文=いとうやまね
ふたつのノクターン
©Getty Images 浅田がはじめにショパンの『ノクターン』を演じたのは、まだあどけなさを残す16歳の時だった。ちょうど大人びた衣装に切り替わった頃で、胸や背中の大胆なカットに、少々ドキッとしたのを覚えている。音源は、旧ソ連を代表するピアニスト、ウラディーミル・アシュケナージによるものだった。
「スケートのエッジを指に、リンクを鍵盤に見立てて滑りました」
それは、氷上をコロコロと光が転がるような、軽やかなノクターンだった。
6年の月日が経ち、浅田は同じプログラムを再び演じることになった。ポルトガルの女性ピアニスト、マリア・ジョアン・ピレシュの演奏は、たおやかで、しっとりとした大人の女性をイメージさせた。
大人仕様の『ノクターン』には、あるテーマが与えられていた。そのテーマとは〝初恋〟である。どちらかといえば、16歳の演技のほうが初恋に見えなくもない。恐れを知らないはつらつとしたスケーティングは、初恋の喜びそのものだった。それでも、あえてそのテーマにしたのは、「大人の恋を知った女性が、16歳当時の自分を回想する」という、隠れたコンセプトを想像させた。
淡いアイリスのドレープと腰にかけての深みのあるグラデーション、胸元の無数のストーンが貴婦人を思わせる。ドレスに合わせた瞼のシャドーがなんとも美しいではないか。大技に入る前の、少しぷらんとした腕や手の表情、困った顔で両手を広げる振りは、思いどおりにいかない恋のもどかしさを表しているかのようだ。何もかもが愛おしい。
ふたつのノクターンは部分的にシンクロしながら、「時が失わせたもの」「それを遙に超えていく成長」「あらたな美、あらたな自分自身」……そのすべてを氷上に放ちながら、ラストのスピンに帰結する。
ショパンが紡ぎだす、愛の調べ
©Getty Images『ノクターン』は、フレデリック・ショパンが生涯愛用したピアノメーカー「プレイエル社」の社長夫人、マリー・プレイエルに献呈された曲である。マリー自身もピアニストであり、パリを彩るサロンの花形だった。美しく、かつ奔放な彼女の愛人には、ヒラー、ベリオーズ、リストという、当時のそうそうたる面々が連なり、ショパンもまたそのひとりなのでは?と噂されるほどに近しい関係だったようだ。
ショパンは、後に婚約するマリア・ヴォジンスカへのラブレターにも、ノクターンの冒頭の数小節をしたためたという。なんともロマンティックなエピソードである。
ショパン自身の初恋は、ワルシャワの学生時代にまで遡る。その女性をイメージして作られた曲がいくつもあることは、よく知られている。友人に宛てた手紙にはこんな言葉が残されている。
「悲しいかな、僕は理想を発見したようだ。この半年間、 僕は心の中で彼女に忠実につかえてきたが、まだ一言も口をきいていない。僕は彼女のことを夢に見、彼女のことを想いながら、コンチェルトのアダージョを書いた…」
古今東西、初恋が生み出すエネルギーは、当人の想像を遥かに超えていく。
フィギュア史に残る名プログラム
©Getty Images ノクターンとは、フランス語の「ノクチュルヌ=夜の」を語源としたもので、日本語では「夜想曲」と訳される。元々は、親しい人たちのためにお金持ちが夕刻に行う、小さな野外音楽会の事を意味した。やがて、ノクターンはひとつの「音楽様式」として確立していくことになる。その名の通り、静かで暝想的な性格の「夜を暗示する曲」であることが多い。
当時パリの社交界の中心であったサロンは、上流社会の主に女主人(サロニエール)が主催する文化的な夜会だった。そこでは高い報酬で演奏会も行われ、ショパンたち音楽家にとっては、楽譜の出版元を見つけたり、お金持ちの子女たちのピアノレッスンの職を探す場でもあったようだ。
ショパンは見た目にもハンサムで、身のこなしもエレガントだったので、集まったご婦人たちの心を独占していたようだ。そして、そこにはたくさんの「恋の駆け引き」があったとされる。女流小説家ジョルジュ・サンドとの恋愛も、サロンから始まっている。
「ピアノの詩人」と呼ばれるショパンの情感あふれる旋律に、浅田の想いを重ねた“ふたつのノクターン”。それは、フィギュア史に残る名プログラムのひとつ(ふたつ)なのだ。そして、我々は遠くない未来に“3つめのノクターン”を見るのだろう。喜びや悲しみ、怒りや許し、さまざまな感情や経験を積んだ浅田真央の、香るようなノクターンを。
浅田選手と同じ時代に、その奇跡のようなスケートに触れられたことは、感謝してもしきれない。真央さん、おつかれさま。そして、ありがとう。桜の花びらが、いま一斉に風に舞っています。