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スウィングとジルバ/SP『素敵なあなた』~ミュージカル映画「スウィング・キッズ」より

ご機嫌なブラスがスウィングをはじめると、いたずらっぽく目を回し、両肩をクイっと上げる。洒落た男女に大編成のビッグバンドが見えるだろうか? ここはもうダンスホールだ。軽快なステップと鋭いアクセルが、場内を沸かせる。

『素敵なあなた』は、1932年にニューヨークで上演されたコメディ・ミュージカルの劇中歌として誕生した。ジェイコブ・ジェイコブスとショーロム・セクンダのユダヤ人コンビによる作品で、歌詞や台詞には、彼ら東欧ユダヤ人の言葉であるイディッシュ語が使われている。原題の『Bei Mir Bistu Shein/バイ・ミー・ビストゥー・シェーン』は、「私にとってあなたは美しい」「君は素敵だね」といった意味がある。

最初の舞台は不成功に終わり、すぐに曲の権利が人手に渡ってしまう。やがて同じメロディーに英語の歌詞が付けられるやいなや、大ヒットするのである。浅田の使用するカバー曲は、人気ジャズ・ヴォーカル・グループ、マンハッタン・トランスファーのオリジナル・メンバーであるジャニス・シーゲルによるもの。映画『スウィング・キッズ』の挿入歌になっている。

演技のステップに見られるジルバは、30年代スウィングジャズとともにアメリカで流行し、世界大戦中も国境を越えて若者たちに支持された。映画では、ヒトラー・ユーゲント(ナチス党内の青少年団体)への入団を拒む、ドイツの若者たちの"自由と反逆"の象徴的な文化として描かれている。

ダンスは男女ペアで踊り、激しいスウィングやリフト、トリックと呼ばれるアクロバティックなトンボ返りや、女性が大きく股を広げるスプリットなど、決して上品なものではない。『素敵なあなた』は、ラストのダンスホールでのシーンで登場する。

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雰囲気がガラっと変わる後半は、浅田の大人の魅力が一気に迫ってくる。スローテンポの歌に、誘うような指先や科(しな)、駆け引き上手な女を演じる浅田に、場内からは歓声が上がる。大きく開いた背中がセクシーだ。

「説明させてちょうだい、あなたが素敵だってことを」
「私がベーラベーラとか、ウンダバーとか、どんな国の言葉を使っても、言いたいことは、あなたがどれほど素敵かってことだけなの」

ちなみに、ベラはイタリア語で「美しい」、ウンダバーとはドイツ語で「ワンダフル」のことである。

浅田のステップとともに曲のスピードが徐々に上がり、場内からは煽るように手拍子が沸き起こる。誰もが氷上の"素敵な"浅田真央に釘付けだ。

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人気のないミュージカル

この曲が書かれた当時のニューヨークには、大きなイディッシュ劇場がいくつもあり、毎晩のように演劇やミュージカルが興行されていた。そこからクオリティの高い作品が数々生まれ、後のアメリカのエンターテインメント界の礎になっていく。例えば、『屋根の上のバイオリン弾き』もその内のひとつである。

では、『素敵なあなた』が歌われたミュージカルはどうだったのか? というと、まったく冴えない作品だったらしい。上演はすぐに打ち切られ、それ以降、再演されることはなかったという。もっとも、そうじゃなければこの曲が世界中でヒットすることもなかったのである。作者たちは生活のために権利を安く売ってしまったのだ。それが、結果的には吉と出たのだが。

では、人気のなかったミュージカルの内容を少しだけ紹介しよう。題名は『I Would If I Could』。「できればそうしたいのに…」といった感じだ。

労働組合の活動が理由で解雇された、靴工場の労働者ジェイクは、工場主の美しい娘ヘネに恋している。ジェイクはことあるごとに愛を告白するが、どうにも信用されない。そこで出てくるのが『素敵なあなた』である。

「君は素敵だ。魅力的だし、世界一だ。君はシルバー(銀)よりも価値があるよ」

イディッシュ語による原曲は、男性から女性に向けられた曲である。しかも、台詞がシニカルで、かなりスレスレだ。差別的な言葉ととられかねない箇所も複数ある。そんなわけで英語の歌詞は、かなりソフトに改訳されている。ジェイクとヘネだが、数々の試練を乗り越え、最後は結婚してハッピーエンドで終わる。

展示会場のピンクの衣裳は、浅田の演技の記憶とともに、今も輝きを失っていない。いつの日かこの衣装を身に着け、同じアレンジ、同じ振付で演技する後輩が出てくると、それはとても楽しみなことだ。もちろん、トリプルアクセルは必須である。それは誰なのであろうか。

■展示会情報
『美しき氷上の妖精 浅田真央展』
会期:2017年9月13日(水)~25日(月)
入場時間:午前10時半~午後7時(7時半閉場)
※最終日:9月25日(月)は午後5時半まで(6時閉場)
会場:日本橋高島屋 8階ホール
※入場無料

■巡回予定:
10月18日(水)~29日(日)横浜高島屋8階ギャラリー
12月13日(水)~25日(月)大阪高島屋7階グランドホール
2018年1月4日(木)~22日(月)京都高島屋7階グランドホール
4月18日(水)~30日(月・振休)ジェイアール名古屋タカシマヤ10階特設会場

『美しき氷上の妖精 浅田真央展』特設サイト(高島屋)

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いとうやまね

著者プロフィール いとうやまね

インターブランド、他でクリエイティブ・ディレクターとしてCI、VI開発に携わる。後に、コピーライターに転向。著書は『氷上秘話 フィギュアスケート楽曲・プログラムの知られざる世界』『フットボールde国歌大合唱!』(東邦出版)『プロフットボーラーの家族の肖像』(カンゼン)他、がある。サッカー専門TV、実況中継のリサーチャーとしても活動。