前編「平野歩夢の生き方にまで溶け込むLifeWearとしてのユニクロ」

 4年という月日を費やし、ひとつの競技もしくは種目に集中して日々練習に明け暮れ、オリンピックの頂点を目指すというアスリートが大半なのかもしれない。競技化が加速し続けているスノーボードも例外ではなく、トリック(技)の高難度化が著しいため、メダル獲得に必要な技を揃えるのに数年かかってしまうケースもざらにある。

 しかし、スノーボーダー・平野歩夢はまったく異なる道のりを歩む。コロナ禍の影響で東京五輪が1年延期となり、本業であるスノーボードで目指す北京五輪までの準備期間が、スケートボード・パーク大会を終えてからわずか半年という状況に陥ってしまった。そのことについて当時尋ねたことがあるのだが、「その分(スケートボードの)練習時間が増えた」とポジティブに語っていたことを思い出す。北京五輪で悲願の金メダル獲得への期待が大きくのしかかる中、チャレンジャーとして挑む東京五輪を優先させていたのだ。

 前編「平野歩夢という生き方に溶け込むLifeWearとしてのユニクロ」で触れているように、2021年4月に札幌で開催されたSAJ(全日本スキー連盟)全日本選手権大会で彼のライディングを現地で取材。ハーフパイプが万全でなかったこと、さらにブランクも影響していたのかもしれないが、正確無比のリップ・トゥ・リップ(ハーフパイプの縁から飛び出して限りなく縁に近い上部に着地すること)が狂わされてしまいボトム(ハーフパイプの底部)側に大きく弾かれていた。それが1ランで複数回あったにもかかわらず、減速させることなくトリックをつないだその滑りに衝撃を覚えたわけだが、大会直後に話を聞くと、やはりスケートボードで培った技術が応用されているようだ。

「スケートボードの場合はちょっとしたズレによって(ボードに)乗る位置も変わってくるし、膝の曲げ方などが(スノーボードとは)全然違うから、そういう意味ではこれまでのスノーボードの滑りよりも、さらにいろいろな状態で乗れるようになっています。たとえば、前(進行方向)に詰まったとしても調節できるような感じです」

「パーク種目はプッシュ(前足をボードに乗せて後ろ足で地面を蹴って漕ぐ動作)ができないから、ノープッシュで最後まで(減速させずに)滑りきらなければなりません。踏む位置だったり踏むタイミングはパークによっても変わるし、ラインひとつで決まるようなところもあるんです。スケートボードのほうが比にならないほど難しい」

 足が板に固定されているスノーボードに乗り続けていても絶対に体得することができない、足首から上体にかけての動きに磨きがかけられた。さらに、半円状という限られたコース内でスピードを維持することが絶対的に求められるハーフパイプだけに、スケートボードで学んだ“踏む”動作がこれまで以上に平野の滑りを進化させる。ブランコで立ち漕ぎするときの膝の動きを横方向に行う、パンピングと呼ばれる動作が研ぎ澄まされたのだ。

 10月下旬、スイスでトレーニング中の平野にオンラインでインタビューを行うことができた。前編記事の取材も合わせて1時間ほど言葉を交わしたのだが、4月の時点ではスケートボードからのフィードバックがどのようにスノーボードに活かされているのか、不透明な部分が多かったことだろう。しかし、このスイスで二刀流ライダーという前人未到の挑戦がいかなるものだったのか、答え合わせができているように彼の言葉から強く感じた。

“二刀流ライダー”として、独自の道のりを歩む平野。その思いとは

「スノーボードだけやっていても、上手くなるためだけに練習をしていても、なかなか得ることができないものがスケートボードに本気で取り組んだことで生まれたのは、かなり大きいと思いますね。それは(スノーボードとスケートボードの)技術的な話ではなくて、マインドの部分。集中力が磨かれたこともそうですし、いろいろな面で気持ちの切り替えができるようになったり、ライディング技術以外の部分でのいろいろな成長がそれぞれ通じ合ってきている感じがします。限られた短い時間でどう(北京五輪に向けて)取り組んでいくのかということは、スノーボードにシフトする前からものすごく考えているんですけど、そういう厳しい状況に置かれたときの自分との向き合い方が、スノーボードしか見えていなかったときよりもかなり広がってきていると実感しています」

 滑りの技術だけを追究して4年間格闘したソチ五輪から平昌五輪までの道のりでは、トップにいなければならないというプレッシャーを常に抱え、とにかく練習に明け暮れていた。

「目の前にはいつも大会があって、やれることはやっているし、みんなよりも練習してきたはずなのに、気持ちだけが置いていかれているような感覚でした。だけど考えている時間もないし、とにかく滑って新しい技を覚えていくしかなかった」

 これは平昌五輪前に平野が吐露した言葉である。あれから4年が経過した今、雪上での練習量は比にならないほど少ないが、圧倒的に強くなって帰ってきた。

「本来であれば(現在の状態にまで仕上げるのに)かなりの時間が必要だったはずですけど、確実にそういう(内面的に成長した)部分が大きく影響していると思います」

 スイスと東京というリモートでの会話であり、PCの液晶画面越しではあったものの、明らかに4年前とは違う柔らかい感じが伝わってきた。それでいて、これまで以上にたくましさも感じた。順調ということでいいのか?という問いに対して、「順調ですね」と力強く答えた平野。

 そのうえでこう付け加えた。

「4年前は見えているところがひとつしかなかったので本当に苦しかったし、逃げ道もなくて、気持ちを切り替えることの難しさを学んだ年でした。あの頃と比べたら今の自分は全然違いますけど、あのときの強さみたいなものが今の自分の気持ちと混ざり合っているような感覚です」

 目指すメダルの色は金しかないと公言し、当時のハーフパイプ最高難度のルーティンを見事に平昌五輪の舞台で成功させたあの強さ。そこに、前人未到の二刀流ライダーとして歩みを進めたことで培うことができた強さが相まり、今、平野は北京五輪を見据えている。

技術的にも精神的にも確実に進化を遂げ、4日より開幕する北京五輪に臨む

「競技性がスノーボードほど強くなくて、一人ひとりの個性を重んじるスケーターとしての本質を貫いている人たちが多いから、これまで感じたことがなかった刺激を受けてたくさんのことを吸収できる面白さがありました。スノーボードから離れて3年くらいそういう環境に身を置いた自分が、スノーボードでどこまで変わることができるのか楽しみですね」

 1998年の長野五輪からオリンピック種目と化したスノーボードは、スケートボードの文化価値を継承しながら発展を遂げてきたが、6回のオリンピックを経て競技性が格段に強まった。故にボードスポーツの普遍的価値であるライダーたちの個性、いわゆるスタイルよりも滑走技術ばかりにフォーカスが当たる風潮が強いのだが、そうしたシーンに風穴を開けることができるのかもしれない。

 さらにこう続ける。

「また、スケートボードに集中していたときの自分のように、下から上にどこまで上がっていけるのかという面白さも今はあって、なんか“この感じ懐かしいな”って思うところもかなりあります」

 スノーボード・ハーフパイプ界の事実上の王者が、幼き頃から叩き上げてきたあの頃の感覚を思い出し、チャレンジャーとしてスノーボーディングに取り組んでいることが、何にも代えがたい強さなのかもしれない。

「戻ってこれたというか、今、小さい頃の自分のような気持ちになれているのは、スケートボードがあったからこそ。こういう気持ちに戻りたくてもなかなかできないものなんだなと、自分でも改めて思いましたね」

 技術的にも精神的にも確実に進化を遂げ、そのうえで挑戦者というハングリー精神を養うことができた。「二兎追う者は一兎も得ず」ということわざがあるが、平野歩夢の二刀流進化論はそれを打破することができるのか。2022年2月11日、平野歩夢は中国・シークレットガーデンの地で宙を舞う。



北京五輪前独占インタビュー<後編・了>

北京五輪前独占インタビュー ~平野歩夢の生き方にまで溶け込むLifeWearとしてのユニクロ

ソチ、平昌五輪で銀メダルを獲得し、東京五輪ではスケートボードで出場し“二刀流ライダー”として注目を集めた平野歩夢。21年10月下旬、北京五輪への出場に向けてスイスでトレーニングを行う平野にインタビューを行った。その模様を前編・後編の2回にわたって紹介する。

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野上大介

1974年、千葉県生まれ。大学卒業後、全日本スノーボード選手権ハーフパイプ大会に2度出場するなど、複数ブランドの契約ライダーとして活動していたが、ケガを契機に引退。2004年から世界最大手スノーボード専門誌の日本版に従事し、約10年間に渡り編集長を務める。その後独立し、2016年8月にBACKSIDE SNOWBOARDING MAGAZINEのウェブサイトをローンチ、同年10月に雑誌を創刊した。X GAMESやオリンピックなどスノーボード競技の解説者やコメンテーターとしての顔も持つ。