そのとき歴史が動いた! 26番滑走からの大番狂わせ

“事件”は、オリンピックの開会式から1週間が過ぎた17日に起きた。アルペンスキーの女子スーパー大回転で、チェコの22歳、エステル・レデツカがオーストリアのアナ・ファイトを0.01秒上回り、金メダルを獲得したのだ。

0.01秒のタイム差はたしかにすごいが、この物語のすごい点はそこではない。レデツカのスタート順は26番目。ワールドカップのポイントやこれまでの実績を考慮して「実力者から滑る」アルペンスキーで、26番滑走の選手が金メダルというのも驚くべきことだが、そこですら本筋ではない。

世界がもっとも驚いたのは、レデツカがこの後24日に行われるスノーボード女子パラレル大回転の金メダル最有力候補だったことだ。

スキーでは、7位が最高位。2017-18シーズンのワールドカップ、スーパー大回転でのランキングは43位。結果的に100分の一秒で競り負けたアナ・ファイトがワールドカップ4位で同種目のソチ金メダリスト、銅メダルのティナ・ワイラター(リヒテンシュタイン)がランキング2位の実力者だったことを考えると、この優勝は奇跡に近い。

スキーとスノーボード、異なる競技での金メダル獲得となれば、冬季オリンピック史上初の快挙。こう言っては失礼だが、誰も期待していなかったアルペンスキー、スーパー大回転での大番狂わせに、“二刀流”での金メダルへの期待が突如として降って湧いた。

史上初の2競技での金メダル 一週間後にさらなるドラマが

この結果に驚いたのは周囲だけではなかった。渾身の滑りでゴール地点にたどり着いたレデツカ自身も、タイムが表示された画面を見ても、しばらく状況を把握できずにいた。ガッツポーズもナシ。呆然とした表情で立ち尽くし、テレビ中継のカメラが勝者の表情を映そうとしても「No」「Must be some mistakes(間違いに決まってる!)」とつぶやくのが精一杯。

「何かの間違い、計測ミスでタイムが訂正されると思っていた」

金メダル確定後のインタビューでこう語ったレデツカは、その後に行なわれた会見でも、「セレモニーに出るとは思っていなくてノーメイクだから」という理由で、ゴーグルをしたまま質疑応答に応じた。

快挙からちょうど1週間後の24日、本業のスノーボード女子パラレル大回転で、日本の竹内智香を準決勝で下したセリナ・イエルク(ドイツ)に競り勝ち、今大会二つ目の金メダルを獲得。一つのオリンピックで、異なる競技で金メダルを獲得するというとんでもない偉業を達成したのだ。

「似ているようでまったく違う」と考えられてきた二つの競技

言うまでもなく、スノーボードとスキーは別の競技だ。使用する施設はほぼ同じだが、横向きに滑るスノーボードと、身体の正面を斜面の谷側に向けて滑るスキーでは、滑走する感覚がまるで違う。両足がひとつの板に固定されているスノーボード、2本の板で左右の足が別々に動かせるスキー、違いを挙げればキリがなく、似ているようでまったく違うのがスノーボードとスキーだ。
 
オリンピアンと比べるのは失礼だが、日本でもスノーボードが普及する過程で、多くのスキーヤーがスノーボードを試し、その感覚の違いから挫折したという話も良く聞く。筆者も初めのうちは、スキーでなら目をつぶってでも滑れる初心者コースで、ヒザとお尻にアザができるほど転びまくって挫折しかけた思い出がある。スキーの技術とスノーボードに必要とされる技術は、転用、応用がほぼ利かないほどの違いがある。
 
かの“二刀流”女王はどう感じているのか? さすがにオリンピック史上にも残る快挙を成し遂げたアスリートは常識で計れない。

「Well, it’s down a hill, both of them, right? That’s the basics.(どちらも山を下るということですよね? それが基本です)」
 
二つの競技の違いを聞かれたレデツカは、こともなげにこう答えた。

レデツカはスキーとスノーボードの枠組みを超えた

報道によると、レデツカは2歳でスキー、5歳でスノーボードを始め、どちらも同じように真剣に取り組んできたという。「世界で一流を目指すためにはどちらか一本に絞るべきだ」という周囲の助言はあったが、すでにワールドクラスの舞台で活躍していたスノーボ-ドに続いて、2016年にはアルペンスキーでもワールドカップに参戦を果たした。

チェコでも周囲から「どれか一つに」と助言されるくらいなのだ。完全に余談だが、幼児期から一つの競技に集中させ、スペシャリストであることを良とする日本のスポーツ育成では生まれてこなかった選手だろう。

調べてみると、レデツカの祖父はチェコの国技とも言えるアイスホッケーの代表選手(当時はチェコスロバキア)、母はフィギュアスケーターで父親がミュージシャンだという。彼女のチャレンジ精神と、不思議な明るさはこうしたバックボーンにも影響を受けているのだろう。

平昌オリンピック開幕前は、レデツカ自身、「スキーとスノーボード、両方の競技でオリンピックに出場する選手として歴史に名を残したい」というモチベーションでトレーニングを続けていたという。

アルペンスキーの競技は、回転、大回転の「技術系」と滑降、スーパー大回転の「スピード系」に大別されるが、レデツカが得意とする「スピード系」の競技は、どちらかというと、スノーボードの感覚が活かしやすいはずだ。

同じスノーボードでも、平野歩夢でお馴染みのハーフパイプなどのフリースタイル系と違い、アルペン系の競技は、板に固定するブーツのセッティングが斜面の谷側に鋭角になっている。一本の板に両足が固定されていることは変わらないが、谷側に正面を向ける身体の向きはスキーに近い。

スキーのスーパー大回転は、旗門が短い間隔で続く技術系の競技とは違い、女子選手でも100キロに迫るような最高速で一気に滑り降りるスーパー大回転は、細かな技術より、スノーボードで培ったスピード感覚が役立つ。

前人未踏の二刀流金メダルとはいえ、レデツカの快挙がまったくの偶然、まぐれだったかというとそうとは言い切れない技術的な根拠もありそうだ。

平昌最大の偉業は、レデツカの二つの金メダル?


日本では、日本人選手の活躍で埋もれてしまっているかもしれないが、レデツカの快挙は世界中で最大限の驚きとともに賞賛を集めている。アメリカンスポーツで、複数競技で成功した選手を褒め称えるように、陸上の十種競技の勝者を「キング・オブ・アスリート」と呼ぶように、スキーのノルディック複合の王者を「キング・オブ・スキー」と呼ぶように、世界では、複数の異なるものに対してチャレンジし、成果を出したアスリートを高く評価する。

今大会でもアルペンスキー男子のマルセル・ヒルシャー(オーストリア)が、回転、大回転、アルペン複合の技術系3冠を目指したことで話題になったが(結果は複合、大回転で金メダル、回転では惜しくも途中棄権)、レデツカはヒルシャー以上の快挙をノーマークのところから達成したというわけだ。

レデツカの信じられないような結果を受けて、アルペンスキーに真剣に取り組むスノボーダー、スノーボードに挑戦するスキーヤーが増える可能性は十分にある

日本でも、全日本スキー連盟の皆川賢太郎・競技本部長が、北京五輪へ向けた強化策見直しの一環として共通点の多い、フリースタイルスキーとスノーボードを一体強化していく方針を示唆している。

なにより、これまでどちらかというと別競技として「選択」するものだった両競技が、レデツカの二つの金メダルによって新たな可能性を見出したのが大きい。

22歳のチェコ代表が成し遂げたことは、あらゆる意味で歴史に大きく名を残す偉業と言えるだろう。

<了>


大塚一樹

1977年新潟県長岡市生まれ。作家・スポーツライターの小林信也氏に師事。独立後はスポーツを中心にジャンルにとらわれない執筆活動を展開している。 著書に『一流プロ5人が特別に教えてくれた サッカー鑑識力』(ソルメディア)、『最新 サッカー用語大辞典』(マイナビ)、構成に『松岡修造さんと考えてみた テニスへの本気』『なぜ全日本女子バレーは世界と互角に戦えるのか』(ともに東邦出版)『スポーツメンタルコーチに学ぶ! 子どものやる気を引き出す7つのしつもん』(旬報社)など多数。