日)横浜高島屋8階ギャラリー
12月13日(水)~25日(月)大阪高島屋7階グランドホール
2018年1月4日(木)~22日(月)京都高島屋7階グランドホール
4月18日(水)~30日(月・振休)ジェイアール名古屋タカシマヤ10階特設会場

『美しき氷上の妖精 浅田真央展』特設サイト(高島屋)

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いとうやまね

著者プロフィール いとうやまね

インターブランド、他でクリエイティブ・ディレクターとしてCI、VI開発に携わる。後に、コピーライターに転向。著書は『氷上秘話 フィギュアスケート楽曲・プログラムの知られざる世界』『フットボールde国歌大合唱!』(東邦出版)『プロフットボーラーの家族の肖像』(カンゼン)他、がある。サッカー専門TV、実況中継のリサーチャーとしても活動。