サッカー史最高の競争を繰り広げるメッシとC・ロナウド

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クリスティアーノ・ロナウドが12月7日に、エッフェル塔が後方に見える壇上でバロンドールを手にした。2008、2013、2014、2016年に続く自身5度目の受賞であり、最近5年で4度目の受賞だ。歴代最多のリオネル・メッシにも並んでいる。レアル・マドリーを1957-1958シーズン以来となる欧州チャンピオンズリーグとリーガ・エスパニョーラの2冠達成にエースとして貢献した昨シーズンのパフォーマンスが高く評価された。記者投票では、670ポイントの2位メッシを大きく引き離す946ポイントを獲得し、文句なしの受賞となった。

「とても幸せだ。僕のキャリアにおいて、ファンタスティックな時間だ。この時を長い間待っていた。今年は素晴らしい年だった。チャンピオンズリーグもリーガも勝ち取った。個人的にはチャンピオンズリーグで得点王になった。チームタイトルは、こういう個人タイトル獲得の手助けをしてくれる。レアル・マドリードとポルトガル代表のチームメイトに感謝しなければならない」

レアル・マドリーのフロレンティーノ・ペレス会長や同クラブで同僚だったラウール・ゴンザレス、カカ、また同クラブOBのロベルト・カルロス、ファビオ・カンナバーロ、ポルトガル代表監督フェルナンド・サントスらが見守る中、満面の笑みでそう語った。欲しいクリスマスプレゼントを訊かれると「もう1人赤ちゃん、冗談だよ。僕たちは4人の子どもたちと楽しんでいる。7つのバロンドールと7人の子どもが欲しい」と語り、会場を沸かせたが、C・ロナウドにとって4人目となる子どもを出産したばかりの恋人を笑わせることはできなかった。最近10年間に渡って、世界で最も価値のある個人タイトルを分け合っているアルゼンチン人については「メッシとの競争も続けたい」と話した。

C・ロナウドとメッシの競争は、ハイレベルだ。

C・ロナウドは今日までにスポルティング・リスボン、マンチェスター・ユナイテッド、そしてレアル・マドリーと所属したクラブの公式戦合計735試合で542得点を記録。59分に1ゴールを決めている。一方メッシはバルセロナで公式戦に605試合出場し、523得点を決めた。48分に1得点という得点力だ。C・ロナウドはポルトガル代表で147試合79得点、メッシは123試合61得点。リーガでは2009-2010シーズンからC・ロナウドが3度、メッシが4度得点王になっており、チャンピオンズリーグでは2008-2009シーズンからC・ロナウドが6度、メッシが5度、ゴールランキングトップでシーズンを終えている。

このように2人はバロンドールだけでなく、得点王のタイトルも毎シーズン争っている。しかもほぼ10年に渡って。競争が激しく移り変わりが早いフットボールにおいて、2人の選手がこれほど長く世界を席巻した事例はない。

14節終了時点のゴール数は昨季の5分の1に

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永遠に語り継がれる2人の競争は、いつまで続くのか。

もしかしたら、C・ロナウドの5度目のバロンドール受賞がひとつの区切りとなるかもしれない。というのも、ポルトガル代表ストライカーの得点力にかげりが見え始めているからだ。

メッシは今シーズン、バルセロナで22試合17ゴールをマークしている。リーガでは12得点でランキングのトップを走り、チャンピオンズリーグのグループリーグでは3ゴールを決めた。一方、C・ロナウドは18試合で12得点。この数字だけを見れば、ハイペースで得点を重ねているように見える。だが、その内訳をみると、チャンピオンズリーグではグループリーグ全6試合すべてで得点をマークした初めての選手となり、合計9ゴールを決めた。欧州の舞台では好調なのだが、リーガでは不思議なことにシュートが決まらない。

昨シーズンは14節終了時点で10得点を決めていたが、今シーズンは10試合に出場し、2ゴールしか決めていない。1試合に0.2得点、1ゴールを決めるのに450分も必要としている。2009年にレアル・マドリーに入団してから1試合1.02得点という驚異の得点率を叩き出してきたストライカーの数字とは思えない。極度の不振に陥っているのだ。

エースが低調なこともあり、レアル・マドリーは4位に甘んじ、チャンピオンズリーグ出場圏内に何とか踏みとどまっている状態だ。開幕14節で勝点28は2008年以来最も悪い戦績で、得点数25は過去11年で最も少ない。タイトル争いからは大きく出遅れ、首位バルセロナとはすでに8ポイントの差をつけられてしまった。その低調ぶりからレアル・マドリー寄りの地元メディアでさえ「優勝戦線から離脱した」とまだクリスマス前だというのに半ば諦め気味だ。

当然ながら不振の一因として、エースの決定力不足が挙げられている。スペイン紙「マルカ」によれば、今シーズンのC・ロナウドの枠内シュート数はリーガでもチャンピオンズリーグでも21本と同じだが、ネットを揺らした回数はリーガで2回、チャンピオンズリーグでは9回と大きく違う。

C・ロナウドは、なぜリーガで得点を決められないのか? 

マドリード寄りのスペイン紙「マルカ」や「アス」は過去のデータを用いて、C・ロナウドの今シーズンの得点数がいかに少ないかを比較するが、具体的な理由は記していない。肩入れするチームに遠慮しているのだろう。

それに対して、バルセロナ寄りのスペイン紙「スポルト」は直接的だ。C・ロナウドが点を奪えなくなったのは、年齢による衰えと指摘する。2カ月後には33歳になり、C・ロナウドはフィジカルコンディションが低下する時期に差し掛かっており、その根拠としてスピードが落ちたことを具体的に説明していた。

スピードの衰えを指摘されるC・ロナウド

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具体的に挙げていたのが、12節アトレティコ・マドリー戦、前半15分の場面のことだ。レアル・マドリーが自陣ゴール前でボールを奪い、カウンターを仕掛けた。ルカ・モドリッチが前線にパスを出す。そのパス目掛けてC・ロナウドが全力で走る。そのまま抜け出せば、ゴールキーパーと1対1になれる場面だった。このとき、ロナウドの後方からはスペイン代表のサイドバック、フアンフランが迫っていた。それでも、C・ロナウドは、よりボールに近い位置にいたため、先にボールに触ってゴールへまっしぐらだと誰もが思った。だが、実際は違った。

C・ロナウドとファンフランの競争になったものの、より遠い位置から駆けてきたフアンフランが先にボールに触り、C・ロナウドはチャンスを手にできなかったのだ。この時のスプリントの速度は、地元テレビ局で測定され、フアンフランは時速33.8キロ、C・ロナウドは32.8キロだった。快速が売りのアタッカーが、ディフェンダーに走り負ける。年齢から来る身体の衰えがマドリー・ダービーで見て取れたと紹介していた。

レアル・マドリーの下部組織出身で、現在エスパニョールに所属するグラネロは今シーズンのメッシとC・ロナウドについてこう語っていた。

「クリスティアーノのゴールを見ると、その背景には何百万本というシュート練習があることが分かるが、メッシはそこにいれば、ゴール隅にシュートを入れる事ができると思う」

グラネロはレアル・マドリー時代に、C・ロナウドとはチームメイトだった。そして、同学年のメッシとは、メッシがバルセロナの下部組織に在籍していた時から何度も対戦している。彼は、C・ロナウドはハードワークからなる後天的なものでできたストライカーであり、メッシは生まれ持った才能でプレーする選手だと評している。

スペインでは、大半の人がグラネロと同じような目で2人を見ている。メッシはタレントかつ戦術眼があるので、そのスピードが衰えて、フォワードで通用しなくなっても、ミッドフィルダーとして、ゲームメーカーとして活躍すると言われている。それに対してC・ロナウドはフィジカル能力が衰えれば、今あるレベルを維持できないと推測されている。

はたしてリーガにおける得点減少は、この年齢による衰えの兆候なのか。それとも単なる一時的なスランプであり、シーズンが終わった時には、例年のようにゴールを量産しているのか。

レアル・マドリーの名将ジネディーヌ・ジダンは、6日に行われたドルトムント戦の前日会見でこうコメントしていた。

「あとシーズンは6カ月残っている。クリスティアーノには気をつけろ」

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座間健司

1980年7月25日生まれ、東京都出身。2002年、東海大学文学部在学中からバイトとして『フットサルマガジンピヴォ!』の編集を務め、卒業後、そのまま『フットサルマガジンピヴォ!』編集部に入社。2004年夏に渡西し、スペインを中心に世界のフットサルを追っている。2011年『フットサルマガジンピヴォ!』休刊。2012年よりフットサルを中心にフリーライター&フォトグラファーとして活動を始める。