小学1年の時から別格の存在感

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私が張本智和を初めて見たのは、2010年7月の全日本選手権(ホープス・カブ・バンビの部)。バンビの部(小学2年以下)のコートで、あどけない選手たちが自分の顔よりも大きなラケットに振り回されながら懸命にボールを追いかける中、ひとりだけ明らかに動きの違う選手が目に飛び込んできた。

大きく動いても崩れないしっかりとしたフットワーク、正確かつ鋭いスイングで繰り出すサービス、そして回転半径の大きい豪快なフォアドライブ。それが当時小学1年の張本だった。ひとつ年上の選手たちをバッタバッタとなぎ倒し、圧倒的な実力差を見せつけ優勝。「すごい選手が出てきたぞ」と会場では早くも話題になっていた。その後、張本は小学6年間で一度も敗れることなく大会6連覇を果たし、福原愛の7連覇に次ぐ、男子では史上初の快挙を成し遂げた。

全日本ホープス・カブ・バンビで毎年張本を見ていて、個人的に印象に残っているのが、年々明確に進化していく彼のプレースタイルだ。

小学1、2年時はフォアドライブでの攻撃がメインだったが、3年になるとバックドライブも振るようになり、4年ではその決定力が格段にアップ。チキータも身につけ、現在の張本に近い、より現代的な両ハンドスタイルに瞬く間に変身していった。

以前、コーチでもある張本の父・宇さんに話を聞いたところ、小学1、2年の時はフォアメインで指導をし、筋力がついてからバックを振るようにした、と語っていた。世界のトップで戦うためにはフォアの決定力が絶対に必要になる点。また筋力のない幼少期にバックを振りすぎると手首を傷める恐れがある、というのがその理由だ。結果的には、あとになって習得したバックハンドのほうが張本の得意技術になるというのはなかなか興味深いところでもある。

ホープス(小学6年以下)世代になると他選手の攻撃力もアップし、逆に攻められる場面も増えてきたが、張本は落ち着いたブロックプレーで相手のドライブをシャットアウト。攻撃一辺倒ではなく、守備力の高さも見せつけたのが小学5年の時。

守りがうまくなった分、従来のアグレッシブさが薄まった感があったものの、翌年ではその心配を払拭。ブロックではなく、より攻撃的に攻め返すカウンターを鮮やかに披露した。相手のドライブをストレートに打ち抜くカウンターバックハンドは、日本のトップクラスでもなかなか見られないハイレベル、ハイリスクなテクニックだが、張本は小学6年の時にさも当たり前のように使いこなしていた。今回の全日本選手権でも水谷のドライブをブロックで安全につながず前陣で打ち返していたが、そのスタイルの原型は小学生時代にはほぼ完成していたと言っても良いだろう。

その年その年でテーマを設けて特訓してきたかのような張本の成長ぶり。来年はどんなプレーをしてくれるのか、と期待させてくれるのも張本の魅力のひとつだった。

チーム練習メインで決して長くはない練習時間

張本が小学5年の時には、彼が所属する仙台ジュニアクラブを訪ね、練習を取材させてもらった。怪物がどれだけタフな練習で生み出されたのか、と気になる人も多いと思うが、実のところ張本の練習はそれほど特別なものではなかった。

取材時は20名ほどの選手がおり、コーチの宇さんがボールを出して直接指導する台と選手同士が打ち合う台に分かれ、それとは別にボール拾いの係もあり、何分かで交代しながら練習は進んでいく。練習時間は17時半〜21時(平日の場合)とそれなりの長さだが、実際に宇コーチの指導を受ける時間はわずかだ。

強豪チームにありがちなコーチの怒号が飛び交うピリッとした空気、というわけではなく、張本もチームメイトと打ち合うメニューでは時に笑顔を見せ、楽しそうに練習していた。

現在トップで活躍する選手たちは、幼少期に両親との猛練習によって鍛えられたケースが多く、一般の人が聞いたらびっくりするような常軌を逸したエピソードを耳にすることも少なくない。張本も週1回、クラブの練習が休みの日にだけ宇さんとのマンツーマンはあったが、その曜日は塾もあるため練習は1時間半程度。他のトップ選手と比較すると、張本の練習量は稀有な彼の成長速度の割には決して多くはない。それでも強くなれたのは、宇さんの指導力の高さ、そして張本自身の集中力の高さによるところが大きいだろう。

「もっと」を求め、新天地で飛躍的な成長を遂げる

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父・張本宇さんには、雑誌の技術特集&DVDの監修をしていただき、その指導方針や練習法などを取材を通して聞かせてもらった。

仙台ジュニアクラブで実際に行っている様々な練習メニューを詳しく教えてもらったのだが、内容は意外にもシンプル。宇さん自身も「そんなに特別な練習はしないですよ」と謙遜していた。

他の練習はないのかと思い、「張本くんにはもっと上級者向けの練習はやらないんですか?」と質問すると、「あまりやらないですね」と宇さん。「もっと時間があれば、やりたいんだけど……」と少し寂しそうな顔を見せ、そうつけ加えた。実は、これに近いやりとりがDVDの打ち合わせの中で何回もあった。

クラブの監督として選手全員を鍛えなければならない一方で、どんどん強くなる息子に対して「もっと時間をかけたい、色々な練習をやらせたい」というジレンマが、当時の宇さんにはあったように見えた。おそらく張本自身も、もっとレベルの高い相手と練習したいという欲求があったかもしれない。かつてないほどのスピードで成長しているのにも関わらず、小学生時代の張本親子の中には、不完全燃焼の感があったのだから、恐ろしい話である。

しかし、2人の「もっと」という強い思いを感じたからこそ、中学に進学後の張本を非常に楽しみにしていた。JOCエリートアカデミーに入り、練習時間のすべてを自分のためだけに使えるようになった時、今まで以上のスピードで進化していくのではないか。選手層の厚い日本男子チームだが、もしかしたら2020年に間に合うのではないか、と期待を膨らませていた。

だがしかし、現実はもっと衝撃的だった。

中学1年で世界ジュニアを制した張本は、翌年の世界選手権では水谷を破りベスト8入り。ワールドツアーも優勝し、数々の最年少記録を打ち立てると、ついには全日本で再び水谷を下し、日本の頂点に立った。

敗れた水谷が「何回やっても勝てない。中国選手と同じレベルにある」と言うのだ。2020年に間に合うかどうかのレベルではない。私の浅はかな予想を裏切り、一気に金メダル候補に躍り出たのである。

全日本での優勝インタビューでは「2年後またここに戻ってきて、金メダルを2つ取れるように頑張ります」と東京五輪に向けての抱負を力強く語った張本。進化を止めない怪物は、2年後にどんなプレースタイルで世界中を驚かせてくれるのだろうか。最後の1本を決め、東京体育館に響く勝利の雄叫び。それを聞く日が今から楽しみだ。

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渡辺友

1979年生まれ。東京都立大卒(専門は昆虫の系統分類学)。卓球専門月刊誌『卓球王国』の編集者・記者として12年勤務し、大会・技術・用具など卓球界の様々なニュースを取材。2016年から独立し、現在はフリーのライター・編集者として活動しながら、都内の卓球スクール『タクティブ』でコーチ業を行う(日本体育協会公認コーチ資格取得)。